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天主の永遠の法:五つの法の種類[その①] 【公教要理】第七十八講

2019年12月21日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第七十八講 永遠の法



法についての講話の続きです。
最終的に、道徳法に至りますが、道徳法は人間の永遠の目的地である天国にたどり着くために、人間の行動を律する法です。
前回の講話では、聖トマス・アクィナスに従って、法の定義を示しました。
法とは「共通善を目指しての理性による規定であって、共同体の世話を担当している人によって公布される」と説明し、定義のそれぞれの部分を詳しく解明しました。

法を定義したのちに、法を区別する必要が出てきます。
法にはどういった種類があるのか、法の種類として何種類ぐらいあるのか、ということです。

法を区別するにあたっては、だれが立法者であるかによって区別することができます。
ところで、立法者として、大きく分けて二つがあります。
前者は最高の統治者である天主ご自身です。天主が立法する法は、「天主の法」と呼ばれています。
それから、後者の立法者は天主がご自分の権威を委任した者です。というのは、天主はあらゆる物事をご自身で直接に管理しているわけでないからです。このように天主が人間に権威を委任するという事実は、天主の全能を示し、天主の無限の力を示しています。したがって、委任されただけの権威をもって人間は法律を立てることができます。
要約すると、法には大きく分けて二つの種類があり、天主によって立法される法は「天主の法」、人間によって立法されている法は「人間の法」と呼ばれています。
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「天主の法」
「天主の法」には、三つの種類があります。
第一の種類、永遠の法と呼ばれています。
第二の種類、自然法と呼ばれています。
第三の種類、実定法と呼ばれています。

他方、「人間の法」は二つに分けられています。
その区別はどの社会によって立法されるかで、つまり、自然社会あるいは超自然社会によって立法され、公布されるかで分けられています。
第一の種類は、自然社会により立法されるもので、世俗法(あるいは市民法)と呼ばれています。
第二の種類は、超自然社会により立法されるもので、教会法と呼ばれています。

全部で法の種類は五つです。
一、天主の永遠の法。
二、天主の自然の法。
三、天主の実定の法。
四、人間の世俗の法。
五、人間の教会法。


一つずつこれらの法を検討していきましょう。

最初に、天主の永遠の法を説明しましょう。おそらくわれわれ人間には一番理解しづらい法であるかもしれません。というのも、どうしても人間が到底把握しえない法だからです。
それでも、この世のすべては永遠の法によって支配されている事実には変わりありません。

永遠の法とはいったい何でしょうか。その名の通り、永遠に存在する法です。永遠の法は天主の御知恵によって望まれた法でありますが、あらゆる被造物の動きと行動をそれぞれの目的に傾かせる「法(法則)」です。
もう一度、法の定義を思い出しましょう。法とは「理性による規定であって」、というのは理(ことわり)に従っているからです。
永遠の法の場合、その理(ことわり)は天主の御知恵です。全宇宙を創造なさった天主の御知恵です。ところで、天主は全宇宙を作り給うた際、被造世界を秩序づけました。

ところで、西洋語では「宇宙」を「Univers」といいますが、「Uni-」という接頭語には「単一」あるいは「統一」という意味があります。つまり宇宙が統一されているという意味ですが、それは統一されるには秩序がなければなりません。
つまり宇宙には「秩序がある」のです。天主は秩序をつけて宇宙を整えました。

また、被造物ごと、物事ごとに、それぞれに目的(地)を与え給うたのです。その結果、例外なく、あらゆる被造物、あらゆる存在、あらゆる物事はある目的へ向かわせられているのです。永遠の目的は天主の栄光です。したがって、全宇宙は常に天主をほめたたえて、天主の御栄光を示しています。いわゆる、ある何かは、存在するだけで天主を讃美し、存在しているすべての物事は天主の栄光を讃えています。

また、全宇宙は存在し続けて成り立ち、動植物は生きているだけで天主の栄光を示しています。ところで、典礼においてよく歌う聖歌がありますが、そこに被造世界のすべてが描かれています。星々、天、地、太陽、月、植物、動物、雨、霰(あられ)等々。
聖歌は「星々よ、天主を歌え、天主を讃えよ、天主を賛美せよ」と繰り返し歌っています。

なぜでしょうか。それは、それぞれの被造物は存在するだけで、また創られた時に与えられた目的を達成するだけで、あらゆる物事を秩序つけた天主の御智慧を示し、その御智慧を裏付けているからです。つまり、永遠の法はそれぞれの物事に刻印されているのです。

以上は永遠の法のご紹介でした。
繰り返すと「それぞれの物事はそれぞれに目的があり、その目的に向かわせられている」のであり、これは永遠の法によります。
「永遠の法は天主の御計画である」と言えましょう。天主の御計画です。あらゆる存在物、あらゆる物事に適用されている天主の御意志です。天主の御意志というのは、天主がお望みになったことです。

永遠の法を次のようにたとえてみましょう。
技術士が機械を作っているとしましょう。その技術士はその頭において、またそのノート、図面などにおいて、あらかじめ機械のすべてのことを考えています。彼が計画しているということは永遠の法と似ています。

技術士が作る機械の「法」、つまりその計画などは、すでに技術士の意志において存在しています。機械の作業において行っていくすべての物事は、ある目的に向いていて、それは技術士が作った時、あらかじめ技術士が決めて置いたからです。技術士はその目的を決めて、機械をそう定めます。
ですから技術士の頭にある計画、そして機械においてその計画が実際に行なわれるというのは永遠の法と似ています。

全宇宙、あらゆる存在の創造主である天主は、同時にあらゆる存在の「秩序づけ」あるいは「目的付け」の主でもあります。永遠の法そのものです。永遠の法は例外なくあらゆる被造物に適用されています。理性のない被造物ならなおさらのことです。というのも、理性のない被造物はそれぞれの目的へ「不本意にも」動かされているからです。というのは、動物や植物や大自然の物事などの動き・働きは既に決定されているからです。
創造主がお望みになった通りに、理性のない存在物は働くしかありません。また後述しますが、永遠の法は理性のある人間においても刻印されています。ある行為を人間に勧め、ある行為を禁する永遠の法ですが、人間は自由であるゆえに、最終的にその自由を使って行為を決めて実践していきます。理性のある人間は、自分の意志で、つまり自由に行為を決めて、与えられた目的へ行かなければならないのです。

以上のことを要約すると、永遠の法は、天主において存在する天主による法であり、その法は全宇宙を律するものです。永遠の法は最高の法であり、種類を問わず、あらゆる法は永遠の法に依存しています。
言われてみたら当然のことですが、永遠の法へ依存する以外、法は存在しえません。というのも、あらゆる法は「直接に天主がお望みになった法」に依存しているからです。

後述しますが、したがって、自然の法も、天主の実定の法も、そして、市民法と教会法を問わずあらゆる人間の法でさえ、結局、永遠の法に帰するのです(そうではない「法律」は法に値しないということです)。

というのも、もしもある人間の法が、永遠の法から逃れようとしたら、かかる「法律」は何ものを律することはできず、統治することはできなくなるからです。というのも、かかる「法律」は「被造物をそれぞれの目的へ導く」ような法でなくなるからです。「秩序づける」法でなくなるからです。
したがって、このような法律は、ある意味で「創造の御計画」への反乱のようなものであり、「天主の御計画」を邪魔するようなものです。だから、本来の意味で、法ではないのです。
以上は永遠の法のご紹介でした。

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