ファチマの聖母の会・プロライフ

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シスター・ルシアの手記の日本語訳  Ⅰ. ジャシンタの性格(続き) 教皇様への愛 11~14

2017年06月21日 | ファチマ シスタールシアの手記
シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)

ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007


英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007

フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008


この日本語訳は「ファチマの聖母の啓示 現代の危機を告げる ルチア修女の手記」(ヴィットリオ・ガバッソ/志村辰弥編)1987年/ドン・ボスコ社を参考にしました。


第一の手記

I. ジャシンタの性格


11. 教皇様への愛

私たちのところに質問に来た二人の司祭たちは、私たちが教皇様のためにお祈りすることを頼みました。ジャシンタは、教皇様とは誰かと聞きました。その良い司祭たちは、教皇様が誰かを説明し、教皇様がどれほど祈りを必要としているかを話しました。これがジャシンタに教皇様に対する愛を与えました。ジャシンタがイエズスに犠牲を捧げるときいつでもこう付け加えていました。「そして教皇様のために」と。ロザリオの終わりには、ジャシンタはいつも「めでたし」を三回、教皇様のために付け加えました。時にはこう言いました。
「教皇様とお会いしたいなぁ!ここにはたくさんの人々がやって来るけれど、教皇様は来ないのね。」[注12]
ジャシンタの子供っぽい単純さで、教皇様が他の人々のように簡単に旅に出ることができると思ったのです。
ある日、私の父と叔父 [注13] とが私たち三人と一緒に、翌日に行政官 [注14] の前に出頭するように知らされました。
叔父はこう答えました。
「私は子供たちを連れて行かない。子供たちを裁判所に引き出すなんてまっぴらだ。何故って、そりゃ、うちの子らは自分のしたことに責任を持てる年でもないし、ヴィラ・ノヴァ・デ・オウレムまでの長い道のりを堪えることなんかできないからだ。」
私の父は別の考え方をしました。
「うちの子は、連れて行くね。うちの娘に自分で答えさせるよ。俺はこれが何んのことなのかさっぱり分からんから。」
ともあれ、家族の者たちはこの機会を利用してできる限りいろいろな方法で私たちを脅しました。翌日、私たちは叔父の家の近くを通りかかるとき、父はすこし叔父を待っていなければなりませんでした。私はジャシンタに別れを告げに走って行きました。ジャシンタはまだベッドにいました。もう一度会うことができるかどうか分からなかったので、両腕をジャシンタの周りに回して抱きました。涙にむせんでかわいそうなジャシンタは泣き声でこう言いました。
「もしも、殺されそうになった、フランシスコと私もあなたと同じだって言ってね。私たちも死にたいの。私はフランシスコと一緒に井戸のところに行くわ。一生懸命あなたのためにお祈りする。」
「私が夜遅く帰ると、私は井戸のところに走って行きました。すると二人とも跪いて、井戸の脇に寄りかかって、頭を両手に埋めて、激しく泣いていました。二人が私を見るやいなや、ビックリしてこう叫びました。
「あなた、帰ってきたの?何故って、あなたのお姉さんがここに水を汲みにやってきて、私たちにあなたは殺されたって教えてくれたのよ!あなたために私たちずっとたくさん祈って、泣いていたの。」

[注12] 1967年5月13日にパウロ六世が、1982年5月13日、1991年5月13日、2000年5月13日にはヨハネ・パウロ二世が、2017年5月13日には教皇フランシスコがファチマに来た。

[注13] ルシアの父親の名前は、アントニオ・ドス・サントス(António dos Santos)であり、1919年に死亡した。ルシアの叔父はマヌエル・ペドロ・マルト(Manuel Pedro Marto)で、フランシスコとジャシンタの父親である。1957年に死去した。

[注14] 行政官はアルトゥール・デ・オリエイラ・サントス(Artur de Oliveira Santos)、1955年死去。


12. オウレムの牢獄

後に、私たちは投獄された時、ジャシンタが一番苦しんだことは、自分の両親から捨てられてしまったと感じたことでした。涙をほほに垂らしながらこう言いました。
「あなたの家族も、私の家族も私たちに会いに来ないわ。私たちのことなんかもうどうでも良くなったの。」
フランシスコはこう言います。
「泣くなよ、僕たちこれを罪人の回心のためにイエズス様に御捧げできるじゃないか。」
そう言うとフランシスコは目と手を天に上げて、こう御捧げしました。
「あぁ、イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のためです。」
ジャシンタはすぐにこう付け加えました。
「そして教皇様のため、それから聖母の汚れなき御心に対しておかされる罪を償うためです。」

しばらく私たちは離ればなれになった後、牢獄の別の部屋で一緒になりました。牢獄の看守たちがすぐに私たちを生きたまま油で揚げるためにすぐに戻ってくる、と言った時、ジャシンタは脇に行って窓から家畜の市場を眺めていました。最初、私はジャシンタが外を眺めて気晴らしをしようとしているのだと思いました。
しかし、すぐに、私はジャシンタが泣いているのに気がつきました。ジャシンタのところに行って、私の方に抱き寄せて、何故泣いているのか尋ねました。
「だって、私たち、お父さんともお母さんとももう会えずに、もうすぐ死んじゃうんだもの。」
ほほを涙でぬらしながら、ジャシンタはこう言いました。
「少なくとも、お母さんと会いたい。」
「それじゃあ、この犠牲を罪人の回心のために捧げたくないの?」
「捧げたい、そうする!」

顔は涙でグショグショにしながら、ジャシンタは両手を合わせて目を天に上げて捧げました。
「あぁ、イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人の回心のため、教皇様のため、聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うためです!」

この場面に居合わせた囚人たちは、私たちを慰めようとしました。
「あなたたちがしなければならないことは、行政官に秘密を言うことだよ。貴婦人があなたたちに何を望もうが望まないが、そんなのどうでも良いんだよ!」

ジャシンタはきっぱり答えました。
「イヤです!そんなことなら死んだ方がまし。」


13. 牢獄でのロザリオ

次に、私たちはロザリオを唱えることを決心しました。ジャシンタは首に掛けていたおメダイを外して、壁の釘にそれを掛けて欲しいと或る囚人に頼みました。
このおメダイの前で私たちは跪いて祈り始めました。他の囚人たちも私たちと一緒に祈りました。つまり、もしもロザリオの祈り方を知っていたのなら祈り、少なくとも跪いていました。ロザリオが終わると、ジャシンタは窓の方に行って泣き始めました。
「ジャシンタ、この犠牲を私たちの主に御捧げしたくないの?」
「うん、御捧げしたい。でも、お母さんのことをずっと考えているの。どうしても泣いちゃうの。」

聖母が私たちに、祈りと犠牲を聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために捧げるように言われたので、私たちは、一人一人が、これらの意向のうちの一つを選ぼうということになりました。一人が罪人の回心のために、別の一人が教皇様のため、もう一人が聖母の汚れなき御心に対して犯される罪を償うために御捧げするのです。このことをみんなで決めてから、ジャシンタにどの意向を選ぶのか尋ねました。
「私、この意向全部のために御捧げする。だってこれみんな好きなんだもん。」


14. 最後に、ダンス

囚人たちの中にはアコーディオンを上手に弾く人がいました。私たちの注意を引くために彼は演奏を始め、他の人々が歌い始めました。彼らは私たちが踊ることができるか尋ねました。私たちは「ファンダンゴ」と「ヴィラ」の踊りを知っていると答えました。

ジャシンタの相手は一人のかわいそうな泥棒でした。ジャシンタがあまりにも小さかったので、彼はジャシンタを人形のように抱き上げてダンスをしました。私たちは、聖母が彼を憐れんで、彼の霊魂を救ってくださることだけを望みました!

司教様、司教様はきっとこうおっしゃることでしょう。「殉教するために、何と素晴らしい心構えなのだろう!」と。その通りです。しかし、私たちはまだ子供でしたから、これを超えるようなことを少しも考えていませんでした。ジャシンタはダンスがとても好きで特別な素養がありました。

戦争に行った兄達の一人が戦死した知らせを受けた時、ジャシンタがどれほど悲しんで泣いていたかを、私は覚えています。私は彼女の気を紛らわせるために、ジャシンタの二人の兄弟と一緒にダンスをしました。ジャシンタは頬に流れる涙を拭きながらダンスをしました。

それほど、ダンスが好きで、一人の羊飼いの笛の音を聞くだけで、一人でダンスをしました。それにもかかわらず、カーニヴァルの時、或いは洗者聖ヨハネの祝日が来ても、こうつげました。
「私、もうダンスに行かないの。」
「何で行かないの?」
「だって、私たちの主にこの犠牲を捧げたいから。」

(続く)

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