「神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。」(Ⅰサムエル16:23新改訳)
神に従わないサウルは御霊に見放され、その結果、病的な不安に苦しむようになった。このことは、現代の精神的不安の大部分が、救い主イエスとの正しい関係に入らないところから来ている証拠ともいえよう。復活したあと、主が弟子たちにまず言われたことばが、「平安があなたがたにあるように」だったことは重要である。つまり、人が心から平安を持てるのは、平安の実体であるイエス・キリストを迎えればこそ、なのだ。▼ダビデがそのようなサウルを音楽によって癒やしたことは、ただ技術によったのではなく、何よりも神の御霊が彼を捕らえていたからであった。その結果としての曲だったのだ。教会音楽も非常に大切で、それは礼拝で枢要(すうよう)な位置を占めている。使徒時代から歌われた賛美が新聖歌にも載っているが、貴重な歴史の遺産といえよう。私たちは賛美を「自己を喜ばせるため」ではなく、神をほめたたえる敬虔の泉として用いる努力をしたい。それによって臨在はより豊かなものになるのだから。