白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ペトゥルッチ(PP. Petrucci)神父様のお説教をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
ペトゥルッチ(PP. Petrucci)神父様のお説教
サタンの目的は反キリスト的な世界秩序にある
2022年2月6日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
親愛なる兄弟の皆様、本日の福音は我らの主、イエズス・キリストが述べられた美しいたとえ話でした。この話は我々の救霊と聖化のための天主のご計画と愛を要約している話なのです(良い種と毒麦)。
天主は純粋な愛の御業を通じて、我々を創造し給い、そのために自由意志を持った人間として創造し給いました。このように我々は自由に愛の行為を成すことによって、天主のご計画に協力できて、天主の至福に参加できるようになさってくださいました。そして、人間の罪を償い給い、成聖の恩寵を用いて天主は我々を超自然(天主)の次元にまで高め給うために、天主は御子、我らの主、イエズス・キリストを送り給うたのです。イエズスは我らの罪を償い給い、御教えを示し給うことによって、聖化を成し遂げるために、救霊を得るために我らが歩むべき天国への道を案内し給いました。
ですから、たとえ話での畑に良い種を撒く人はイエズス・キリストです。この良い種はイエズス・キリストの教えなのです。そして、障害がない限り、霊魂においてよく実るようになさっておられます。イエズス・キリストの御言葉は我々に聖徳の実践を励ましてくださいます。また、我々の自分自身に対する戦い、自分自身の乱れた傾向に対する戦いを励みを与えてくださる御言葉です。そして、自己犠牲を通じて天主への愛のために隣人への愛を実践するように励ましてくださる御言葉です。この世での人生は死後の永遠の命を得るために必要となる手柄を成し遂げる戦いである事実を思い起こしてくださる御言葉です。
天主の御言葉は山上の垂訓で要約されていると言えましょう。そして、その中の八つの幸福はカトリック教徒のための基本法のようなものです。これらの教訓は我々の人生の歩みを照らしてくれて、我々の一つ一つの決定をよきものとするように助けてくれて、また、罪に対しては我々の盾ともなります。このような掟に従いさえすれば、人生における唯一の目的なる霊魂の聖化と救霊を得られるでしょう。
しかしながら、福音によると、我らの主の敵はよい種の畑に毒麦を撒いてしまいます。この敵はだれでしょうか。サタンです。悪魔です。堕天使のことです。天主のご計画に背いた悪魔であり、天主が創造された理性のある存在物である人間を攻撃しようとします。なぜなら、天国で堕天使の代わりに堕天使の元の席に座るように人々は召され呼ばれているからです。悪魔は天主と我々に対して憎しみに満ちていて、嫉妬で溢れかえっています。
このように、悪魔は不和を撒きます。毒麦は不和を象徴します。まさにサタンは誤謬と異端を撒きます。サタンは第一に我々の霊魂を攻撃しようとします。我々の想像力をかきたてて、見せかけの善を追求するように悪魔は我々を促しています。このように、想像力や感覚をかきたてさせることによって、ある種の陶酔、興奮を引き起こすこともあります。サタンは見せかけの善を我々に見せて我々をごまかそうとします。見事な豪華や豊富さ、立派な手柄、偉い出世などの見せかけの善です。これらは我々を満足させるだろうという風に見せかけてしまいます。これらは本物の幸福であるよという誘惑です。
しかしながら、これらを得ても幸せにはなりません。なぜなら、我々は動物ではないからです。天主の象りに造られた人間には霊的な霊魂があります。人間は天主のために造られました。天主は我々の目的であり、我々は霊的な現実や超自然、永遠な事実をどうしても必要としています。そのために存在しているからです。
楽園において、アダムとイヴを誘う時、サタンは傲慢に負けて罪を犯すようにそそのかしたのです。
この世で、サタンは乱れたすべての激情に負けるように我々をそそのかします。このように、この世の見せかけの善の奴隷にさせるためです。そして、このようにサタンは我々に天主を失わせようとします。
はい、サタンは霊魂に毒麦を撒きます。
そして、教会においてもサタンは毒麦をまきます。なぜなら我らの主、イエズス・キリストは本日の福音を通じて、我々の一人一人の霊魂の聖化を助けるためだけではなく、キリスト教的な文明を築かせるための教訓でもあるからです。キリスト教徒なら、自分の霊魂において天主の統治を仰ぐだけでは足りません。社会全体が天主の統治を仰いてキリスト教的になることを望むのです。
歴史上、迫害の時代の後に、最初、テオドシウスの御代の時に初めて実現したのです。それから、さらに、中世期において発展して実りました。教皇レオ13世は中世期について「福音の原則原理は国々の基本秩序に隅々まで染みていました」といいます。
天主の御言葉は本当の文明を産み、優れた実りを産むのです。
そして、サタンは当然ながら社会上の天主の御言葉の実りを破壊しようとします。カトリック的な秩序を破壊しようとします。イエズスによって制定された公教会をも破壊しようとします。なぜなら公教会の目的は一人一人の霊魂と家族による天主の王国の到来を助けるためにあるだけではなく、国家においても天主の秩序が築かれるように働くからです。
サタンはどのように教会を攻撃してきたでしょうか。歴史上、最初はユダヤ人による初期カトリック教徒に対する迫害を通じてでした。それから、ローマ皇帝によるカトリック教徒への迫害を通じてでした。古代だけでも迫害の波は10波ほどありました。この結果、少なくとも数十万人の殉教者が出ました。
しかしながら、カトリック教徒の種となる殉教者の血によって、逆に公教会は繁栄を迎えました。殉教者の功しのお陰で、異教徒だったローマ帝国の回心という恵みが得られました。
さらに、サタンは今度は、誤謬と異端を撒きます。誤謬と異端を通じて、キリスト教の不変の教義を害しようとします。しかしながら、また逆効果となり、公教会は現代に至るまでずっとずっと誤謬と異端と戦った結果、イエズスの御言葉は守られて、教義はより明らかになりました。
このように、あえて言えば、いよいよサタンは最終攻撃を企てたかのように見えます。要するに、福音の原則原理に基づいて社会を築くことを止めさせて、人間中心に社会を築くことを基本にしているのが近代世界です。このような新しい政治の原理原則はフリーメーソンのロッジで育まれた毒政治です。
そして、フランス革命を機に、これらの毒政治は凱旋しました。これらの毒政治は現代になって、キリスト教徒だった全欧州、それから全世界のほとんどすべての国々の基本をなしてしまうようになりました。
サタンとその手先たちの目的はなんでしょうか?反キリスト的な新しい世界秩序を築くことにあります。これがサタンが畑にまく毒麦の実りです。
そして、本日の福音は続きます。下男が眠っていた間に毒麦がまかれて、良い種だけが伸びているわけではないことに気づきます。主人は良い種だけを最初にまいていたのに、毒麦も混ざってしまいました。ですから、下男は主人のところに来て、毒麦を抜くかどうかを尋ねます。
そして、畑の主人の答えに驚かれた方もいるかもしれません。
つまり、「双方とも収穫の時まで育つに任せておけ。収穫の時、私は刈る人に、まず毒麦を抜き集めて焼き払うために束ね、麦を集めて倉に納めよ、と言おう」(マテオ、13、30-31)という指示を主人が出します。
言いかえると、畑に毒麦が育つことを天主が許しておられるということです。つまり、毒麦でも伸びることを天主が許しておられます。なぜでしょうか。たとえ話の主人の下男のように、すぐにでも抜きたくなることもあるでしょう。下男は天使の象徴でしょう。もっともな質問を天使たちは天主にされたことでしょう。「なぜ、地上での悪をお許しになるでしょうか。なぜこれほどまで自由にサタンに悪と罪へ導く誤謬等を広めることをお許しになるでしょうか」と。
そして、まさに、現代はこの意味で大変な時代です。毒麦は蔓延していて、最悪な実りを結んでいる途上にあるのです。これらの雑草はカトリック教会内にまで植えられてしまいました。ご存じのように、天啓された教義に反する教えを教会内で教えられることがあります。天啓された道徳に反する道徳を教会内で教えられることがあります。偽りの諸宗教は天主によって望まれていることであるというとんでもない異端も平気で教えられています。再婚した離婚者が聖体拝領できることを許可することによって、結婚の解消不可能という最も核心の掟をも攻撃されています。
天主はこれらの悪を一体なぜお許しになっておられるでしょうか?
本日の福音において、超自然の答えがあります。天主はなぜ悪をお許しになっておられるでしょうか?天主は悪を利用して、より偉大な善を得しめたもうからです。
サタンは天主の単なる道具にすぎません。そして、より偉大な善とは何ですか。まず、選ばれた者の聖化にあります。要するに、選ばれた霊魂は厳しい時代であればあるほど聖化を成し遂げられるということです。試練のお陰でより優れて聖化されるということです。
歴史上の教訓でもあります。歴史の中の多くの聖人は試練によって、聖徳と信徳、望徳、祈りにおいてより聖化されました。これらの聖徳はまさに現代で実践されなければなりません。厳しい時代であるがゆえに、聖徳をさらに実践するように努めましょう。
天主への信徳がカギになります。天主は歴史を導いて、すべてを用意し給い、決定してくださいます。また、祈りに頼りましょう。我々は自分自身を天主のために帰することによって、歴史の流れも変えられることを知っています。そして、毎日、すべての出来事、事情、試練などを益として、イエズスのこの上ない模範に倣い、多くの聖徳において成長していくようにしましょう。イエズス・キリストはわれわれの模範です。
本日の福音において、収穫の主人は使用人にこういいます。言いかえたら、天主は天使にそのように答えただろうということが言えます。「いや、毒麦を抜き集めようとして、良い麦もともに抜く恐れがある。双方とも収穫の時まで育つに任せておけ」(マテオ、13,29-30)と。
なぜなら、毒麦はもちろん、悪人などを象徴していますが、悪人らは回心することも最後まで可能ですし、我らの主、イエズス・キリストのもっとも忠実なる信徒になることでさえあります。たとえば、聖パウロはまさにそうでした。最初は彼がカトリック教徒を弾劾していました。カトリック教会を敵に回して、本日の福音の典型的な毒麦だったのです。しかしながら、聖パウロは回心を遂げて、偉大な使徒となりました。
ですから、最後の裁判を待つことです。世の終わりの裁判を待つことです。収穫の時に、その時に正義が全うされます。ですから、我々は悪人たちのために祈るべきです。
私の思うには、現代の恐ろしい危機は、恐ろしいわりに、すこぶる回心によって決着されるのではないかと思ったりします。
聖マキシミリアノ・コルベはクレメント12世をはじめとする歴代教皇に続いて、フリーメーソンなどの秘密結社に対する警戒を促すために相当書かれました。そして、彼自身も、そして聖母の騎士にも頼んで騎士たちも、毎日、フリーメーソン会員の回心のために祈っていました。
まさにそうです。悪人の回心のために我々は祈らなければなりません。なぜなら、歴史に照らしても多くの場合、異教徒、悪人、異端者の回心を用いて、天主はカトリック教会の復興とカトリック教徒文明の復興を引き起こし給うたことは少なくないのです。
イタリア文学になりますが、イタリア語での非常に有名な小説ですが、『いいなづけ (マンゾーニの小説)』という本ですが、最後にその小説の大悪人は回心して、カトリックになります。そして、この回心は逆転となります。すべてが一気に変わります。悪人が回心したおかげです。
そういった逆転もあるということを忘れてはいけません。
ですから、我々は毎日のすべての出来事を益として、自分の聖化のためになるようにしましょう。我々を超えている大問題を解決せよと天主は我々に求めておられないのです。
社会においても教会においても、かなり大がかりな問題を自分で解決することが不可能ですし、それは天主に任せましょう。この状況を受け入れるしかなくて、手も足もだせないようなところがあるにみえるかもしれません。しかしながら、天主は我々が死んだら会計を出せと命じられることになります。そして、その会計の評価基準は、どれほど愛徳が尽くされたか、聖徳が実践されたかなどです。天主からの賜物をどのように活かされたか、与えられた試練やこの厳しい世の中にどのように応じたかなどをみて裁かれます。
現代は歴史に残る時代になるでしょう。そのような時代を生きて、信徳を最期まで保って実践できたかどうか、我らの主、イエズス・キリストの凱旋のために全力を尽くし働いたかどうかなどが大事になってきます。
忘れないでおきましょう。今日のたとえ話から転じて、天主は天使たちに向けて、毒麦を残せという命令ですが、それはあくまでも天使に向けての命令であり、我々人間にむけては、毒麦を抜けと命じられます。自分の霊魂において、周りでも全力を尽くして戦えと命じられています。
このように、良い麦は我々の霊魂で実を結ぶことができるようになり、天主への忠実を果たし続けられるためです。
このように、聖母マリアに祈りましょう。本日の福音をよく黙想しましょう。そして、天主からの霊魂における良い種が成長するように、実りを結ぶように聖母マリアに祈りましょう。また、引き続き自分の霊魂にある雑草、すなわち乱れた習慣や傾向などを抜くことができるように聖母マリアに祈りましょう。このように天主の良い種が結ぶ実りは雑草の邪魔なく、どんどん立派に美しく成長していくように、永遠の命に辿りつけるように聖母マリアに祈りましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
ペトゥルッチ(PP. Petrucci)神父様のお説教
サタンの目的は反キリスト的な世界秩序にある
2022年2月6日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
親愛なる兄弟の皆様、本日の福音は我らの主、イエズス・キリストが述べられた美しいたとえ話でした。この話は我々の救霊と聖化のための天主のご計画と愛を要約している話なのです(良い種と毒麦)。
天主は純粋な愛の御業を通じて、我々を創造し給い、そのために自由意志を持った人間として創造し給いました。このように我々は自由に愛の行為を成すことによって、天主のご計画に協力できて、天主の至福に参加できるようになさってくださいました。そして、人間の罪を償い給い、成聖の恩寵を用いて天主は我々を超自然(天主)の次元にまで高め給うために、天主は御子、我らの主、イエズス・キリストを送り給うたのです。イエズスは我らの罪を償い給い、御教えを示し給うことによって、聖化を成し遂げるために、救霊を得るために我らが歩むべき天国への道を案内し給いました。
ですから、たとえ話での畑に良い種を撒く人はイエズス・キリストです。この良い種はイエズス・キリストの教えなのです。そして、障害がない限り、霊魂においてよく実るようになさっておられます。イエズス・キリストの御言葉は我々に聖徳の実践を励ましてくださいます。また、我々の自分自身に対する戦い、自分自身の乱れた傾向に対する戦いを励みを与えてくださる御言葉です。そして、自己犠牲を通じて天主への愛のために隣人への愛を実践するように励ましてくださる御言葉です。この世での人生は死後の永遠の命を得るために必要となる手柄を成し遂げる戦いである事実を思い起こしてくださる御言葉です。
天主の御言葉は山上の垂訓で要約されていると言えましょう。そして、その中の八つの幸福はカトリック教徒のための基本法のようなものです。これらの教訓は我々の人生の歩みを照らしてくれて、我々の一つ一つの決定をよきものとするように助けてくれて、また、罪に対しては我々の盾ともなります。このような掟に従いさえすれば、人生における唯一の目的なる霊魂の聖化と救霊を得られるでしょう。
しかしながら、福音によると、我らの主の敵はよい種の畑に毒麦を撒いてしまいます。この敵はだれでしょうか。サタンです。悪魔です。堕天使のことです。天主のご計画に背いた悪魔であり、天主が創造された理性のある存在物である人間を攻撃しようとします。なぜなら、天国で堕天使の代わりに堕天使の元の席に座るように人々は召され呼ばれているからです。悪魔は天主と我々に対して憎しみに満ちていて、嫉妬で溢れかえっています。
このように、悪魔は不和を撒きます。毒麦は不和を象徴します。まさにサタンは誤謬と異端を撒きます。サタンは第一に我々の霊魂を攻撃しようとします。我々の想像力をかきたてて、見せかけの善を追求するように悪魔は我々を促しています。このように、想像力や感覚をかきたてさせることによって、ある種の陶酔、興奮を引き起こすこともあります。サタンは見せかけの善を我々に見せて我々をごまかそうとします。見事な豪華や豊富さ、立派な手柄、偉い出世などの見せかけの善です。これらは我々を満足させるだろうという風に見せかけてしまいます。これらは本物の幸福であるよという誘惑です。
しかしながら、これらを得ても幸せにはなりません。なぜなら、我々は動物ではないからです。天主の象りに造られた人間には霊的な霊魂があります。人間は天主のために造られました。天主は我々の目的であり、我々は霊的な現実や超自然、永遠な事実をどうしても必要としています。そのために存在しているからです。
楽園において、アダムとイヴを誘う時、サタンは傲慢に負けて罪を犯すようにそそのかしたのです。
この世で、サタンは乱れたすべての激情に負けるように我々をそそのかします。このように、この世の見せかけの善の奴隷にさせるためです。そして、このようにサタンは我々に天主を失わせようとします。
はい、サタンは霊魂に毒麦を撒きます。
そして、教会においてもサタンは毒麦をまきます。なぜなら我らの主、イエズス・キリストは本日の福音を通じて、我々の一人一人の霊魂の聖化を助けるためだけではなく、キリスト教的な文明を築かせるための教訓でもあるからです。キリスト教徒なら、自分の霊魂において天主の統治を仰ぐだけでは足りません。社会全体が天主の統治を仰いてキリスト教的になることを望むのです。
歴史上、迫害の時代の後に、最初、テオドシウスの御代の時に初めて実現したのです。それから、さらに、中世期において発展して実りました。教皇レオ13世は中世期について「福音の原則原理は国々の基本秩序に隅々まで染みていました」といいます。
天主の御言葉は本当の文明を産み、優れた実りを産むのです。
そして、サタンは当然ながら社会上の天主の御言葉の実りを破壊しようとします。カトリック的な秩序を破壊しようとします。イエズスによって制定された公教会をも破壊しようとします。なぜなら公教会の目的は一人一人の霊魂と家族による天主の王国の到来を助けるためにあるだけではなく、国家においても天主の秩序が築かれるように働くからです。
サタンはどのように教会を攻撃してきたでしょうか。歴史上、最初はユダヤ人による初期カトリック教徒に対する迫害を通じてでした。それから、ローマ皇帝によるカトリック教徒への迫害を通じてでした。古代だけでも迫害の波は10波ほどありました。この結果、少なくとも数十万人の殉教者が出ました。
しかしながら、カトリック教徒の種となる殉教者の血によって、逆に公教会は繁栄を迎えました。殉教者の功しのお陰で、異教徒だったローマ帝国の回心という恵みが得られました。
さらに、サタンは今度は、誤謬と異端を撒きます。誤謬と異端を通じて、キリスト教の不変の教義を害しようとします。しかしながら、また逆効果となり、公教会は現代に至るまでずっとずっと誤謬と異端と戦った結果、イエズスの御言葉は守られて、教義はより明らかになりました。
このように、あえて言えば、いよいよサタンは最終攻撃を企てたかのように見えます。要するに、福音の原則原理に基づいて社会を築くことを止めさせて、人間中心に社会を築くことを基本にしているのが近代世界です。このような新しい政治の原理原則はフリーメーソンのロッジで育まれた毒政治です。
そして、フランス革命を機に、これらの毒政治は凱旋しました。これらの毒政治は現代になって、キリスト教徒だった全欧州、それから全世界のほとんどすべての国々の基本をなしてしまうようになりました。
サタンとその手先たちの目的はなんでしょうか?反キリスト的な新しい世界秩序を築くことにあります。これがサタンが畑にまく毒麦の実りです。
そして、本日の福音は続きます。下男が眠っていた間に毒麦がまかれて、良い種だけが伸びているわけではないことに気づきます。主人は良い種だけを最初にまいていたのに、毒麦も混ざってしまいました。ですから、下男は主人のところに来て、毒麦を抜くかどうかを尋ねます。
そして、畑の主人の答えに驚かれた方もいるかもしれません。
つまり、「双方とも収穫の時まで育つに任せておけ。収穫の時、私は刈る人に、まず毒麦を抜き集めて焼き払うために束ね、麦を集めて倉に納めよ、と言おう」(マテオ、13、30-31)という指示を主人が出します。
言いかえると、畑に毒麦が育つことを天主が許しておられるということです。つまり、毒麦でも伸びることを天主が許しておられます。なぜでしょうか。たとえ話の主人の下男のように、すぐにでも抜きたくなることもあるでしょう。下男は天使の象徴でしょう。もっともな質問を天使たちは天主にされたことでしょう。「なぜ、地上での悪をお許しになるでしょうか。なぜこれほどまで自由にサタンに悪と罪へ導く誤謬等を広めることをお許しになるでしょうか」と。
そして、まさに、現代はこの意味で大変な時代です。毒麦は蔓延していて、最悪な実りを結んでいる途上にあるのです。これらの雑草はカトリック教会内にまで植えられてしまいました。ご存じのように、天啓された教義に反する教えを教会内で教えられることがあります。天啓された道徳に反する道徳を教会内で教えられることがあります。偽りの諸宗教は天主によって望まれていることであるというとんでもない異端も平気で教えられています。再婚した離婚者が聖体拝領できることを許可することによって、結婚の解消不可能という最も核心の掟をも攻撃されています。
天主はこれらの悪を一体なぜお許しになっておられるでしょうか?
本日の福音において、超自然の答えがあります。天主はなぜ悪をお許しになっておられるでしょうか?天主は悪を利用して、より偉大な善を得しめたもうからです。
サタンは天主の単なる道具にすぎません。そして、より偉大な善とは何ですか。まず、選ばれた者の聖化にあります。要するに、選ばれた霊魂は厳しい時代であればあるほど聖化を成し遂げられるということです。試練のお陰でより優れて聖化されるということです。
歴史上の教訓でもあります。歴史の中の多くの聖人は試練によって、聖徳と信徳、望徳、祈りにおいてより聖化されました。これらの聖徳はまさに現代で実践されなければなりません。厳しい時代であるがゆえに、聖徳をさらに実践するように努めましょう。
天主への信徳がカギになります。天主は歴史を導いて、すべてを用意し給い、決定してくださいます。また、祈りに頼りましょう。我々は自分自身を天主のために帰することによって、歴史の流れも変えられることを知っています。そして、毎日、すべての出来事、事情、試練などを益として、イエズスのこの上ない模範に倣い、多くの聖徳において成長していくようにしましょう。イエズス・キリストはわれわれの模範です。
本日の福音において、収穫の主人は使用人にこういいます。言いかえたら、天主は天使にそのように答えただろうということが言えます。「いや、毒麦を抜き集めようとして、良い麦もともに抜く恐れがある。双方とも収穫の時まで育つに任せておけ」(マテオ、13,29-30)と。
なぜなら、毒麦はもちろん、悪人などを象徴していますが、悪人らは回心することも最後まで可能ですし、我らの主、イエズス・キリストのもっとも忠実なる信徒になることでさえあります。たとえば、聖パウロはまさにそうでした。最初は彼がカトリック教徒を弾劾していました。カトリック教会を敵に回して、本日の福音の典型的な毒麦だったのです。しかしながら、聖パウロは回心を遂げて、偉大な使徒となりました。
ですから、最後の裁判を待つことです。世の終わりの裁判を待つことです。収穫の時に、その時に正義が全うされます。ですから、我々は悪人たちのために祈るべきです。
私の思うには、現代の恐ろしい危機は、恐ろしいわりに、すこぶる回心によって決着されるのではないかと思ったりします。
聖マキシミリアノ・コルベはクレメント12世をはじめとする歴代教皇に続いて、フリーメーソンなどの秘密結社に対する警戒を促すために相当書かれました。そして、彼自身も、そして聖母の騎士にも頼んで騎士たちも、毎日、フリーメーソン会員の回心のために祈っていました。
まさにそうです。悪人の回心のために我々は祈らなければなりません。なぜなら、歴史に照らしても多くの場合、異教徒、悪人、異端者の回心を用いて、天主はカトリック教会の復興とカトリック教徒文明の復興を引き起こし給うたことは少なくないのです。
イタリア文学になりますが、イタリア語での非常に有名な小説ですが、『いいなづけ (マンゾーニの小説)』という本ですが、最後にその小説の大悪人は回心して、カトリックになります。そして、この回心は逆転となります。すべてが一気に変わります。悪人が回心したおかげです。
そういった逆転もあるということを忘れてはいけません。
ですから、我々は毎日のすべての出来事を益として、自分の聖化のためになるようにしましょう。我々を超えている大問題を解決せよと天主は我々に求めておられないのです。
社会においても教会においても、かなり大がかりな問題を自分で解決することが不可能ですし、それは天主に任せましょう。この状況を受け入れるしかなくて、手も足もだせないようなところがあるにみえるかもしれません。しかしながら、天主は我々が死んだら会計を出せと命じられることになります。そして、その会計の評価基準は、どれほど愛徳が尽くされたか、聖徳が実践されたかなどです。天主からの賜物をどのように活かされたか、与えられた試練やこの厳しい世の中にどのように応じたかなどをみて裁かれます。
現代は歴史に残る時代になるでしょう。そのような時代を生きて、信徳を最期まで保って実践できたかどうか、我らの主、イエズス・キリストの凱旋のために全力を尽くし働いたかどうかなどが大事になってきます。
忘れないでおきましょう。今日のたとえ話から転じて、天主は天使たちに向けて、毒麦を残せという命令ですが、それはあくまでも天使に向けての命令であり、我々人間にむけては、毒麦を抜けと命じられます。自分の霊魂において、周りでも全力を尽くして戦えと命じられています。
このように、良い麦は我々の霊魂で実を結ぶことができるようになり、天主への忠実を果たし続けられるためです。
このように、聖母マリアに祈りましょう。本日の福音をよく黙想しましょう。そして、天主からの霊魂における良い種が成長するように、実りを結ぶように聖母マリアに祈りましょう。また、引き続き自分の霊魂にある雑草、すなわち乱れた習慣や傾向などを抜くことができるように聖母マリアに祈りましょう。このように天主の良い種が結ぶ実りは雑草の邪魔なく、どんどん立派に美しく成長していくように、永遠の命に辿りつけるように聖母マリアに祈りましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン