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イエズス・キリストはこれほどまで憐み深いお方!|終油の秘蹟

2021年04月18日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理 第百二十三講 終油の秘跡について



終油の秘蹟について
Gabriel Billecocq神父

前回、「死者の秘蹟とよばれる改悛の秘蹟」を見たのですが、次に、瀕死の人々のための秘蹟を紹介しましょう。
瀕死の人々のための秘蹟だからといって、死者の秘蹟ではなく、生者のための秘蹟なのです。というのも、終油の秘蹟を受けるためには、聖寵の状態にいなければなりません(霊が天主の生命の内に生きている状態)。
終油の秘蹟あるいは「病者の秘蹟」は聖寵の状態にある瀕死の信徒に授ける秘蹟です。終油の秘蹟は個人のための秘蹟の内の最後の秘蹟なのです。
そのあとの二つの秘蹟は婚姻と品級ですが、社会のためにある秘蹟となります。

さて、終油の秘蹟とはなんでしょうか?
病者の霊魂と肉身を助ける秘蹟なのです。他の秘蹟とおなじく、イエズス・キリストによって制定された秘蹟なのです。
ただし、具体的にいつの場面の時に制定されたかについては、なんとも言えないところです。福音書ではこの秘蹟の制定は記されていないからです。通説に従うと、イエズス・キリストの復活後に制定されたのだろうと思われています。

それはともかく、終油の秘蹟はユダの手紙において明記されています。その上、トレント公会議は改めて終油の秘蹟について秘蹟として断言しました。終油の秘蹟は本物の秘蹟であることは信条の一つであり、信じるべき信条です。イエズス・キリストによって制定された秘蹟です。
終油の秘蹟の場合、ユダの手紙においての痕跡があるものの、聖書に書かれたことというよりも、まさに聖伝において伝えられてきました。

要するに、病者の霊魂と肉身を助ける秘蹟なのです。聖油をもって司祭が瀕死の病人の身体に十字架を印すことから、「終油」と呼ばれます。つまり、死の審判に出廷する前の最後の塗油となるからです。

前にも見たように、最初の塗油は洗礼の際に行われます。第二の塗油は堅振の際に行われます。そして最後の塗油はこの終油の秘蹟の時です(司祭なら、第四の塗油になりますが)。

この秘蹟はある意味で最晩年の秘蹟だと言えましょう。ご覧のように、終油の秘蹟は救霊を得るために必要不可欠ではありません。洗礼が必要不可欠であることを見た通りです。洗礼を受けない限り、天国に行くことはできません。しかしながら、もちろん、終油の秘蹟を受けなくても、天国に行くことはできます。ただし、終油の秘蹟を受けることによって、多くの恵みを頂いて、逆に言うと、受けることができるものの、あえて受けないことにするのは大きな過失なのです。

もちろん、終油の秘蹟を受けられるように、司祭に頼むことは具体的に信徒たちにとってデリケートであり、頼みづらいところがあるのは事実です。というのも、終油の秘蹟を授けるような場合というと、瀕死である状態ということなので、親戚にとっても本人にとってもつらいです。地上の人生の終わりが近づいていることを意味します。また、同時に、永遠の命は近づいたことをも意味しますので、喜ばしいことでもあるのですが、人間的にみると我々、死すべきもの、罪深い者にとって、やはり、辛くて心配の時期でもあります。



さて、終油の秘蹟の質料は何でしょうか。遠因の質料は「病者の油」と呼ばれる油です。「病者の油」は聖木曜日の聖油のミサの際、司教が作って祝福する聖油です。「病者の油」をもって、司祭は病者の秘蹟を授けます。具体的に、病人の五感の器官に(目、耳、鼻、口、手、足)十字架を印します。そうすることによって、この五感によって犯された一生の罪のあとを除き、病人の罪の償いを得るための秘蹟です。

そして、目、耳、鼻、口、手、足に塗油しながら、司祭は次の言葉を言います。これは、秘蹟の形相となります。
「この聖なる塗油によりて神が汝を見、聞き、かぎ、触れることによりてなしたるすべての罪をゆるしたまわんことを」

で、具体的に、神父は聖油を指にこうやってちょっと取って、塗油していきます。まず、目に塗油しながら、「この聖なる塗油によりて神が汝を見ることによりてなしたるすべて罪をゆるしたまわんことを」それから、同じ言葉をもって、それぞれの五感に合わせて、耳、鼻、口、手と足に塗油していきます。毎回、それぞれの五感によって犯された罪の赦しと償いを希う祈りとなります。

司祭の塗油とその言葉、終油の秘蹟の中心部分となります。そうしながら、司祭は天主の慈悲があるように祈ります。
終油の秘蹟を受けた人々の証言によると、皆「受けてから、内面的に静謐な状態、安泰となった」といっています。これは間違いのないことです。終油の秘蹟を受けていないかぎり、認識しづらいことだと思いますが、終油の秘蹟を授けた多くの司祭たちの経験に照らして、皆、同じく証言しています。終油の秘蹟を受けてから、病人は安泰な状態となって、また「死ぬ覚悟ができた」といえるようになります。

それは、かなり印象に残る現象です。終油の秘蹟によって、恐ろしい死に対して、瀕死の信徒は穏やかになり、落ち着き、時に死を迎える喜びを得られます。つまり、終油の秘蹟によって、病人は毅然となりえるというか、強い姿勢で死を迎えて、また喜びをも得るというか、少なくとも霊魂は静謐になり安泰となります。終油の秘蹟の執行者は司祭です。

しかしながら、終油の秘蹟を受ける人には条件があります。洗礼者であり、分別がついた信徒(つまり、罪を犯しうる年齢になったという意味です)である条件もあります。つまり、一歳の赤ちゃんは死にそうになっても、終油の秘蹟を受けないのです。というのも、一歳の赤ちゃんは罪を犯せないし、既に洗礼によって赦されている原罪以外、罪を犯していないので、終油の秘蹟は不要です。(犯された罪の赦しを希う罪はないということです)。

そういえば、このような幼い子供は死んだときの葬式のミサは黒ではなく、白で、喜びに満ちている典礼です。というのも、洗礼者の幼い子は天国に行くのです。洗礼を受けたまま、罪を犯していないから、赤ちゃんの霊魂は清いからです。

要は、終油の秘蹟を受けるには、洗礼者であること、分別があること(罪を犯し得る状態にあるという)、それから、第三の条件は、深刻な病気になっていること。言い換えると、死に至らせる病気があるということです。もちろん、すぐ、この病気で死ぬことはなくても、終油の秘蹟を受けられます。ただし、死に至らせる病気である条件があります。この意味、いずれか必ず死ぬからとって「生きている」ということは病気ではないのですね。

それはともかく、たとえば、重い癌にかかった人とかは終油の秘蹟を受けられます。いわゆる、癌の場合、まだまだ最期に全くなっていないとしても、終油の秘蹟を受けることはできます。「霊魂と肉身を助ける」効果があります。ただ、同じ病気で、二度と、終油の秘蹟を受けることはできません。しかしながら、いわゆる、病気から治って回復して、そのあと、もう一度病気なったら、もちろん、終油の秘蹟を受けることはできます。

終油の秘蹟を受けるために、ぎりぎり、死ぬ直前をまって、最期を待つことは好ましくないことです。これは大事なことです。具体的に、その時が来たら覚えていただきたいと思います。最期がいつなるかは、結局誰も知らないので、終油の秘蹟を受けることを遅くしすぎるのはだめです。あと、昏睡の状態になってしまった時、終油の秘蹟を受けることもできませんので、大変なことになります。ですから、このようなことにならないように、あまり待たないで、終油の秘蹟を受けましょう。

司祭は、終油の秘蹟を授けに来る際、その前に告解の秘蹟を授けます。そして、聖体拝領をもさせます。意識を失っている人は残念ながらも告解することはできないわけですよ。いつもミサに通っている信徒なら、それでも改悛の徳を持っていることに期待して、お赦しを頂ける状態にあることに期待されますが、やはりそれでも弊害があります。

しかしながら、あまりミサに与っていない信徒なら、改悛の徳を得るかどうかは非常に微妙な場合、どうなるかは大変でしょう。その場合、意識を失ったなら、司祭が来てもあまり何もできないわけです。信徒の内面的な状態に関して、司祭は何ともできないからです。



ですから、自分が大変な病気になったらぎりぎり最期まで待たないで、終油の秘蹟を受けましょう。また、自分の親戚が重い病気になったら、その人の最期を待たないで、しつこくても、親戚が死をよく迎えられるように助けましょう。準備しましょう。いずれか皆、死ぬので、親戚に対してなるべく早く司祭の訪問があるように助けましょう。

繰り返しますが、司祭としての経験からすると、終油の秘蹟を受けるお恵みは非常に大きいです。証言は数え切れないほどに多いです。いや、司祭の親戚だけの話でも、よく経験していることです。親戚に、終油の秘蹟を授けたら、本当にお恵みが多いです。

終油の秘蹟の効果は二種類があります。肉体に関する効果もあれば、霊魂に関する効果もあります。

肉体の効果といえば、病気による苦しみを和らげるほか、場合によって、天主のお望みなら、健康を戻すこともあります。
経験に照らしても、五・六回ぐらい、終油の秘蹟を受ける信徒もいるぐらいです。毎回、回復して、時に、終油の秘蹟のお陰で治ることもあります。それは天主がお決めになることで、天主のみ旨のままに。もちろん、このようなことは自動的ではないし、しかもそれほど重要なことではないのです。大事なのは永遠の命を得ることです。我々は地上にまだ天主のご用があったら治し給うことがありますが、そうではなかったら、天に行けます。

そして、霊魂に関する効果は罪の赦しと償いの効果があります。小罪も、告解で忘れられて告白し損なわれた大罪も赦されます。そして、霊魂を安心させて、力を与えて強くさせます。最期を迎えるとき、断末魔の苦悶がありますが、その時、悪魔の攻撃があります。それに備えるために、終油の秘蹟は霊魂を毅然にさせておきます。最期の時こそ、悪魔は一番暴れるわけです。というのも、どうしてもその霊魂を地獄に落としたいわけだから、最期の時に、我々の主からその霊魂を奪いたいわけです。で、終油の秘蹟を受けることによって、死ぬ覚悟と死ぬ強さを霊魂に与えられています。司祭なら、だれでも、終油の秘蹟を受けてからの霊魂の新しい毅然な態度を証言できるかと思います。

以上、終油の秘蹟をご紹介しました。天主という裁判官の前に出なければならない霊魂に安泰と毅然さを与えるのです。



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