「ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、主が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは主の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」(Ⅰサムエル17:47新改訳)
ダビデはゴリヤテに対し、「この戦いは主の戦いだ」と宣言した。これが勝利の秘訣である。なぜなら、その瞬間、ゴリヤテ戦はダビデの手から神の御手に移ったからである。ダビデ詩篇を味わうとわかるのは、彼が決して自分の力や能力で戦わず、すべてを神にゆだねて戦った、ということである。▼もちろん投石器(とうせきき)による石はダビデが全力をこめて放ったもの。熟練(じゅくれん)した人が投石器で飛ばした石は、ライフル銃の弾丸より威力(いりょく)があったという。しかも狙いは正確無比(せいかくむひ)で、頑丈(がんじょう)な鎧(よろい)のほんのわずかな隙間(すきま)を通過、急所中の急所、額(ひたい)の真ん中を射貫(いぬ)いたのであった。この一撃(いちげき)は、ダビデの持つ能力というより、神が命中させたというべきである。▼こうして歴戦(れきせん)の勇者ゴリヤテは、少年の放った小石で、あっけなく死んだ。神の戦いのすばらしさ、人間の力のもろさは、衆人環視(しゅうじんかんし)の中であらわれたのだった。私たちもダビデが抱いた信仰をぜひ持たせていただこうではないか。ダビデ=私たち、ゴリヤテ=1億の日本人をつかまえ離さない悪魔、投石器と小石=聖書のことばと祈り、を信じて!