ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

堅振式:キリストの兵士になる|なぜ戦いなのか?聖ペルペトゥアの試練

2021年10月18日 | お説教
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ティシエ・ド・マルレ(Tisseier de Mallerais)司教によるお説教をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております



ティシエ・ド・マルレ(Tisseier de Mallerais)司教様の説教  
堅振式・キリストの兵士になる
2021年5月16日 ご昇天の後の主日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン   
お座りください。

いとも愛する兄弟の皆様、本日、本教会において、堅振を授けるのは、私にとって大きな喜びです。聖霊の剛毅において多くの子供、というか堅振式によってもはや子供でなくなるのですが、また数人の大人にも堅振を授けられて嬉しく思います。

愛する受堅者の皆様、堅振という秘蹟を受けるために、親や司祭によってよく準備されて心構えはできているでしょう。堅振とは、我らの主イエズス・キリストが制定された七つの秘跡の内の一つの秘跡なのです。秘跡は天主の生命、すなわち聖寵を我らに与えるために制定されました。

洗礼と叙階と並んで、堅振という秘跡には特徴があります。霊魂において消せない刻印を付けます。刻印というのは、霊的な印という意味ですが、霊魂において永遠に刻まれることになります。そして、この刻印のお陰で、信仰を宣言し、告白する霊的な力は得られます。言いかえると、キリストの真理の証人になる力を与える秘跡です。つまり、我らの主、イエズス・キリストは真の天主であることを宣言する力を与える秘跡です。



このように、受堅者は「我らの主、イエズス・キリストの証人」だとも呼ばれていますね。また、「イエズス・キリストの兵士」とも呼ばれていますね。というのも、キリストの証人になるためには、戦う必要があるからです。この戦いは、まず、カトリック教会の敵らに対する戦いです。例えば、フリーメーソンに対する戦いです。また、自分自身に対する戦いも要ります。いわゆる、人間的な尊敬、あるいは本音と建て前を区別したりして、心配や恐れに対する戦いです。

これらを倒して、回心するために必要としているキリストの真理をあなたから聞くことを待つ人々のために、キリストの真理を告白して、宣言して、伝えていくための戦いです。あなたたちの言動、言葉のお陰で、より多くの人々はカトリック教会へ回心していけます。考えてください。堅振を受けた信徒としてのあなたたちの使命は重要です。カトリック教会におけるあなたたちの役割と戦いは重要です。その使命についてくれぐれも考えなさい。

また、堅振のお陰で、聖霊の七つ賜物をより豊かに受けることになります。ご存じのように、あなたの霊魂を船にたとえてみると、聖霊の賜物は船の七つの帆と似ています。これらの帆は霊的な風である聖霊を受けて船をこの世ですでに聖人になるという港、また天国における永遠の幸福という港へとあなたたちを前進させます。



特に、剛毅という賜物を強調しましょう。剛毅の賜物によって、あなたたちは遠慮、恐れ、恥ずかしさに対して強めてくださいます。恥ずかしさ、あるいは恥は「人間愛」あるいは「人間的な尊敬」いわゆる「他人へ迷惑をかけたくない気持ち、あるいは迷惑という口実」というようなことです。つまり、人の前で、自分がカトリック信徒であるということを明らかにして振舞うことを恐れることが多いでしょう。なぜなら、これは、とがむべき弱さだからです。ですから、これから、知り合いの前でも公けにも、教会の聖伝に忠実なカトリック信徒として振舞いを宣言することを躊躇してはいけません。

あと、もちろん、何故おそれるでしょうか?打撃、弊害、迫害を受けたくない気持ちが働くからでしょう。殉教者のように、投獄されることもあるでしょう。昔は、自分の信仰を宣言するだけでもすぐに死刑となっていましたよ。ですから、想像に難くないのです。信仰を告白して、宣言するために必要である霊的な勇気、剛毅はかなり大きいでしょう。これは自分の力で得られないので、聖霊の一つの賜物です。聖霊は信仰の戦いに臨むために、また、美しい徳である節制の徳を実践するために、あなたたちを強めて、剛毅を与えて、強化させてくださいます。はい、節制の徳は現代に置かれて限りなく軽蔑されて、否定されて、馬鹿にされているから、特にその徳を実践しましょう。これを一生ずっとやり続けていくのです。

つぎのような一例を取り上げたいと思います。古代に生きた殉教者の話です。真の天主への真の信仰のために殉じた者です。聖ペルペトゥアPerpétueといううら若き女性です。結婚することになりました。彼女の父は異教徒でした。Perpétueはキリシタンでした。そして、父は娘を強制的に若い異教徒の男性に嫁がせました。この結婚相手の詳しいことは残された歴史において忘れられてしまいました。そして、Perpétueはまだとても若い時、二十歳になったばかりにキリシタンであることを密告されました。セプティミウス・セウェルスス皇帝の時代だったでしょう。その時代の迫害はかなり激しかったです。キリシタンであることがばれたら、即座に逮捕されて投獄されて死刑執行される時代でした。

まったくこのようになりました。Perpétueは逮捕されて投獄されます。彼女と一緒に、約10人のキリシタンがいました。その内には、有名である聖フェリチテFélicitéもいました。FélicitéとPerpétue。皆様、耳にしたことがあると思います。これは、北アフリカのカルタゴで起きた事柄ですよ。つまり、Perpétueはアフリカ出身でした。皮膚もちょっと濃かったです。



さて、次はどうなったでしょうか?娘を訪問するために、牢屋にいきなり来たのはPerpétueの父です。そして、言います。
「娘よ、なにをやっているのか?我々の先祖、我々の偉大なる家を侮辱するぞ!」
はい、Perpétueの家族はカルタゴの貴族で、なかなかのエリート層でした。
「我々の偉大なる家を侮辱するぞ!すくなくとも、おまえの父の白髪のために想ってやりなさい!」うんぬん。
そして、Perpétueは答えます。「裁判所に出たら、私が話すのではなく、天主が代わりにお話になるでしょう」と。

そして父は去ります。そして裁判の日がきます。10数人のキリシタンは被告人の席に並んでいます。裁判官はヒラリアヌスHilarianusと言います。高位な官職を持った人です。

被告人の一人一人へ、異教名で呼び出して、運命の質問をします。「君、ヘーラクレース、キリシタンなのか?」。「はい、キリシタンです!」「ユーピテル神へ供え物したら終わる。お香一粒を捧げたら終わるからさ」「いいえ、捧げません」「死刑!」

という感じです。一人ずつ以上のように死刑となって、最後はPerpétueでした。Hilarianusは彼女へ同じ質問をします。「君、Perpétue、キリシタンなのか?」「はい、キリシタンです!」。そして、その瞬間、いきなりPerpétueの父が現れて前まで来ます。キリシタンの前に来て、Perpétueのもとまで来て、跪いて、娘に次のように希います。「我が娘よ、希うよ。君の父の白髪のために想ってやりなさい!すくなとも、君の赤ちゃんのことを想ってやりなさい!」
はい、Perpétueが逮捕される数週間前、数か月前に赤ちゃんが生まれたばかりでした。父は裁判の時、その赤ちゃんを抱き、娘の近くに来て赤ちゃんを差し出しました。Perpétueは結婚していただけではなく、母となっていたのです。赤ちゃんはまだまだ幼いです。父は赤ちゃんを連れてきたのですよ。想像してください。Perpétueは目の前に自分の赤ちゃんがいて、赤ちゃんを見ています。
父は「考えてください。あなたが死んだら、この子はどうなるのかを?君の子を想ってやりなさいよ!君がいなければこの子は生きられないだろう。」

どれほど酷い誘惑なのか想像してください。それは実際にあったことですよ。我々もこのような誘惑に晒されるかもしれません。危険な誘惑でした。異教徒だった父は人間愛だけで、間違った人間愛だけで物事を考えていたので、このような誘惑を娘に与えます。
Perpétueはどうするでしょうか?一粒の香をさりげなくそこへ投げたら、もうすべて終わるからですね。一粒のお香は大したことではないでしょう。



そして、裁判官は年配の父を裁判所から追い出すことを命令します。さらに娘の前で父を棒で敲きで罰します。「出ていけ!裁判所の働きを妨げている!」

そして、Perpétue自身が語ります。というのも、死刑執行の前に、牢屋で自分が経験したことを書きおろしてくれたので、彼女の最期は裁判はよく知られています。彼女自身が語ります。
「私の可愛そうな父が、そのように不正に敲かれることを見て深く悲しんだ」

しかしながら、Perpétueはそういった人情に抵抗しました。自分の赤ちゃんの将来によっても動揺しませんでした。「この子を天主のみ摂理にお任せします」と言い、「夫は拒否しているので、この子はまだ洗礼を受けていないが、天主のご加護にすがります」とPerpétueが心の内に言っていました。
そして、最後にHilarianusはもう一度、Perpétueに問います。「アポローンの石像でもユーノーの石像でも一粒のお香を本当に投げないのか?」「いいえ、投げません。天地を創造した唯一なる真の天主を礼拝します。我らを罪と最後の裁判から救うためにこの世に来り給うたイエズス・キリストです。」
これはキリシタンの信仰のよい短い要約版です。
そして、裁判官は「本当にこのまま頑固になってもいいのか?キリシタンというセクトをつづけるのか?」「はい、真の神への信仰を固く捧げます!」「なら、殺せ!」

このように、カトリック信仰を捧げたことを理由で、死刑という判決になって実行されました。
そして、裁判官は死刑という判決を言い渡します。そこにいたキリシタンの全員へ。具体的な刑は闘技場に投げられて猛獣によって食われるという刑となりました。
その一週間後、執行は行われました。死刑判決を受けたキリシタンの全員は闘技場へ連れられて、そこに多くの観客がいました。街の住人たちで、多くは異教徒でしたが、このような残酷な娯楽を楽しんでいました。同時に、この死刑は勇敢なこれらのキリシタンの凱旋をも意味します。カルタゴ闘技場で抵抗もしないで、ライオンやヒョウやトラといった猛獣に噛ませて食わせておきました。

以上、Perpétue聖人の最期の歴史です。死刑実行以外に、彼女の執筆になる文章も残っている分、その殉教は間近に感じ取れます。牢屋に至る間、Perpétueは裁判の流れ、死刑判決までの流れを書き留めたので本当にお勧めです。そして、天主はどれほど彼女を助けて、またカトリック信仰を宣言するようにどれほど天主によって強められたかがわかる証言です。つまり、血を流してまで、死んでまで、カトリック信仰を宣言する勇気を与えてくださるという聖霊の賜物です。

愛する皆様、以上は一例にすぎませんが、我々も本物のカトリックであることを表す時に迫害を受けたり、軽蔑と弊害を受けたりしても、耐えられるために、過去の殉教者のことを思い出して、慰めと勇気になるようにしましょう。

愛する信徒の皆様、愛する受堅者の皆様、聖霊の賜物を受けるように、とくに剛毅という賜物を受けて、いずれか、ある日もしかしたら明日、あるいは今日、いつまでもカトリック信仰を宣言する勇気があるように、そしていつも、彼らの言葉を通じて多くの善を施せるように、また彼らの善き模範によってより多くの人々がカトリック信仰へ回心するように、聖霊が受堅者を強め給うよう希いましょう。

聖Perpétueのとりなしをも希いましょう。また、いとも聖なる童貞マリアに祈りましょう。殉教者の元后です。十字架の下で聖母マリアも殉教を苦しまれたのです。天主なる聖母の御子と一緒に、聖母マリアは自分の命を一生捧げ続けました。ですから、本日の堅振を受けて、聖霊の七つの賜物に満たされるように祈りましょう。

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。