白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ジャコー(Jacot)神父様によるお説教をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
ジャコー(Jacot)神父様の説教
2021年4月18日 よき牧師の主日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
いと愛する兄弟の皆様、この世における我らの人生のすべては永遠の命のための準備にすぎません。ですから、いと愛する兄弟の皆様、当たり前といえば当たり前ですが、我らはこの世に生まれた瞬間に、存在した瞬間に、母の胎内から生まれた時から、我らの一番この上なく至上の課題は我らの救済です。救われるためにどうすべきなのかということです。このように、こういった救霊、救済という人間の生まれながらの目的は我らの人生を導くべきそもそもの目的、原動力であるのです。救われるためにどうすべきなのか?また、誰によって救いを得られるのか?
いと愛する兄弟の皆様、ご存じのように聖ペトロもユダヤ人のサンヘドリンの前で発言されたように、「家づくりのあなたたちに軽んじられたその石イエズスは隅の親石とされました。救いは主以外の者によって得られません。この世において我らの救われる名はその他にはないからです。」(使徒行録、4、11-12)
イエズスご自身も、この世から去られる前に仰せになりました。「私は天と地のいっさいの権威が与えられている。」繰り返します。「私は天と地のいっさいの権威が与えられている。行け、諸国の民に教え、聖父と聖子と聖霊の名によって洗礼を授け、私が命じたことをすべて守るように教えよ。私は世の終わりまで常におまえたちとともにいる」(マテオ、28、18-20)
また、聖木曜日の夜、使徒たちに我らの主、イエズス・キリストは仰せになりました。「私がいないとあなたたちには何一つできぬからである。」(ヨハネ、15、5)繰り返します。「私がいないとあなたたちには何一つできぬからである。」
このように、我らの人生の目的は、我らの人生のすべては永遠の命、救霊のために存在します。しかしながら、以上のように知られるように、生きている御方、我らの主、イエズス・キリストを我らの人生の中心に据える必要があると知ります。
他に選択肢はありません。我らの主、イエズス・キリストは皆を救うのです。しかしながら、いと愛する兄弟の皆様、ご存じのように、我らの主、イエズス・キリストは天に昇られました。つまり、もはやこの世におられません。ところが、「私はあなたたちを孤児(みなしご)にしてはおかない」(ヨハネ、14、18)と仰せになったように、イエズスが果たされた司祭職は彼が昇天していても、この世に世の終わりまで、果たせられ続けられるようになさったのです。
ですから、イエズス・キリストはご自分の司祭職にかかわる権能を人間に伝えられたのです。この結果、2千年以上、今日にいたるまで、普通の人々を通じて救霊は世界中に広まってきました。司祭たちという人々を通じてです。そして、司祭たちは全世界へ旅立って、救霊のために、天主の生命である聖寵を伝えるために、心を浄めるこの聖寵、心を超自然化させるこの聖寵を注ぐために布教していきました。
いと愛する兄弟の皆様、これは天主の御計画です。これは大事なことです。天主の御計画です。天主のみ旨です。神学は机上の空論ではありえない、幻想ではありえないのです。自分の好き勝手な想像力に任せてはいけません。もしかしたらそうでもないかも、司祭はいらないかも、他の宗教でも救われうるかも、まあ皆誠実であるのならいいだろうと思いながら、イエズス・キリストの御計画を否定してはいけません。
これは思ってもいいが、過ちとなります。つまり、客観的に存在する天主の御計画の外になるということです。つまり、救いにつながり得ません。天主は仰せになるように、「世の終わりまで」我らを救うための御計画を決められておられます。この一環に、「救霊を得るために必ずイエズスの司祭職を通じなければならない」ということです。
しかしながら、現状はどうなっているでしょうか?少し数字を紹介します。フランスの数字ですが、どこも多少なりとも同じ状態です。フランスの人口は6千7百50万人です。この内、4千7百万人はカトリックで洗礼をうけています。そして、フランスでは司祭が1万2千人います。その内の多数は引退年齢に達していて、これから数年の内に亡くなっていく司祭も多いでしょう。
ですから、具体的にいうと、平均的にいうと、フランスでは、一人の司祭あたり、3750人の信徒を担当することになります。さらに加えて、一人の司祭あたり、2000人の洗礼を受けていない非カトリックの人々へ福音を運ぶ義務あるということです。これは一人の司祭あたりの数字ですよ。言いかえると、自明なように、無理があります。その義務を果たすのは無理となります。
皆様の理解を助けるために、ちょっとした比較を示しましょう。フランスでの聖ピオ十世会は平均的に、一人の司祭は200-250人ぐらいの世話をしています。このぐらいの人数なら、神父として義務を十分に果たせます。現実的に言うと、これ以上になると、よい世話はできなくなります。これ以上になっていくと、表面的な活動になって、効果の乏しいことになります。
ですから、要するに、これらの数字を見た場合、どういう意味になるでしょうか?
現在、あるカトリック司祭は自分の仕事をしっかりと果たそうと思ったら、つまり、救霊のために尽くして、200人ぐらいの霊魂の世話に尽くそうとしたら、3500人ぐらいの霊魂を見捨てざるを得ないということを意味します。この3500人は洗礼を受けたカトリック信徒だけですよ。つまり、一人の神父あたり3500人のカトリック信徒はもはや、何の秘跡も、何の世話を受けないということです。洗礼を受けない非カトリック信徒への布教はなおさらのことです。
言いかえると、これらの3500人のカトリック信徒は、次世代になると、0人となります。ほら、もはや公教要理もない、秘蹟もない、説教もない、それらの子孫は洗礼を受けないでしょう。罪の赦しをも受けないでしょう。聖体拝領もしないでしょう。
以上のことの意味はお分かりでしょうか?一つの世代だけで、平均して、3750人のカトリック信徒から、250人になってしまうということです。その原因とは?司祭が足りないからにつきます。
これはフランスの現状です。これらの数字を見ると、現代のカトリック教会の危機がどれほど深刻であるのかを知れるでしょう。
ですから、いと愛する兄弟の皆様、洗礼者なら皆、司祭の召命のための祈りはどれほど重要であるのかを自覚すべきです。また、特に現代では、カトリック教会の将来のためにどれほど肝心なのかを自覚しましょう。
福音書において、よくご存じのように、イエズスは仰せになりました。「穫(と)り入れは多けれども働く者は少なし。故に働く者をその穫(と)り入れに遣わさんことを、穫(と)り入れ主なる御父に祈れ」(マテオ、9、35-38)と仰せになった通りです。ですから、くれぐれもお願いです。この言葉について考えなさい。また、イエズスご自身が決められたことで、召命(召命)は信徒たちの祈りに依っているということについて考えなさい。イエズスの命令です。「故に働く者をその穫(と)り入れに遣わさんことを、穫(と)り入れ主なる御父に祈れ」
要するに一般の信徒たちこそが天の御父にひれ伏して希って、召命のために祈れば祈るほど、神学校は一杯になっていきます。これは条件です。イエズスが決めた条件です。いと愛する兄弟の皆様、これは必要不可欠な条件です。これを知りましょうよ。ですから、あなたたち一人一人にかかっています。身分年齢男女を問わないで、一人一人にカトリックの将来がかかっています。あなたたちの祈りにかかっています。
つまり、召命を求める祈りを一生懸命に捧げてくれて、犠牲と祈りをささげてくれて、あなたたちの部屋で、一人で、人々の目から隠れて、ロザリオを祈って、一日も欠かさないで毎日、忍耐強く、ひれ伏して希って、善き天主がより多くの人々を召すように祈ったら、召命は必然的に増えます。善き天主はあなたたちの祈りを叶い給います。あなたたちは一生知らないとしても、一人の神学生はあなたのお陰で司祭になれるでしょう。皆の祈りこそ、善き天主の御心から召命を呼び給うことを奪い取れるのです。
いと愛する兄弟の皆様、これは我ら、一人一人の責任です。最後にもうちょっと、数字を紹介して、召命のために祈る励みになるように。
聖ピオ十世会に関する数字です。現時点では、聖ピオ十世会には680人の司祭がいます。220人の神学校生がいます。2020年、新入学生は61人います。また聖ピオ十世会は35カ国において修道院を持ちます。修道院があるということはしっかりとした拠点であるということです。複数の司祭が共同生活できているということです。35カ国です。しかしながら、いと愛する兄弟の皆様、本日、現時点では、このほか、32カ国が正式に聖ピオ十世会は本部へ修道院設立の申請をしているわけですよ。
32カ国ですよ。そこでは、安定的なカトリック信徒たちは集まっていて司祭たちを必要としています。場合によっては、それらの国々では聖堂が設立されて、時々、司祭は訪れます。飛行機にのって、月一回、二回、それらの信徒たちを訪れます。(コロナになって国際移動が難しくなった中、秘蹟に与れない信徒たちも増えました)。修道院がない場所です。ですから、司祭は全く来れないよりましですが、信仰を維持するために、信仰を成長していくには全然足りないのです。
また、この32カ国の内、新しい少ないグループもあります。彼らはまだ聖堂を持たないで、個人の家、ある家族の家に集まって、司祭がいない時、一緒に祈っていて、司祭や修道院が来れるように一生懸命に祈っていますよ(注・日本は去年までこの状態は20数年続きました)。
いと愛する兄弟の皆様、これが現実です。32カ国において、我ら聖ピオ十世会は期待されています。しかしながら、聖ピオ十世界の管区長、総長、権威者たちはこれらの申請を受けても「申し訳ありません。司祭が足りないのです。送れる司祭はいません。」と答えざるを得ないのですよ。
いと愛する兄弟の皆様、ですから、我らは召命のためにどんどん祈りましょう。召命さえ増えたら、あとは将来につながります。32カ国が我らを待っています。想像してください。その呼びかけに答えられたら、どれほど聖伝の信仰は復興して全世界に広まるか想像してください。ですから、いと愛する兄弟の皆様、良き牧師の主日を機に、召命を求める祈りを忍耐強く、熱心に毎日に安定的にやるようになる励みになり、力になるように。聖職者の元后である聖母は我らの祈りが果たされる恵みを与えるように。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
救われるためにどうすればよいでしょうか?
ジャコー(Jacot)神父様の説教
2021年4月18日 よき牧師の主日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
いと愛する兄弟の皆様、この世における我らの人生のすべては永遠の命のための準備にすぎません。ですから、いと愛する兄弟の皆様、当たり前といえば当たり前ですが、我らはこの世に生まれた瞬間に、存在した瞬間に、母の胎内から生まれた時から、我らの一番この上なく至上の課題は我らの救済です。救われるためにどうすべきなのかということです。このように、こういった救霊、救済という人間の生まれながらの目的は我らの人生を導くべきそもそもの目的、原動力であるのです。救われるためにどうすべきなのか?また、誰によって救いを得られるのか?
いと愛する兄弟の皆様、ご存じのように聖ペトロもユダヤ人のサンヘドリンの前で発言されたように、「家づくりのあなたたちに軽んじられたその石イエズスは隅の親石とされました。救いは主以外の者によって得られません。この世において我らの救われる名はその他にはないからです。」(使徒行録、4、11-12)
イエズスご自身も、この世から去られる前に仰せになりました。「私は天と地のいっさいの権威が与えられている。」繰り返します。「私は天と地のいっさいの権威が与えられている。行け、諸国の民に教え、聖父と聖子と聖霊の名によって洗礼を授け、私が命じたことをすべて守るように教えよ。私は世の終わりまで常におまえたちとともにいる」(マテオ、28、18-20)
また、聖木曜日の夜、使徒たちに我らの主、イエズス・キリストは仰せになりました。「私がいないとあなたたちには何一つできぬからである。」(ヨハネ、15、5)繰り返します。「私がいないとあなたたちには何一つできぬからである。」
このように、我らの人生の目的は、我らの人生のすべては永遠の命、救霊のために存在します。しかしながら、以上のように知られるように、生きている御方、我らの主、イエズス・キリストを我らの人生の中心に据える必要があると知ります。
他に選択肢はありません。我らの主、イエズス・キリストは皆を救うのです。しかしながら、いと愛する兄弟の皆様、ご存じのように、我らの主、イエズス・キリストは天に昇られました。つまり、もはやこの世におられません。ところが、「私はあなたたちを孤児(みなしご)にしてはおかない」(ヨハネ、14、18)と仰せになったように、イエズスが果たされた司祭職は彼が昇天していても、この世に世の終わりまで、果たせられ続けられるようになさったのです。
ですから、イエズス・キリストはご自分の司祭職にかかわる権能を人間に伝えられたのです。この結果、2千年以上、今日にいたるまで、普通の人々を通じて救霊は世界中に広まってきました。司祭たちという人々を通じてです。そして、司祭たちは全世界へ旅立って、救霊のために、天主の生命である聖寵を伝えるために、心を浄めるこの聖寵、心を超自然化させるこの聖寵を注ぐために布教していきました。
いと愛する兄弟の皆様、これは天主の御計画です。これは大事なことです。天主の御計画です。天主のみ旨です。神学は机上の空論ではありえない、幻想ではありえないのです。自分の好き勝手な想像力に任せてはいけません。もしかしたらそうでもないかも、司祭はいらないかも、他の宗教でも救われうるかも、まあ皆誠実であるのならいいだろうと思いながら、イエズス・キリストの御計画を否定してはいけません。
これは思ってもいいが、過ちとなります。つまり、客観的に存在する天主の御計画の外になるということです。つまり、救いにつながり得ません。天主は仰せになるように、「世の終わりまで」我らを救うための御計画を決められておられます。この一環に、「救霊を得るために必ずイエズスの司祭職を通じなければならない」ということです。
しかしながら、現状はどうなっているでしょうか?少し数字を紹介します。フランスの数字ですが、どこも多少なりとも同じ状態です。フランスの人口は6千7百50万人です。この内、4千7百万人はカトリックで洗礼をうけています。そして、フランスでは司祭が1万2千人います。その内の多数は引退年齢に達していて、これから数年の内に亡くなっていく司祭も多いでしょう。
ですから、具体的にいうと、平均的にいうと、フランスでは、一人の司祭あたり、3750人の信徒を担当することになります。さらに加えて、一人の司祭あたり、2000人の洗礼を受けていない非カトリックの人々へ福音を運ぶ義務あるということです。これは一人の司祭あたりの数字ですよ。言いかえると、自明なように、無理があります。その義務を果たすのは無理となります。
皆様の理解を助けるために、ちょっとした比較を示しましょう。フランスでの聖ピオ十世会は平均的に、一人の司祭は200-250人ぐらいの世話をしています。このぐらいの人数なら、神父として義務を十分に果たせます。現実的に言うと、これ以上になると、よい世話はできなくなります。これ以上になっていくと、表面的な活動になって、効果の乏しいことになります。
ですから、要するに、これらの数字を見た場合、どういう意味になるでしょうか?
現在、あるカトリック司祭は自分の仕事をしっかりと果たそうと思ったら、つまり、救霊のために尽くして、200人ぐらいの霊魂の世話に尽くそうとしたら、3500人ぐらいの霊魂を見捨てざるを得ないということを意味します。この3500人は洗礼を受けたカトリック信徒だけですよ。つまり、一人の神父あたり3500人のカトリック信徒はもはや、何の秘跡も、何の世話を受けないということです。洗礼を受けない非カトリック信徒への布教はなおさらのことです。
言いかえると、これらの3500人のカトリック信徒は、次世代になると、0人となります。ほら、もはや公教要理もない、秘蹟もない、説教もない、それらの子孫は洗礼を受けないでしょう。罪の赦しをも受けないでしょう。聖体拝領もしないでしょう。
以上のことの意味はお分かりでしょうか?一つの世代だけで、平均して、3750人のカトリック信徒から、250人になってしまうということです。その原因とは?司祭が足りないからにつきます。
これはフランスの現状です。これらの数字を見ると、現代のカトリック教会の危機がどれほど深刻であるのかを知れるでしょう。
ですから、いと愛する兄弟の皆様、洗礼者なら皆、司祭の召命のための祈りはどれほど重要であるのかを自覚すべきです。また、特に現代では、カトリック教会の将来のためにどれほど肝心なのかを自覚しましょう。
福音書において、よくご存じのように、イエズスは仰せになりました。「穫(と)り入れは多けれども働く者は少なし。故に働く者をその穫(と)り入れに遣わさんことを、穫(と)り入れ主なる御父に祈れ」(マテオ、9、35-38)と仰せになった通りです。ですから、くれぐれもお願いです。この言葉について考えなさい。また、イエズスご自身が決められたことで、召命(召命)は信徒たちの祈りに依っているということについて考えなさい。イエズスの命令です。「故に働く者をその穫(と)り入れに遣わさんことを、穫(と)り入れ主なる御父に祈れ」
要するに一般の信徒たちこそが天の御父にひれ伏して希って、召命のために祈れば祈るほど、神学校は一杯になっていきます。これは条件です。イエズスが決めた条件です。いと愛する兄弟の皆様、これは必要不可欠な条件です。これを知りましょうよ。ですから、あなたたち一人一人にかかっています。身分年齢男女を問わないで、一人一人にカトリックの将来がかかっています。あなたたちの祈りにかかっています。
つまり、召命を求める祈りを一生懸命に捧げてくれて、犠牲と祈りをささげてくれて、あなたたちの部屋で、一人で、人々の目から隠れて、ロザリオを祈って、一日も欠かさないで毎日、忍耐強く、ひれ伏して希って、善き天主がより多くの人々を召すように祈ったら、召命は必然的に増えます。善き天主はあなたたちの祈りを叶い給います。あなたたちは一生知らないとしても、一人の神学生はあなたのお陰で司祭になれるでしょう。皆の祈りこそ、善き天主の御心から召命を呼び給うことを奪い取れるのです。
いと愛する兄弟の皆様、これは我ら、一人一人の責任です。最後にもうちょっと、数字を紹介して、召命のために祈る励みになるように。
聖ピオ十世会に関する数字です。現時点では、聖ピオ十世会には680人の司祭がいます。220人の神学校生がいます。2020年、新入学生は61人います。また聖ピオ十世会は35カ国において修道院を持ちます。修道院があるということはしっかりとした拠点であるということです。複数の司祭が共同生活できているということです。35カ国です。しかしながら、いと愛する兄弟の皆様、本日、現時点では、このほか、32カ国が正式に聖ピオ十世会は本部へ修道院設立の申請をしているわけですよ。
32カ国ですよ。そこでは、安定的なカトリック信徒たちは集まっていて司祭たちを必要としています。場合によっては、それらの国々では聖堂が設立されて、時々、司祭は訪れます。飛行機にのって、月一回、二回、それらの信徒たちを訪れます。(コロナになって国際移動が難しくなった中、秘蹟に与れない信徒たちも増えました)。修道院がない場所です。ですから、司祭は全く来れないよりましですが、信仰を維持するために、信仰を成長していくには全然足りないのです。
また、この32カ国の内、新しい少ないグループもあります。彼らはまだ聖堂を持たないで、個人の家、ある家族の家に集まって、司祭がいない時、一緒に祈っていて、司祭や修道院が来れるように一生懸命に祈っていますよ(注・日本は去年までこの状態は20数年続きました)。
いと愛する兄弟の皆様、これが現実です。32カ国において、我ら聖ピオ十世会は期待されています。しかしながら、聖ピオ十世界の管区長、総長、権威者たちはこれらの申請を受けても「申し訳ありません。司祭が足りないのです。送れる司祭はいません。」と答えざるを得ないのですよ。
いと愛する兄弟の皆様、ですから、我らは召命のためにどんどん祈りましょう。召命さえ増えたら、あとは将来につながります。32カ国が我らを待っています。想像してください。その呼びかけに答えられたら、どれほど聖伝の信仰は復興して全世界に広まるか想像してください。ですから、いと愛する兄弟の皆様、良き牧師の主日を機に、召命を求める祈りを忍耐強く、熱心に毎日に安定的にやるようになる励みになり、力になるように。聖職者の元后である聖母は我らの祈りが果たされる恵みを与えるように。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン