皆様 おはようございます。
前回の「子を思う心は…本当に子のためか。」もお読みください。
そして下記を味わい日々、心に言い聞かせてみませんか。
以前、先輩グルバイ(ヨーガの友)からいただいた文章です。
祈りを習慣とする者は
容易にあらゆる困難に打ち勝つことができるでしょう。
そして また 人生の試練のただ中にあっても冷静沈着でいられるでしょう。
心に従うと混乱を招く
私たちがすべきことは、どんな時も ひたすら 真理に従うだけ。
皆様 おはようございます。
前回の「子を思う心は…本当に子のためか。」もお読みください。
そして下記を味わい日々、心に言い聞かせてみませんか。
以前、先輩グルバイ(ヨーガの友)からいただいた文章です。
祈りを習慣とする者は
容易にあらゆる困難に打ち勝つことができるでしょう。
そして また 人生の試練のただ中にあっても冷静沈着でいられるでしょう。
心に従うと混乱を招く
私たちがすべきことは、どんな時も ひたすら 真理に従うだけ。
今晩は、強い雨、三年前の豪雨を思い出します。お変わりありませんでしょうか。
子が眠くて泣きじゃくっているのにおっぱいをあげようとしない。どうしたのと聞くと?一歳の子におっぱいは栄養がないので、おっぱいを辞めた方が良いと保健センターで言われたと、頑張るお母さん。お母さんも子をあやしながら、その言葉が気になり、おっぱいをあげられなかったという。母子にとって不幸なことだと思わずにはいられなかった。そんなこと思わず今はあげればいいよ。子は直ぐに安心をして眠りについた。
確かに、おっぱいをあげておけば、おとなしくなるので、直ぐにあげている光景を目にすることは、今、おっぱい?遊んで欲しいと言っているのに口を塞ぎ母の都合を子に強いている。母はママ友とおしゃべり。ああ、と感じる。
これらは、確かに正しく指導して欲しい気がするが保健センターの問題だけではない、母自身が子育てに対して自信が持てていないのだ。
何故?
産めば母親になれる訳ではない。三人の子持ちであろうが同じである。初めての子は母も子と向き合い方が分からず、右往左往しているが三人目ともなると慣れてくるので余裕がある。しかし、その子に正しく寄り添えているかということだ。慣れは分かったことではない、母の心の方向性が変わらない限り、子と正しく向き合うことはできない。
小さなことに母心は右往左往している時、子が欲しがる事柄を感じることはできない。三歳までは子が欲しがる事柄を与えれば良いのだ。与える側(母)の姿勢(心の状態)が大事なだけである。
では、どうすればいいのですか?と尋ねられるでしょう。
お釈迦様は正しく見よ、と言われた。正しく見る(正見)とはどういうことなのか。正しく真実を見ることだ。この世はすべて苦しみ(一切皆苦)と言われた。苦しみには必ず原因が存在する。原因は自らが作っていることを知る。(すべては自業自得である)その原因を理解し消滅させない限り、繰り返し苦しみは現れることになる。真実を理解し、心に言い聞かせ日々精進することである。これは子育てが特別ではない。すべての人にいえることである。
その事柄をどのように思い、語り、行為するかということに関して子育ては特別ではない。子育ては確かに不自由な状況が多い、故に心は乱れやすくなる、それが現実である。子育ては思いようにならないことを知ることである。
我が子は子自身の命を生きるために、目的を達成するために母を選び生まれたことを知ることである。
母の思いの押し売りは必要ない。子にとって迷惑なのである。
母は、我が子を大切に育てることにより、子を愛おしいと思えるようになる。その思いが深く子を思うことで真実の愛を知ることになる。そのことは母自らの命を感じることにつながるのである。子育ては母の生まれた目的を知ることにつながるのである。故に真剣に子と向き合うことが大事。三歳までは特に子自らが感情コントロールができない時期、その時こそ母の深い愛が必要なのだ。
世の中の仕事よりも大切が仕事(役割)なのだ。
お金のため、母自らの名誉のために働くことは大事ですか?
活動を通して、母子の幸せを願わずにはいられない。