白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して」
【主は意志を持って死ぬことにした。「この命は私から奪い取るものではなく、私がそれを与える。」】
私たちの主は、本当の意味で十字架上に死に給いました。悲嘆を叫び出して死に給いました。そういえば、それは不可解な叫びと言えます。というのも、当然のことなのですけれど、十字架刑にかかっている受刑者は呼吸することが非常に困難だからです。身体の体重の影響で全身が下へ落ちようとしますが、より高いところに腕が釘付けられたので、肺臓が詰まったような状態となっています。従って、呼吸するには受刑者がどうかして一瞬でも身体を持ちあげることになります。すると、大変な苦しみになります。自分の身体を持ちあげる為には、釘付けられた足或いは釘付けられた手の釘で体を支えないと持ちあがらないからです。すると、激しい苦しみになってしまいます。ちょっとでも身体を持ちあげて、肺がちょっと楽になって一息できるということです。
従って、この状態におかれて、叫び出すことは肉体的にいうと無理なことです。ところが、私たちの主が仰せになったとおりです。「この命は私から奪い取るものではなく、私がそれを与える」
私たちの主は、死を自由に選び給った、意図的に死ぬことになさったということです。御自分の意志をもって、死ぬことになさいました。御自分の意志をもって、ご自分の霊を御父の御手に委ねました 。消極的に死んでしまったのではなく、積極的に死に給うたということです。意志をもって、死ぬことを決め給いました。「御自分の霊を委ねた」と。
私たちなら、普通の人間なら、自分の霊を委ねることを決めることは出来ません。ところが、天主である私たちの主は、十字架上でそのことができました。主の死は、自由意志をもった積極的な行為なのですが、ご自分の御霊魂を御父に委ねるという行為です。それが私たちの主の十字架上の御言葉の最後の御言葉でした。死に給いました。
【大自然が喪に服す】
そこで、ユダヤ人たちは「やった!」と思い、それで片付けたかったでしょう。イエズスの事件は片付いたし、もう忘れよう、翌日の安息日の準備があるし、しかも過越し祭なので、やることはいっぱいだと、皆、解散して家に帰ります。
でも、そういうわけにはいかないでしょう。天主を殺してしまって、罰せられずに済むことではないのです。主を死刑執行してしまい報復を受けずに済むわけがないのです。
しかも、大自然の創造主が、十字架上でそれほどの侮辱を受けられたという光景の前で、大自然でさえ憤慨してしまいました。従って、主の死に給う瞬間、多くの大異変が起きました。福音史家も記した奇跡です。また当時の歴史家たちも関係のないところにいても、それらの大異変を記録しています。
死に給うた直後に大異変が起きたことの、これは確認のとれる史実です。あえて言えば、大自然の喪です。また自分の創造主の死の前に、大自然が表した悲痛な具体的な表現です。自分の創造主を嘆く大自然の。
【原因不明な暗闇が地を覆う】
大異変にはなにがあったでしょうか。前回に見た「暗闇」がありました。第六時(正午)から第九時(午後三時)まで暗闇が地面を覆いました。第九時ごろに私たちの主が死に向かわれ給うたということで、午後三時ごろに死に給ったのです。つまり三時間ぐらいにわたって、地上が暗闇に覆われました。原因不明、説明不可能な暗闇でした。
【地震】
そして、死に給うた時、地震も起きました。地面や巌は割れてしまいました。そういえば、現地の地面を地質学的に研究した成果によると、当時の地震で確認できたひびが地下断層(地脈)と全く関係なく割れていたのです。要するに、死に給うた時の地震は、非常に不自然でした。通常の地震ではなくて、奇跡に他なりません。「地は振るい、岩は割れ」
【墓が開いて死者がよみがえる】
そして、「墓は開き、眠っていた聖徒の屍は数多く生き返り」 ました。きっと、エルサレムに恐怖を引き起こしたことでしょう。もう一度、この死刑の受刑者が主だったことを改めて裏づける出来事でした。つまり、本当のメシアを死刑にしてしまったもう一つの証拠となりました。確かに、それほど多くの違う奇跡と大異変が、特定の一人の死の際に起きたことなどまったくなかった出来事でしたから。
なぜ、死に給った時に、死者が生き返ったのでしょうか。私たちの主は命の源である上、死に給うたことによって、ご自分の命を私たちに与え給うのですから、当然ながら、それが直ぐに実現し、エルサレムに葬られた多くの屍が生き返りました。それらの死者は何時から葬られていたか不明ですが、それはともかく、死者を蘇らせることによって、私たちの主が「私が命である」ということを改めて示し給うたので大事な件です。そして、命である上、死に給うことによって御自分の命を与え給うということをも示されています。私たちは、主の死によってこそ、贖われたということです。
そして、きっとのことですが、生き返った死者たちは、親戚をはじめ人々を訪問したりして、私たちの主の天主性を語って証言したことでしょう。
大異変を単なる自然の出来事だと訴えようとしていた人々の前に、生き返った死者が出てきたら、どうやって自然の出来事であると説明できるでしょうか。いや、私たちの主が天主であることを示す奇跡でした。
【神殿の幕が上から下に二つに裂ける】
その上に死に給った時に、第三の出来事が起きました。神殿でのことでした。想像してください。翌日の過越し祭のために、子羊の生贄の準備をしている途中でした。神殿の中には「聖所」という部分がありますが、「聖所」の奥に「至聖所」と呼ばれているところもありました。「至聖所」は幕をもって外からその中が常に隠されていたのです。大司祭しか、年一回に限って、「至聖所」に入れなかったのです。そして、翌日の生贄への準備に忙しく、子羊を連れて来たりしていた時に起きた出来事です。準備で多くの人々が神殿にいたので、目撃者が多くいました。
福音史家が記している出来事ですが、いきなり「実にそのとき(死に給うた時)神殿の幕は上から下に二つに裂け」 ました。神殿の幕が裂けたという出来事は、旧約の終結を具体的に表明する出来事です。旧約はそれで死にました。また、その時以来、旧約は廃(すた)れます。旧約はそれでもう無効となりました。動物の生贄はもうその時から無効となり、効果もなくなりました。至上なる生贄が既に実現したので、私たちの主の十字架上の生贄にしか価値がなくなったということです。
注意すべきことは、神殿の幕が二つに裂けたことを見た人々が多かったということです。司祭らをはじめとして。その出来事は、人間による出来事でもなかったし、自然による現象でもなかったので、司祭らがこれを見て目覚めればよかったのに。
天主の御意志を自明に示された出来事だったわけです。というのも「至聖所」というところは、「天主」が具体的にお住まいになっていた場所だったわけです。要するに、幕が裂けることによって「この神殿に、我は、天主は、もういないぞ」とのことを自明なほど示す出来事だったのです。
だれの目にも明らかな意味だったに違いありません。司祭らもそれを理解したはずです。旧約はそれでもう「おしまいだ」と。私たちの主の死によって、旧約がもう「終わった」、終了だということは明らかになりました。
また、旧約の生贄は、私たちの主の至上なる生贄の前兆に過ぎなかったことも自明になりました。従って、十字架上の最高の生贄が実現された瞬間、旧約の生贄の役割は済んで、前兆が消えるわけです。そこで「幕が二つに上から下に裂け」ました。
~~
十字架の下に、番人の百夫長がいましたが、「大声で叫び、そして息を引き取られた」 私たちの主を見ていました。百夫長をはじめ、人々はこれを見ると、信仰を宣言しました。百夫長がまず「本当にこの人は天主の子だった」 と言いました。この百夫長は、ユダヤ人ではない異国人として回心する始めての人だったでしょう。この出来事も繰り返し「贖罪の普遍性」を語ります。救いは全人類のためにあるということをしめします。「本当にこの人は天主の子だった」 。百夫長に限らず、福音史家によると、「百夫長とともに、イエズスを見張っていた人々は、この地震と発生した事件を見て驚き、「本当にこの人は天主の子だった」と言い合った」 。「また、これを見に集まった人々も起こったことを見て、みな胸を打ちながら帰っていった」 。自分の犯した罪に対する悔悛を表す行為だったでしょう。
【サタンは「勝利だ!」と思ったその瞬間、自分の敗けを理解した】
死に給うた時、地獄で起きたことも容易に想像できます。サタンの叫びを容易に想像できます。サタンが「勝ったぞ!」と思いきや、敗戦してしまい私たちの主の勝利を見てしまったのですから。サタンがその人を死刑執行させて「十字架に付けさせることによって「天主の呪い」をやっと被らせ得たぞ。勝利だ!」と思いきや、打って変わって、サタンのやったことは、不本意ながらも、結局、天主の御計らいを助けただけだったのです。要するにサタンは不本意ながらも、否でも、天主の道具となって、自分で自分の敗戦を助けたということです。どれほどサタンにとってすさまじい事であるか想像に難くないでしょう。イエズスが死に給うたときにこそ、サタンがいよいよ担がれたことがわかった瞬間です。サタンが負けたときでした。私たちの主は、仰せになった通りに「勝利」しました。だから、サタンが悲嘆の叫びを出して、地獄ですさまじく恐ろしい事が起きただろうことは想像に難くないのです。
~~
【イエズスのすねは折られず、槍で脇が突き刺され血と水が流れた】
以上、私たちの主が死に給うた時に起きた諸々の出来事をご紹介しました。次は、十字架上のお体を処置することです。というのも、安息日までに、処置すべき規定があったので、日暮れるまでに、御体を十字架から降ろすことにしました。
そこで、司祭らがピラトのところに行って、「日暮れまでに死なせてもらおう」との要求を出しました。ピラトは「良し」と言って、受刑者にとどめを刺すため、命令して兵隊を送りました。大きいこん棒をもって十字架の下まできました。具体的に言うと、十字架刑で「止めを刺す」という命令は、こん棒で十字架刑の受刑者のすねを打って潰すことです。言い換えると、十字架に付けられたまま、こん棒を持つ兵隊が受刑者の十字架のところにきて、受刑者のすねとその骨を打ち砕くのです。そうすると受刑者は窒息して死んでしまうのです。受刑者はもう全身を持ちあげることができなくなってしまうので、肺が圧迫されたままになって、呼吸ができなくなり、窒息し即死してしまいます。
こん棒を持つ兵隊たちが、二人の盗賊者とイエズスの立っている三本の十字架に近寄ります。まず一人目の盗賊者のすねを叩き潰します。「兵隊たちが来て、まず共に十字架につけられた一人、そしてもう一人のすねを折った」 。続いて、「しかしイエズスの所に来るともう死んでおられたので、そのすねを折らなかった」 。私たちの主は頭を垂れて、身体は硬直していました。私たちの主はもう死んでおられたので、すねを折る必要がなかったのです。
続いて「そのとき一人の兵士が槍で脇を突いたので、すぐ血と水が流れ出た」 。槍を斜めに刺されたので、あばら骨の隙間を通って、心臓に突いたということです。聖ヨハネ福音史家が十字架の下にまだいたので、その事実を特に記して、証明します。そして、脇が突かれた上、「血と水」が流れ出たことを見たことを聖ヨハネが記して証明しました。聖ヨハネの大事な証言です。
なぜかというと、預言には「その骨は一つも折られないだろう」 という預言があったからです。死んでおられたので、こん棒で折られずに、一つの骨も折られずに済んで、預言が実現しました。それから、流れ出る「血」は人間の霊魂に生命を与える「御聖体」を象徴しています。また、「水」は人間の霊魂を再生し、超自然の命を与える洗礼を象徴しています。
洗礼と御聖体による素晴らしい効果は私たちの主の十字架のお陰でこそ、十字架を持ってこそ得られるのです。言い換えると、十字架から公教会が生まれます。あえて言えば、やりに突かれた聖心からこそ、公教会が流れ出ます。
私たちの主は死に給いました。槍のひと突きによって既に死んでおられたことをさらに示したのです。
【主は十字架から下ろされる】
次に、死んでおられたので、私たちの主は十字架から下ろされました。釘などを抜き、当時の習慣に従って、受刑に利用された道具と一緒に葬られます。つまり、釘と他の道具と一緒に葬られました。
降ろされた時に、二人のユダヤ人が近寄ります。一人は、貴族出身と思われるアリマタヤのヨゼフでした。アリマタヤのヨゼフはピラトに直接にイエズスの死体を要求し、ピラトが確かに死んだことという確認が取れたので、ヨゼフの依頼に応じました。
もう一人は、律法学者のニコデモでした。サンヘドリン(衆議会)の一員でした。私たちの主のところに夜中に一回だけ話しに来たこのニコデモが近寄りました。二人で、おそらく聖ヨハネも手伝わって、私たちの主の御体を十字架から取り外し下ろしました。ニコデモは香料と葬式用の布類を持ってきました。ユダヤ人の習慣に従って、香料をつけて、ニコデモが持ってきた麻布に包んだと思われます。日暮れるまで、時間がなかったので、慌ててしましたが、時間の許す限り、できるだけ応分に私たちの主を葬りました。
【聖母はイエズスの御体を抱く:ピエタ】
御体を十字架から取り外した直ぐ後、香料と遺骸布との作業の前に、きっと聖母が抱き給うたとおもわれます。十字架道行の第13留で伝わった出来事で、そして、ずっとそれからキリスト教の芸術では、その場面を絶えず描き続けてきました。
「聖母マリアは御なきがらを抱き給い、その御色ざし、御顔、御手足、および御脇腹の傷を見て、絶えいるばかり嘆き給う」という場面を描いた、聖母像「Pieta」という石像があります。33年前に、聖母は幼きイエズスを抱っこされました。立派な可愛い聖母の赤ん坊だったと共に、聖母の天主でもあったイエズス。十字架の下で、イエズスは、聖母の子とともに、聖母の天主である上、人間の贖い主でもあります。天主なる御自分の子の御体を十字架の下に降ろされて改めて抱いておられました。しかしながら、日暮れまでに葬らなければならないので、余りゆっくりもできなかったのです。
【イエズスは聖骸布に包まれて、新しい墓に葬られる】
近くに或る園がありましたが、その中に一つの洞窟がありました。その洞窟はアリマタヤのヨゼフが以前に購入した場所でしたが、自分の葬式を用意するために購入しておいた墓用の新しい洞窟でした。アリマタヤのヨゼフが私たちの主のために、洞窟をさしあげました。そして、主の御体を洞窟まで運び、洞窟内に、遺骸布を敷いて、その上に私たちの主の御体を置きました。置く前に、急いでいたから、慌てて手短く、清めるために、死体に最低限の香料を付けました。そして、遺骸布で私たちの主の御体を頭から包みました。他の布類をも使って包みきって、洞窟の墓を閉めました。洞窟に入る穴に大きいな岩を転がして塞いでおきました。
この場面を最初から最後まで見ていた人がいます。聖マリア・マグダレナです。聖婦人の一人である聖マリア・マグダレナですが、主が罪を赦した聖マリア・マグダレナです。十字架の下にずっといましたし、前もって聖墓の場所をも片付けて準備しておきました。カルヴァリオ山の近くにあったので、分かりやすい場所でしたけど、死体防腐処置の作業をする時間はあまりにも足りず、最低限のものだけを取り合えずしておいて、安息日と過越し祭が終わったら、聖マリア・マグダレナをはじめ、防腐処置作業を済ませるために戻らざるを得ないという状態でした。
従って、その後まだ戻らなければならないので、聖マリア・マグダレナが総てを見守りながら、場所も岩の位置もすべてをよく覚えておきます。そして、岩を転がして塞いだら、皆、しょんぼりしながら帰りました。一旦、悲劇の閉幕となりました。私たちの主は「死して葬られた」。もう終わった。
【ユダヤ人たちはピラトに墓に番兵を要求する】
そこで、驚くべき事実があります。本来ならば、普通に考えると、使徒たちをはじめ、イエズスを愛していた人々が、尤もなことですが、悲しんで、その分、イエズスを殺そうとし殺し得たユダヤ人たちが喜んでいたはずだろうと思うでしょう。しかしながら、いよいよイエズスを殺すことが出来たのに、その喜びがある種の恐れに邪魔されています。私たちの主が死に給うた状態になってでさえ、ユダヤ人たちが私たちの主を恐れているということです。
すごいことでしょう。なぜかというと「復活して見せるよ」とイエズスが仰せになったわけですからね、ユダヤ人たちが気になって落ち着きません。どうしたかというと、ユダヤ人たちはピラトをもう一度訪問しました。ピラトに、聖墓のところに、「番兵を置いてくれ」といった要求をだしました。
そして、その通り、聖墓に番兵たちが置かれました。復活するのを恐れていたので、その対策を思いついたのでしょう。可愛そうなユダヤ人たち!私たちの主が天主なら、番兵たちがいるぐらいで、どうするつもりでしょうか。ピラトは一応許可しますが、ピラトの番兵たちではなくて、司祭たち自身の「番兵たちを置いてもかまわない」ということで、番兵たちが聖墓の前に置かれました。
私たちの主の弟子たちは悲しみで一杯でした。かれらは、まだ御受難が何だったかよく理解していませんでした。
そして、ユダヤ人たちの側では、恐れの気持ちでいっぱいでした。
これをもって、聖金曜日が終わります。この聖金曜日こそが、結局、人類の歴史全体の中心の中心である一日です。全人類が贖われた一日ですから。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
公教要理-第四十四講 贖罪の玄義・歴史編・その十二・死して葬られ
「ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して」
【主は意志を持って死ぬことにした。「この命は私から奪い取るものではなく、私がそれを与える。」】
私たちの主は、本当の意味で十字架上に死に給いました。悲嘆を叫び出して死に給いました。そういえば、それは不可解な叫びと言えます。というのも、当然のことなのですけれど、十字架刑にかかっている受刑者は呼吸することが非常に困難だからです。身体の体重の影響で全身が下へ落ちようとしますが、より高いところに腕が釘付けられたので、肺臓が詰まったような状態となっています。従って、呼吸するには受刑者がどうかして一瞬でも身体を持ちあげることになります。すると、大変な苦しみになります。自分の身体を持ちあげる為には、釘付けられた足或いは釘付けられた手の釘で体を支えないと持ちあがらないからです。すると、激しい苦しみになってしまいます。ちょっとでも身体を持ちあげて、肺がちょっと楽になって一息できるということです。
従って、この状態におかれて、叫び出すことは肉体的にいうと無理なことです。ところが、私たちの主が仰せになったとおりです。「この命は私から奪い取るものではなく、私がそれを与える」
私たちの主は、死を自由に選び給った、意図的に死ぬことになさったということです。御自分の意志をもって、死ぬことになさいました。御自分の意志をもって、ご自分の霊を御父の御手に委ねました 。消極的に死んでしまったのではなく、積極的に死に給うたということです。意志をもって、死ぬことを決め給いました。「御自分の霊を委ねた」と。
私たちなら、普通の人間なら、自分の霊を委ねることを決めることは出来ません。ところが、天主である私たちの主は、十字架上でそのことができました。主の死は、自由意志をもった積極的な行為なのですが、ご自分の御霊魂を御父に委ねるという行為です。それが私たちの主の十字架上の御言葉の最後の御言葉でした。死に給いました。
【大自然が喪に服す】
そこで、ユダヤ人たちは「やった!」と思い、それで片付けたかったでしょう。イエズスの事件は片付いたし、もう忘れよう、翌日の安息日の準備があるし、しかも過越し祭なので、やることはいっぱいだと、皆、解散して家に帰ります。
でも、そういうわけにはいかないでしょう。天主を殺してしまって、罰せられずに済むことではないのです。主を死刑執行してしまい報復を受けずに済むわけがないのです。
しかも、大自然の創造主が、十字架上でそれほどの侮辱を受けられたという光景の前で、大自然でさえ憤慨してしまいました。従って、主の死に給う瞬間、多くの大異変が起きました。福音史家も記した奇跡です。また当時の歴史家たちも関係のないところにいても、それらの大異変を記録しています。
死に給うた直後に大異変が起きたことの、これは確認のとれる史実です。あえて言えば、大自然の喪です。また自分の創造主の死の前に、大自然が表した悲痛な具体的な表現です。自分の創造主を嘆く大自然の。
【原因不明な暗闇が地を覆う】
大異変にはなにがあったでしょうか。前回に見た「暗闇」がありました。第六時(正午)から第九時(午後三時)まで暗闇が地面を覆いました。第九時ごろに私たちの主が死に向かわれ給うたということで、午後三時ごろに死に給ったのです。つまり三時間ぐらいにわたって、地上が暗闇に覆われました。原因不明、説明不可能な暗闇でした。
【地震】
そして、死に給うた時、地震も起きました。地面や巌は割れてしまいました。そういえば、現地の地面を地質学的に研究した成果によると、当時の地震で確認できたひびが地下断層(地脈)と全く関係なく割れていたのです。要するに、死に給うた時の地震は、非常に不自然でした。通常の地震ではなくて、奇跡に他なりません。「地は振るい、岩は割れ」
【墓が開いて死者がよみがえる】
そして、「墓は開き、眠っていた聖徒の屍は数多く生き返り」 ました。きっと、エルサレムに恐怖を引き起こしたことでしょう。もう一度、この死刑の受刑者が主だったことを改めて裏づける出来事でした。つまり、本当のメシアを死刑にしてしまったもう一つの証拠となりました。確かに、それほど多くの違う奇跡と大異変が、特定の一人の死の際に起きたことなどまったくなかった出来事でしたから。
なぜ、死に給った時に、死者が生き返ったのでしょうか。私たちの主は命の源である上、死に給うたことによって、ご自分の命を私たちに与え給うのですから、当然ながら、それが直ぐに実現し、エルサレムに葬られた多くの屍が生き返りました。それらの死者は何時から葬られていたか不明ですが、それはともかく、死者を蘇らせることによって、私たちの主が「私が命である」ということを改めて示し給うたので大事な件です。そして、命である上、死に給うことによって御自分の命を与え給うということをも示されています。私たちは、主の死によってこそ、贖われたということです。
そして、きっとのことですが、生き返った死者たちは、親戚をはじめ人々を訪問したりして、私たちの主の天主性を語って証言したことでしょう。
大異変を単なる自然の出来事だと訴えようとしていた人々の前に、生き返った死者が出てきたら、どうやって自然の出来事であると説明できるでしょうか。いや、私たちの主が天主であることを示す奇跡でした。
【神殿の幕が上から下に二つに裂ける】
その上に死に給った時に、第三の出来事が起きました。神殿でのことでした。想像してください。翌日の過越し祭のために、子羊の生贄の準備をしている途中でした。神殿の中には「聖所」という部分がありますが、「聖所」の奥に「至聖所」と呼ばれているところもありました。「至聖所」は幕をもって外からその中が常に隠されていたのです。大司祭しか、年一回に限って、「至聖所」に入れなかったのです。そして、翌日の生贄への準備に忙しく、子羊を連れて来たりしていた時に起きた出来事です。準備で多くの人々が神殿にいたので、目撃者が多くいました。
福音史家が記している出来事ですが、いきなり「実にそのとき(死に給うた時)神殿の幕は上から下に二つに裂け」 ました。神殿の幕が裂けたという出来事は、旧約の終結を具体的に表明する出来事です。旧約はそれで死にました。また、その時以来、旧約は廃(すた)れます。旧約はそれでもう無効となりました。動物の生贄はもうその時から無効となり、効果もなくなりました。至上なる生贄が既に実現したので、私たちの主の十字架上の生贄にしか価値がなくなったということです。
注意すべきことは、神殿の幕が二つに裂けたことを見た人々が多かったということです。司祭らをはじめとして。その出来事は、人間による出来事でもなかったし、自然による現象でもなかったので、司祭らがこれを見て目覚めればよかったのに。
天主の御意志を自明に示された出来事だったわけです。というのも「至聖所」というところは、「天主」が具体的にお住まいになっていた場所だったわけです。要するに、幕が裂けることによって「この神殿に、我は、天主は、もういないぞ」とのことを自明なほど示す出来事だったのです。
だれの目にも明らかな意味だったに違いありません。司祭らもそれを理解したはずです。旧約はそれでもう「おしまいだ」と。私たちの主の死によって、旧約がもう「終わった」、終了だということは明らかになりました。
また、旧約の生贄は、私たちの主の至上なる生贄の前兆に過ぎなかったことも自明になりました。従って、十字架上の最高の生贄が実現された瞬間、旧約の生贄の役割は済んで、前兆が消えるわけです。そこで「幕が二つに上から下に裂け」ました。
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十字架の下に、番人の百夫長がいましたが、「大声で叫び、そして息を引き取られた」 私たちの主を見ていました。百夫長をはじめ、人々はこれを見ると、信仰を宣言しました。百夫長がまず「本当にこの人は天主の子だった」 と言いました。この百夫長は、ユダヤ人ではない異国人として回心する始めての人だったでしょう。この出来事も繰り返し「贖罪の普遍性」を語ります。救いは全人類のためにあるということをしめします。「本当にこの人は天主の子だった」 。百夫長に限らず、福音史家によると、「百夫長とともに、イエズスを見張っていた人々は、この地震と発生した事件を見て驚き、「本当にこの人は天主の子だった」と言い合った」 。「また、これを見に集まった人々も起こったことを見て、みな胸を打ちながら帰っていった」 。自分の犯した罪に対する悔悛を表す行為だったでしょう。
【サタンは「勝利だ!」と思ったその瞬間、自分の敗けを理解した】
死に給うた時、地獄で起きたことも容易に想像できます。サタンの叫びを容易に想像できます。サタンが「勝ったぞ!」と思いきや、敗戦してしまい私たちの主の勝利を見てしまったのですから。サタンがその人を死刑執行させて「十字架に付けさせることによって「天主の呪い」をやっと被らせ得たぞ。勝利だ!」と思いきや、打って変わって、サタンのやったことは、不本意ながらも、結局、天主の御計らいを助けただけだったのです。要するにサタンは不本意ながらも、否でも、天主の道具となって、自分で自分の敗戦を助けたということです。どれほどサタンにとってすさまじい事であるか想像に難くないでしょう。イエズスが死に給うたときにこそ、サタンがいよいよ担がれたことがわかった瞬間です。サタンが負けたときでした。私たちの主は、仰せになった通りに「勝利」しました。だから、サタンが悲嘆の叫びを出して、地獄ですさまじく恐ろしい事が起きただろうことは想像に難くないのです。
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【イエズスのすねは折られず、槍で脇が突き刺され血と水が流れた】
以上、私たちの主が死に給うた時に起きた諸々の出来事をご紹介しました。次は、十字架上のお体を処置することです。というのも、安息日までに、処置すべき規定があったので、日暮れるまでに、御体を十字架から降ろすことにしました。
そこで、司祭らがピラトのところに行って、「日暮れまでに死なせてもらおう」との要求を出しました。ピラトは「良し」と言って、受刑者にとどめを刺すため、命令して兵隊を送りました。大きいこん棒をもって十字架の下まできました。具体的に言うと、十字架刑で「止めを刺す」という命令は、こん棒で十字架刑の受刑者のすねを打って潰すことです。言い換えると、十字架に付けられたまま、こん棒を持つ兵隊が受刑者の十字架のところにきて、受刑者のすねとその骨を打ち砕くのです。そうすると受刑者は窒息して死んでしまうのです。受刑者はもう全身を持ちあげることができなくなってしまうので、肺が圧迫されたままになって、呼吸ができなくなり、窒息し即死してしまいます。
こん棒を持つ兵隊たちが、二人の盗賊者とイエズスの立っている三本の十字架に近寄ります。まず一人目の盗賊者のすねを叩き潰します。「兵隊たちが来て、まず共に十字架につけられた一人、そしてもう一人のすねを折った」 。続いて、「しかしイエズスの所に来るともう死んでおられたので、そのすねを折らなかった」 。私たちの主は頭を垂れて、身体は硬直していました。私たちの主はもう死んでおられたので、すねを折る必要がなかったのです。
続いて「そのとき一人の兵士が槍で脇を突いたので、すぐ血と水が流れ出た」 。槍を斜めに刺されたので、あばら骨の隙間を通って、心臓に突いたということです。聖ヨハネ福音史家が十字架の下にまだいたので、その事実を特に記して、証明します。そして、脇が突かれた上、「血と水」が流れ出たことを見たことを聖ヨハネが記して証明しました。聖ヨハネの大事な証言です。
なぜかというと、預言には「その骨は一つも折られないだろう」 という預言があったからです。死んでおられたので、こん棒で折られずに、一つの骨も折られずに済んで、預言が実現しました。それから、流れ出る「血」は人間の霊魂に生命を与える「御聖体」を象徴しています。また、「水」は人間の霊魂を再生し、超自然の命を与える洗礼を象徴しています。
洗礼と御聖体による素晴らしい効果は私たちの主の十字架のお陰でこそ、十字架を持ってこそ得られるのです。言い換えると、十字架から公教会が生まれます。あえて言えば、やりに突かれた聖心からこそ、公教会が流れ出ます。
私たちの主は死に給いました。槍のひと突きによって既に死んでおられたことをさらに示したのです。
【主は十字架から下ろされる】
次に、死んでおられたので、私たちの主は十字架から下ろされました。釘などを抜き、当時の習慣に従って、受刑に利用された道具と一緒に葬られます。つまり、釘と他の道具と一緒に葬られました。
降ろされた時に、二人のユダヤ人が近寄ります。一人は、貴族出身と思われるアリマタヤのヨゼフでした。アリマタヤのヨゼフはピラトに直接にイエズスの死体を要求し、ピラトが確かに死んだことという確認が取れたので、ヨゼフの依頼に応じました。
もう一人は、律法学者のニコデモでした。サンヘドリン(衆議会)の一員でした。私たちの主のところに夜中に一回だけ話しに来たこのニコデモが近寄りました。二人で、おそらく聖ヨハネも手伝わって、私たちの主の御体を十字架から取り外し下ろしました。ニコデモは香料と葬式用の布類を持ってきました。ユダヤ人の習慣に従って、香料をつけて、ニコデモが持ってきた麻布に包んだと思われます。日暮れるまで、時間がなかったので、慌ててしましたが、時間の許す限り、できるだけ応分に私たちの主を葬りました。
【聖母はイエズスの御体を抱く:ピエタ】
御体を十字架から取り外した直ぐ後、香料と遺骸布との作業の前に、きっと聖母が抱き給うたとおもわれます。十字架道行の第13留で伝わった出来事で、そして、ずっとそれからキリスト教の芸術では、その場面を絶えず描き続けてきました。
「聖母マリアは御なきがらを抱き給い、その御色ざし、御顔、御手足、および御脇腹の傷を見て、絶えいるばかり嘆き給う」という場面を描いた、聖母像「Pieta」という石像があります。33年前に、聖母は幼きイエズスを抱っこされました。立派な可愛い聖母の赤ん坊だったと共に、聖母の天主でもあったイエズス。十字架の下で、イエズスは、聖母の子とともに、聖母の天主である上、人間の贖い主でもあります。天主なる御自分の子の御体を十字架の下に降ろされて改めて抱いておられました。しかしながら、日暮れまでに葬らなければならないので、余りゆっくりもできなかったのです。
【イエズスは聖骸布に包まれて、新しい墓に葬られる】
近くに或る園がありましたが、その中に一つの洞窟がありました。その洞窟はアリマタヤのヨゼフが以前に購入した場所でしたが、自分の葬式を用意するために購入しておいた墓用の新しい洞窟でした。アリマタヤのヨゼフが私たちの主のために、洞窟をさしあげました。そして、主の御体を洞窟まで運び、洞窟内に、遺骸布を敷いて、その上に私たちの主の御体を置きました。置く前に、急いでいたから、慌てて手短く、清めるために、死体に最低限の香料を付けました。そして、遺骸布で私たちの主の御体を頭から包みました。他の布類をも使って包みきって、洞窟の墓を閉めました。洞窟に入る穴に大きいな岩を転がして塞いでおきました。
この場面を最初から最後まで見ていた人がいます。聖マリア・マグダレナです。聖婦人の一人である聖マリア・マグダレナですが、主が罪を赦した聖マリア・マグダレナです。十字架の下にずっといましたし、前もって聖墓の場所をも片付けて準備しておきました。カルヴァリオ山の近くにあったので、分かりやすい場所でしたけど、死体防腐処置の作業をする時間はあまりにも足りず、最低限のものだけを取り合えずしておいて、安息日と過越し祭が終わったら、聖マリア・マグダレナをはじめ、防腐処置作業を済ませるために戻らざるを得ないという状態でした。
従って、その後まだ戻らなければならないので、聖マリア・マグダレナが総てを見守りながら、場所も岩の位置もすべてをよく覚えておきます。そして、岩を転がして塞いだら、皆、しょんぼりしながら帰りました。一旦、悲劇の閉幕となりました。私たちの主は「死して葬られた」。もう終わった。
【ユダヤ人たちはピラトに墓に番兵を要求する】
そこで、驚くべき事実があります。本来ならば、普通に考えると、使徒たちをはじめ、イエズスを愛していた人々が、尤もなことですが、悲しんで、その分、イエズスを殺そうとし殺し得たユダヤ人たちが喜んでいたはずだろうと思うでしょう。しかしながら、いよいよイエズスを殺すことが出来たのに、その喜びがある種の恐れに邪魔されています。私たちの主が死に給うた状態になってでさえ、ユダヤ人たちが私たちの主を恐れているということです。
すごいことでしょう。なぜかというと「復活して見せるよ」とイエズスが仰せになったわけですからね、ユダヤ人たちが気になって落ち着きません。どうしたかというと、ユダヤ人たちはピラトをもう一度訪問しました。ピラトに、聖墓のところに、「番兵を置いてくれ」といった要求をだしました。
そして、その通り、聖墓に番兵たちが置かれました。復活するのを恐れていたので、その対策を思いついたのでしょう。可愛そうなユダヤ人たち!私たちの主が天主なら、番兵たちがいるぐらいで、どうするつもりでしょうか。ピラトは一応許可しますが、ピラトの番兵たちではなくて、司祭たち自身の「番兵たちを置いてもかまわない」ということで、番兵たちが聖墓の前に置かれました。
私たちの主の弟子たちは悲しみで一杯でした。かれらは、まだ御受難が何だったかよく理解していませんでした。
そして、ユダヤ人たちの側では、恐れの気持ちでいっぱいでした。
これをもって、聖金曜日が終わります。この聖金曜日こそが、結局、人類の歴史全体の中心の中心である一日です。全人類が贖われた一日ですから。