「あなたがたが受け入れられるには、それは牛、羊、あるいはやぎのうちの、傷のない雄でなければならない。」(レビ記22:19新改訳)
イスラエル人がささげる物は傷のない全きものでなければならなかった。この章に「わたしは・・・主である」とのことばが九回もくりかえされているが、主がささげものについてどんなに厳格(げんかく)さを求めておられるかがわかる。▼もちろん私たち新約の信仰者たちは、モーセ律法からは自由にされているが、キリストによる愛の律法の下にある。そこでは、「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です」(ローマ12:1同)と規定(きてい)されており、むしろ旧約よりずっと真剣で完全な献げもの、つまり全き献身を求められているのだ。▼それゆえ、キリスト者は「心にイエスの血が振りかけられて、邪悪(じゃあく)な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心(まごころ)から神に近づこうではありませんか」(ヘブル10:22同)とすすめられているのである。