「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。」(Ⅰペテロ1:8新改訳)
「使徒の働き」に出て来るペテロや、彼の書いた二通の手紙を読むと、福音書に記されたペテロとは別人のような感じがする。主イエスのゲッセマネから十字架に至るあいだの彼は、女中の言葉におびえ、だれが一番弟子かで争い、ここぞという場面では寝てしまうというていたらくであった。▼その彼が、ペンテコステ以後は一変し、議会に呼び出されても恐れず、堂々と弁明し、明日は死刑になるというのに、牢獄では熟睡しており、御使いに起こされたのである。▼この姿から教えられるのは、聖霊に満たされることのすばらしさであり、復活信仰の力強さである。三日前に死んで墓に葬られた主が、目の前に立ち、そのからだに触れ、話をし、食事を共にしたことは、弟子たちにあった死の恐れを完全に吹き払ってしまった。▼いわば、天において神の右に座した主イエスと、地を歩むペテロが相呼応(あいこおう)し、一つになって行動しているようにされたわけである。天と地が一つになった世界、キリスト者の歩みとはそこに生きることなのだと教えられる。