「しかし今、この大祭司は、よりすぐれた契約の仲介者であるだけに、その分、はるかにすぐれた奉仕を得ておられます。その契約は、よりすぐれた約束に基づいて制定されたものです。」(ヘブル8:6新改訳)
はるかにすぐれた奉仕とは、大祭司自身が神に近づこうとする人々の心の中に住み、そのすべての思いを知り、天の父に愛のとりなしをすることができる状態を指す。これは旧約時代の祭司制度には決してありえなかった。▼主イエスの十字架により、あがないが完成し、ペンテコステの聖霊傾注(せいれいけいちゅう)となり、信仰者の内に御霊(みたま)が住まれる時代となったが、これにより、大祭司キリストは信徒一人一人の内を知り尽(つ)くすと同時に、父なる神のふところにも住んでおられるので、神と人の両者を完全に理解し、理想的な仲保者(ちゅうほしゃ)の資格を備えられた。▼「したがってイエスは、いつも生きていて、彼らのためにとりなしをしておられるので、ご自分によって神に近づく人々を完全に救うことがおできになる」(ヘブル7:25同)とはこのことを指す。いつでも主のみもとに行き、すべてを打ち明けられるとは何という恵みであろう。その意味でキリスト者ほど幸福な人々は存在しない。
罪咎(つみとが)を担(にな)う
①罪咎をになう 友なるイエスに 打ち明け得るとは いかなる幸ぞ
安きのなき者 なやみ負う者 友なるイエスをば おとずれよかし
②こころみの朝 泣き明かす夜 気落ちせずすべて 打ち明けまつれ
我らの弱きを 知れる君のみ 我らの涙の もとを読みたもう
③気疲れせし者 重荷負う者 隠れ家なる主に すがれ、ただちに
汝が友は笑い 迫害すとも 主は汝れを抱き なぐさめたまわん
<新聖歌210 Joseph Scriven 1819-1886>