「サウルは槍を投げつけた。ダビデを壁に突き刺してやろうと思ったのである。ダビデはサウルの攻撃から二度も身をかわした。」(Ⅰサムエル18:11新改訳)
サウルは突発的(とっぱつてき)な精神錯乱(せいしんさくらん)に陥(おちい)った。本来なら、自分のために身を呈(てい)して働く忠義な部下ダビデを重んじて当然なのに、殺そうと狙ったのだから正気の沙汰(さた)ではない。その原因は恐れとねたみであった。つまりサウルは「いつか自分の王位はダビデに奪われる」と心配した。事実、ペリシテ戦に出かければそのたびに大勝利をあげ、神がともにおられる証拠が決定的に現れる。国中をあげて「ダビデはすごい」、「王になってもおかしくない」とうわさされている。▼神から捨てられたのに王位にしがみつくサウルにしてみると、不安から夜も寝られないほどであったにちがいない。それが彼の心を不安定にし、理屈(りくつ)抜きでダビデに対する憎しみの炎を燃え上がらせた。思えば罪にとらわれた心ほど恐ろしいものはない。▼だから罪の情が芽生えそうになったときは十字架を仰ぎ、自己に死ぬことが大切だ。つまり、徹底的に「われキリストとともに十字架につけられ、死にたり、もはや我生きるにあらず、キリストわが内に生くるなり」との信仰を実体験させていただくことにつきるのである。