しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <苦しみのさかずき>

2025-01-07 | Ⅰサムエル記
「ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。『私があなたの父上の前に何をし、私にどんな咎があり、どんな罪があるというのですか。父上が私のいのちを求めておられるとは。』」(Ⅰサムエル201新改訳)

ここからダビデの人生でいちばん苦しく、つらい放浪時代が始まる。身におぼえがないのに主君からいのちをねらわれ続けるダビデ。▼むろん、原因はサウル王の心にひそむ王位への執着心(しゅうちゃくしん)であった。表面はともかく、その信仰は言葉だけで、王位だけは他人に渡さず、サウル家で保持しなければならないと思い、どんなことがあってもダビデを殺そうと決めていた。使徒ヤコブは「欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ1:15同)と記したが、サウルの心は、神の愛を伝えようと世に来られたイエス・キリストを邪魔者(じゃまもの)あつかいし、どうしても除かなければと鳩首協議(きゅうしゅきょうぎ)したユダヤ人指導者とそっくりである。▼私たちも地上の権力や富、地位などに目がくらんでいると、悪魔に誘惑されて盲目になり、滅亡への道に落ちることがある。「そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言った。『私は無実の人の血を売って罪を犯しました。』しかし、彼らは言った。『われわれの知ったことか。自分が始末することだ。』そこで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして出て行って首をつった。」(マタイ27:3~5同)