シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。
1. ジャシンタの病気
私たちの主がジャシンタと兄のフランシスコとにインフルエンザを送って病床の身になるまで [注19] 、以上がジャシンタがどうやって過ごしたかです。病気になる前の晩にジャシンタはこう言いました。
「私、頭がとっても痛いの。それから喉も渇いているの。でもお水は飲まないの。罪人たちのために苦しみたいから。」
[注19] ジャシンタは1918年10月に病気になり、そのすぐ後フランシスコも病の身となった。
学校と私に与えられた小さなお仕事の他に、私は自由時間になるといつも私の小さなお友達と一緒に過ごしました。ある日、通学の途中、ジャシンタは私にこう言いました。
「ねぇ!隠れたイエズス様に私が大好きだって言ってね。本当にイエズス様のことをすごく愛しているの。」
別の機会にはこう言いました。
「イエズス様に、私の愛を送るって、イエズスに会いたいって言ってね。」
私がジャシンタのお部屋を訪問するとジャシンタはこう言うのを常としました。
「じゃあ、もうフランシスコのところに会いに行ってね。私ここで一人でいる犠牲をするから。」
別の機会には、ジャシンタの母親はジャシンタに牛乳を一杯持って行き、これを飲むように言いました。
「お母さん、飲みたくないの。」
こうジャシンタは答えて、小さな手でコップを遠ざけました。
私の叔母はそれでも少し強要して、こう言いながら部屋を出ました。
「どうやってあの子に飲ませたらいいか分からないわ。あの子食欲がないんだから。」
私たちだけになると、私はジャシンタに聞きました。
「なんでお母さんそうやって不従順になることができるのよ、私たちの主にこの犠牲を捧げたくないの?」
ジャシンタがこの言葉を聞くと、涙を少し流しました。私はそれを拭いてあげるとジャシンタはこう言いました。
「今、私そのこと忘れちゃったの。」
ジャシンタは母親を呼び、赦しを求め、母が望むものは何でも食べるし飲むと言いました。
ジャシンタの母親は牛乳を一杯持ってきて、ジャシンタはそれをすこしもイヤそうな顔をせずに飲み干しました。後に私にこう言いました。
「あれを飲むのがどれほど辛かったか、もしルチアちゃんが知っていたら!」
別の機会には、ジャシンタはこう言いました。
「牛乳を飲むのがますます難しくなっているの。でも何も言わないの。私たちの主を愛するために、私たちの愛する天国のお母様である聖母の汚れなき御心を愛するために、私は全部飲むの。」
またの機会には、私はジャシンタに尋ねました。
「元気になった?」
「ちっとも良くならないの。胸がとっても痛いの。でも私何も言わないの。罪人の回心のために苦しんでいるの。」
私がジャシンタのところに来ると、彼女はこう尋ねました。
「今日、たくさんの犠牲を捧げた?私、たくさんしたの。お母さんが外出したから、私も行ってフランシスコに会いたいとたくさん思ったけど、行かなかったの。」
2. 聖母のご訪問
それでもジャシンタはすこし回復しました。起きることもできるようになり、フランシスコのベッドに座って時を過ごすこともできるようになりました。ある時には、ジャシンタは私に、すぐに自分のところに会いに来るように誰かを送ってきました。私は走って行きました。ジャシンタはこう言いました。
「マリア様が私たちに会いに来たの。マリア様はすぐにフランシスコを天国に連れて行くためにいらっしゃるって私たちに言ったの。それから私にもっと多くの罪人たちを回心したいかって聞いたの。私が、ハイって答えると、マリア様は、私が病院に行ってたくさん苦しむだろうって、私は罪人たちの回心のために、聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うために、イエズス様を愛するために、苦しまなければならないって、おっしゃったの。私が、ルチアも私と一緒に行くかって聞いたら、ルチアは行かないんだって。それが一番辛かった。マリア様は、私のお母さんが病院に連れて行ってくれて、私はそこでひとりぼっちでいなきゃならないんだって教えてくれた。」
この後、ジャシンタは少しの間考え込んだようになって、こう言いました
「あぁ、ルチアちゃんが私と一緒にいることができたらなぁ!ルチアちゃんと一緒に行けないのが一番辛いな。きっと病院って大きな暗い家で、何も見えなくて、ひとりぼっちで苦しまなければならないんだよね!でも、いいの。イエズス様を愛するために苦しむから。聖母の汚れなき御心に償いをして、罪人たちの回心のため、教皇様のために苦しむの。」
ジャシンタの兄が天国に行くときがやって来ました。ジャシンタは彼に次の最後のメッセージを告げました。[注20]
「イエズス様とマリア様に私の愛を全て伝えてね。それからイエズス様とマリア様がお望みのまま、罪人たちの回心のため、聖母の汚れなき御心に対する償いのために、私は苦しみたいって言ってね。」
ジャシンタは兄が亡くなると深く苦しみました。彼女は深く考えこんでいました。だれから彼女に何を考えているのかと尋ねると、こう答えました。
「フランシスコのこと。フランシスコともう一度会うためなら、何でもする!」
そういって目を涙で潤わせました。
ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃんが天国に行くのは、もうすぐじゃない。私は一体どうなるのよ!」
「かわいそうに!泣かないで!私、天国に行ったらルチアちゃんのためにたくさんたくさん祈るわ。ルチアちゃんにとって、それがマリア様がお望みのことなの。もしもマリア様がそれを私にお望みなら、喜んでとどまって罪人たちのためにもっとたくさん苦しむ。」
[注20] フランシスコは1919年4月4日に死亡した。
(続く)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。
第一の手記
III. ジャシンタの病気と死
III. ジャシンタの病気と死
1. ジャシンタの病気
私たちの主がジャシンタと兄のフランシスコとにインフルエンザを送って病床の身になるまで [注19] 、以上がジャシンタがどうやって過ごしたかです。病気になる前の晩にジャシンタはこう言いました。
「私、頭がとっても痛いの。それから喉も渇いているの。でもお水は飲まないの。罪人たちのために苦しみたいから。」
[注19] ジャシンタは1918年10月に病気になり、そのすぐ後フランシスコも病の身となった。
学校と私に与えられた小さなお仕事の他に、私は自由時間になるといつも私の小さなお友達と一緒に過ごしました。ある日、通学の途中、ジャシンタは私にこう言いました。
「ねぇ!隠れたイエズス様に私が大好きだって言ってね。本当にイエズス様のことをすごく愛しているの。」
別の機会にはこう言いました。
「イエズス様に、私の愛を送るって、イエズスに会いたいって言ってね。」
私がジャシンタのお部屋を訪問するとジャシンタはこう言うのを常としました。
「じゃあ、もうフランシスコのところに会いに行ってね。私ここで一人でいる犠牲をするから。」
別の機会には、ジャシンタの母親はジャシンタに牛乳を一杯持って行き、これを飲むように言いました。
「お母さん、飲みたくないの。」
こうジャシンタは答えて、小さな手でコップを遠ざけました。
私の叔母はそれでも少し強要して、こう言いながら部屋を出ました。
「どうやってあの子に飲ませたらいいか分からないわ。あの子食欲がないんだから。」
私たちだけになると、私はジャシンタに聞きました。
「なんでお母さんそうやって不従順になることができるのよ、私たちの主にこの犠牲を捧げたくないの?」
ジャシンタがこの言葉を聞くと、涙を少し流しました。私はそれを拭いてあげるとジャシンタはこう言いました。
「今、私そのこと忘れちゃったの。」
ジャシンタは母親を呼び、赦しを求め、母が望むものは何でも食べるし飲むと言いました。
ジャシンタの母親は牛乳を一杯持ってきて、ジャシンタはそれをすこしもイヤそうな顔をせずに飲み干しました。後に私にこう言いました。
「あれを飲むのがどれほど辛かったか、もしルチアちゃんが知っていたら!」
別の機会には、ジャシンタはこう言いました。
「牛乳を飲むのがますます難しくなっているの。でも何も言わないの。私たちの主を愛するために、私たちの愛する天国のお母様である聖母の汚れなき御心を愛するために、私は全部飲むの。」
またの機会には、私はジャシンタに尋ねました。
「元気になった?」
「ちっとも良くならないの。胸がとっても痛いの。でも私何も言わないの。罪人の回心のために苦しんでいるの。」
私がジャシンタのところに来ると、彼女はこう尋ねました。
「今日、たくさんの犠牲を捧げた?私、たくさんしたの。お母さんが外出したから、私も行ってフランシスコに会いたいとたくさん思ったけど、行かなかったの。」
2. 聖母のご訪問
それでもジャシンタはすこし回復しました。起きることもできるようになり、フランシスコのベッドに座って時を過ごすこともできるようになりました。ある時には、ジャシンタは私に、すぐに自分のところに会いに来るように誰かを送ってきました。私は走って行きました。ジャシンタはこう言いました。
「マリア様が私たちに会いに来たの。マリア様はすぐにフランシスコを天国に連れて行くためにいらっしゃるって私たちに言ったの。それから私にもっと多くの罪人たちを回心したいかって聞いたの。私が、ハイって答えると、マリア様は、私が病院に行ってたくさん苦しむだろうって、私は罪人たちの回心のために、聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うために、イエズス様を愛するために、苦しまなければならないって、おっしゃったの。私が、ルチアも私と一緒に行くかって聞いたら、ルチアは行かないんだって。それが一番辛かった。マリア様は、私のお母さんが病院に連れて行ってくれて、私はそこでひとりぼっちでいなきゃならないんだって教えてくれた。」
この後、ジャシンタは少しの間考え込んだようになって、こう言いました
「あぁ、ルチアちゃんが私と一緒にいることができたらなぁ!ルチアちゃんと一緒に行けないのが一番辛いな。きっと病院って大きな暗い家で、何も見えなくて、ひとりぼっちで苦しまなければならないんだよね!でも、いいの。イエズス様を愛するために苦しむから。聖母の汚れなき御心に償いをして、罪人たちの回心のため、教皇様のために苦しむの。」
ジャシンタの兄が天国に行くときがやって来ました。ジャシンタは彼に次の最後のメッセージを告げました。[注20]
「イエズス様とマリア様に私の愛を全て伝えてね。それからイエズス様とマリア様がお望みのまま、罪人たちの回心のため、聖母の汚れなき御心に対する償いのために、私は苦しみたいって言ってね。」
ジャシンタは兄が亡くなると深く苦しみました。彼女は深く考えこんでいました。だれから彼女に何を考えているのかと尋ねると、こう答えました。
「フランシスコのこと。フランシスコともう一度会うためなら、何でもする!」
そういって目を涙で潤わせました。
ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃんが天国に行くのは、もうすぐじゃない。私は一体どうなるのよ!」
「かわいそうに!泣かないで!私、天国に行ったらルチアちゃんのためにたくさんたくさん祈るわ。ルチアちゃんにとって、それがマリア様がお望みのことなの。もしもマリア様がそれを私にお望みなら、喜んでとどまって罪人たちのためにもっとたくさん苦しむ。」
[注20] フランシスコは1919年4月4日に死亡した。
(続く)
ファチマの聖母の会の皆様、
いつも更新をありがとうございます。
聖ジャシンタ、けなげですごいなぁと思います。
更新がいつも楽しみです。
ペトロさん、こんにちは。
いつも応援してくださって ありがとうございます。
ジャシンタちゃんは 苦しくても辛くても 考えることを止めずに苦しみぬこうとしました。たった10歳なのに、なんていうことでしょう。罪人の回心のために、聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うために、イエズス様を愛するために、苦しむことを選んだジャシンタちゃんは 本当にけなげだと思います。
私たちも罪人の回心のため償いの犠牲と祈りをお捧げできますよう、聖ジャシンタの取次ぎを願います。
手記の続きが楽しみですね。