銀河夢急行

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国鉄時代中期に流行っていた、吊り掛け駆動電車の車体更新。

2024年12月05日 20時06分47秒 | 鉄軌道
最近の国内の鉄道新造車両は殆どが純新車に。VVVF制御走行システムやWN駆動装置、純電気ブレーキ装置、空気バネ台車等が量産化で、かなりコストダウンしたことが背景か。
これとは対照的に、今から約半世紀前は地方中小電鉄での新車と言えば、ごく一部の例外を除けば、イコライザー台車や自動空気ブレーキ、吊り掛け駆動装置などを上手い具合に流用して、冷房装置搭載の車体だけ新造するのが、むしろ一般的だったと記憶しています。
また名鉄や近鉄、東武鉄道など大手私鉄でも、特に通勤型や一般型はこうした車体更新車両を新造車扱いしていたものでした。
さて、当時の国鉄はどうだったのか?
既にファンからも忘れ去られたものとしては、身延線向けに造られた62系と仙石線向けに造られた72系(600番代?)がそうですね。
62系は走行システムはすべて在来車両から流用し、車体だけを113系並みにした感じでした。勿論、非冷房。在来の旧性能車とも併結は可能でしたが、編成中に挟んでの使用は出来ませんでした。車体はスカ色だったかな。
72系は同様に103系並みの高運転台構造且つ片側両開き式の4扉で、車体はウグイス色だったかと思います。
しかしながら乗り心地が悪くて不評。程なく新性能車の115系や103系初期型に交代しています。いずれも活躍期間は約10年だったらしい。
72系はその後、車体をそのままに103系に改造されて冷房車化。川越線や八高線南部に活躍の場を移しました。JR東日本発足後には209系やE231系に交代して、割合早めに廃車されています。
今となっては、余り考えられないような新造車両でしたよ。
その頃、近鉄名古屋線では初代1000系や初代1300系という吊り掛け駆動の新造車両が確かにいましたね。但し、いずれもブレーキ装置(HSC型)を新調されたためか、当時のWN駆動車両(1600系や1810系等)との併結運用は可能でした。こちらは私自身も名古屋〜四日市の急行にて乗り合わせた覚えがあります。
名鉄では7300系や3780系、2代目3300系とか6750系が好例。ブレーキ装置も流用されたため、SR車や6000系との併結は出来ませんでしたね。むしろ800系とか3800系などオンボロ電車のAL車等と併結していました。
東武鉄道でも5050系や5070系は、旧性能な7800系の走行機器を流用した冷房通勤車でした。ブレーキ装置はHSC型になったものの、8000系との併結運用は殆ど行われていませんでしたね。
名鉄では画像の2代目5000系も、そのような車体更新車両ですが、流用した走行機器はどれも、かなりの良品!! まだまだ廃車を考えるには余りにも勿体ない!!
これからも十分に末長く活躍出来そうですね。うん。



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8 コメント

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Unknown (fantasyexpress)
2024-12-07 10:01:18
ちなみに名鉄は第1次石油危機に見舞われる前では、頑なにも小型高速モーターにこだわり、カルダン駆動のSR車にT車は原則、設けませんでしたね。
6000系からようやくMT編成に。しかしながら、これもAL車並みの高速性能。本格的に採用されたのは5700系からだと言えます。
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Unknown (Unknown)
2024-12-07 07:28:30
>fantasyexpress さんへ
>やはり、これからの電車は1M1T方式、つまり1M方式が一番だ!!... への返信

名古屋市営地下鉄の第三軌条線は、1980年登場の5000形からTcMMの3両ユニットを日本つなげた6両固定編成で組成されています。
3050形と6000形はMTユニットを複数つなげた仕組み(6000形のみ3両目の6300形は変則的なM車)、N3000形と6050形のM車は全て中間車になりました。
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Unknown (fantasyexpress)
2024-12-06 20:36:20
やはり、これからの電車は1M1T方式、つまり1M方式が一番だ!!
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Unknown (fantasyexpress)
2024-12-06 13:49:03
詳しい解説、誠にありがとうございます。
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Unknown (GE CF6-80C2B7F)
2024-12-06 11:44:18
国鉄の62系(クハ66、モハ62)は車体の塗り分けから113系の車体に旧型国電の足回りを組み合わせたと言われてますが、車体はクハはシャッター付きタイフォンで、乗降扉は半自動扉なので、115系300番台ではないか?と思っています。
因みに車体台枠は旧型国電の台枠を流用してるので、台枠部分が直線になった独特な形状をしてました。

この62系は国会でも車両の古さを何とかしろと言われた身延線に投入されてお客様から好評でしたが、走行機器は旧型電車と変わらないのでランニングコストが劣り、1982年に“本物の115系”である115系2000番台が投入されると予備車になって、1984年の浜松機関区の一般公開での休憩所を兼ねた展示を最後に休車になって、西浜松や富士宮の電留線を転々としながら、国鉄分割民営化直前の1986年12月に除籍されました。

除籍後も直ぐには解体されず富士宮に放置された後にクハ66002の運転台部分がカットボディになってJR東海の佐久間レールパークで運転シミュレーターとして活用されてましたが、2009年の同パーク閉鎖に伴い現地で解体されました。

余談ですが62系が新性能化されなかったのは、1984年以降の地方線区は3両編成での運行が主体で、4両編成だった62系では輸送力が過剰なので、新性能化は見送られたと言われてます。

長々とコメント失礼しました。
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Unknown (fantasyexpress)
2024-12-06 05:57:45
これからの5000系の在り方も問われそうですね。
運用には苦労を強いられているような。
今のままでも、ギア比が近い6500系や6800系ならば営業併結も可能な筈。しかしながら、安定した運用を選ぶならば、5000系の走行システムを微調整して6500系に合わせた方が無難でしょうね。
また、ワンマン対応化も必要だろう。
5000系のブレーキを電気指令式に改造すれば確かに9500系とも併結可能かもしれないが、これはやめた方が良いのでは?
近鉄8A系は随分な冒険をしているようだが。うん。
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Unknown (fantasyexpress)
2024-12-05 22:39:51
その可能性もありますね。
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Unknown (SN)
2024-12-05 20:41:28
5000系は車体更新車では長寿になりそうですね ただ3150系とかよりは短命になりそうですね(連結できる車両が限られるから)
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