「もし彼らの捨てられることが世界の和解となるなら、彼らが受け入れられることは、死者の中からのいのちでなくて何でしょうか。」(ローマ11:15新改訳)
イスラエル民族が福音を拒否し、神から捨てられた結果、世界の諸民族が十字架により救われる恵みの時代が出現した。この二千年間、救いに入れられた人々の数は、たしかに空の星、海の砂のように多いといえよう。一人の人のいのちは「地球より重い」価値を考えれば、イスラエルの背き(そむき)は、結果的に測り知れない祝福を世界にもたらした。▼とすれば、彼らが心から悔い改め、救い主に立ち返り、文字通り「イスラエル=神の皇太子=神の宝物」と変えられた時、いったいどれだけの祝福が世界にもたらされるか、何人(なんびと)も想像することは不可能である。来たるべき地上のメシア王国、その形容できない豊かさと喜びをパウロは知っていた。▼そこで私たち異邦人から成る教会も、使徒と声を合わせ祈らなければならない、「兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです」(ローマ10:1同)と。