白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、プーガ神父様(D.Puga)のお説教 をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
蛇の頭を踏みにじろう
プーガ神父様(D.Puga)のお説教
2022年12月08日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
「ああ美しきマリアさま、原罪の汚点はあなたにはない」(晩歌から)
親愛なる兄弟の皆さま、本日の祝日は大祝日です。皆様、平日の夕方なのに来てくださり、これを祝したいと思います。本来ならば、ご降誕、ご復活祭などの大祝日に並べて、本日の大祝日も普遍歴で義務化の祝日です。フランスでは事情あって、この義務はなくなったのですが、皆様、仕事があるのに、遅くなっているのに、わざわざミサにあずかる犠牲を捧げるのは本来ならば当然です。なぜなら、聖母マリアからいただく恩恵は数えきれないほどあるからであり、このぐらいの報恩をするのは当然です。
本日、童貞聖マリアを祝うだけではなく、天主の御子、肉身になり給う我らの主、イエズス・キリストによる贖罪の凱旋を祝うのです。
というのも、童貞聖マリアは御宿りの時にユニークな(唯一無二の)特権が与えられたからです。人類史上に太祖アダムとエヴァの過失以来、絶対にして唯一な特権であり、聖母マリア以外、だれもその特権を与えられたことはありません。
人間はみな天主の御手から直接に造られたのですが、童貞聖マリアの霊魂はほかの人々と違って、聖寵の状態で造られました。
つまり、聖母マリアの霊魂は造られた時点で、すでに天主と良い関係があったわけです。またそれは造られた時点で天主の養子となっていたわけです。また、この上ない、至上の聖寵の状態で造られました。童貞聖マリアの完全たる聖寵の状態と呼ばれる特権です。
要するに、童貞聖マリアの霊魂は聖寵の状態で造られたうえで、完全なる恩寵に満ちていました。十全な恩寵に満ちていた状態はやはり天主の御母となる御方に相応しい特権でした。
聖母マリアはなぜこれほどの特権を与えられたかというと、天主の御母であるからです。無原罪の御宿りによって、童貞聖マリアは一度も、一瞬たりとも、罪の支配の配下に入ったことはありません。原罪に穢れたことなく、原罪から免れただけではなく、一度も大罪を犯したことはもちろんありませんでしたし、小罪でさえ一度も犯したことはありませんでした。
童貞聖マリアはずっとずっと、マリア様の心に常に宿っていた聖霊の相応しい浄配でした。
「ああマ美しきマリアさま、原罪の汚点はあなたにはない」
また、我らの主、イエズス・キリストの凱旋を祝う祝日です。
なぜなら、聖母マリアの無原罪の御宿りの存在理由は我らの主イエズス・キリストのご受難、十字架上の御死による功績から生じた、あらかじめ与えられた聖母マリアの聖化であるからです。ご贖罪の功績によってこそ、聖母マリアは罪の支配から、地獄の支配から、完全に保全されたのです。
まさに、聖母マリアは我らの主、イエズス・キリストの十字架の御力の鏡であります。
イエズスによる十字架上の御生贄のおかげで生まれた恩寵によって得られることを理解したいと思うのなら、聖母マリアを見るのがよいです。
これは天主の不思議なすごい力です。天主の権威の現れです。
いつでも、被創造世界の森羅万象を通じて、天主の威厳は現れています。宇宙は自然の現状の天主の威力を示しています。
一方、天主の御子、我らの主、イエズス・キリストの超自然次元上の威厳はいとも清き童貞聖マリアの美しさと特権において現れています。
全人類の内に選び出された聖母マリアはいとも高き御方の聖櫃になる召命を受けたわけです。
旧約聖書の天主は神殿の建立を非常に大切にしていました。旧約聖書を見ると、神殿にかかわる掟は数多く細かく厳しくて、何らの冒涜からも免れるようにされていました。それは、できるだけ神殿が立派で荘厳であり続けるためでした。
それほど神殿を大切にしておられた我らの主イエズスが制定された公教会に息吹を与える聖霊の導きによって、歴史上に立派な教会、大聖堂、教会を建立されつづけて、これらの建物を大切にするように同じ天主はお望みになります。
これらの教会は欧州を徹底的に覆い、全世界でも多くありますね。
これらの教会の建立のために、これほど立派な、荘厳な教会になるように、信仰を尽くして全力を尽くすことは望ましいことだと天主が見守っておられるのではないでしょうか。
このように、石からではなく、肉身からなる神殿なる聖母マリアのためなら、旧約の神殿、新約の神殿よりも、どれほど立派に荘厳に聖霊が清き聖櫃を造り給い、大切にしたもうたかは想像に難くないのです。
ですから、無原罪の御宿りは天主の凱旋そのものです。ですから、童貞聖マリアを崇敬しすぎることはあり得ません。教会が聖母マリアの崇敬を重視しすぎるという文句が言われても筋違いです。理不尽です。
聖母マリアを見ることは、イエズスを見ることになります。聖母マリアに寄りすがったら、我らの主、御子、イエズスへ天主へ導いてくれます。
これはルルドのご出現の時に特別に現れたことです。聖母マリアが羊飼いのベルナデッタの前に現れましたが、ベルナデッタが「お嬢様、お名前はなんというでしょうか」と素直に聞きました。ベルナデッタの証言によると、すると童貞聖マリアが手を伸ばしてから両手を自分の胸に近づきながら、天へ目をくばり、「私は無原罪の御宿りです」と答えました。それは聖母マリアの最高の栄光なる特権であり、また天主からの賜物であることを知っていたからこそ、聖母マリアがそのように答えられたのです。
親愛なる兄弟の皆さま、無原罪の御宿りはまた、悪魔への罰をも意味します。悪魔への罰は特別に重くて、天主がお望みになった形で与えられます。我々の太祖が犯した原罪の悪魔の特別な役割に合わせた罰です。というのは、サタンが最初の夫婦を攻撃するために、妻を狙ったわけです。自然上、男性より弱かった女性を狙って、二人を落とそうとしたサタンです。
原罪の後、天主はアダムとエヴァを呼び出されて、何があったかを聞き出されます。その時、もはや天主と太祖の夫婦の間に絶交の状態であることはわかります。原罪のせいで天主からのよい関係を失ったことになります。また人間同士でも人間愛が失われました。
アダムが妻をさして、「あなた(天主)が私のそばにおいてくださった女があの木の実をくれたので、私もたべました」(創世記、3,12)。
アダムは責任を妻になりつけようとします。
そして天主はエヴァに向かって、「どうして、そんなことをしたのか」と聞き、エヴァが「ヘビにだまされて食べました」と答えます。そこで、天主は蛇にむかいます。悪魔は蛇の姿を借りてエヴァをいざなったのです。
天主は蛇に質問をしません。なぜなら、悪魔には言い訳があるわけがない、弁解の余地がないからです。天主は次の非常に重要な仰せを発しました。「おまえは、そのようなことをしたのだから」罰が与えられます。
「おまえは、そのようなことをしたのだから、(…)私はおまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。」
敵意というのは言い換えると、憎しみ、憎悪という意味です。はい、天主は女すなわち聖母マリア、そして女のすえすなわち我らの主、イエズス・キリストと悪魔と悪魔のすえとの間に憎しみを置くという意味です。悪魔のすえとは、悪魔の反逆の精神で動いている人々のことをさすのです。この世の物事を愛着しているから、この世に腹ばいしていく人々のことをさすのです。
「私はおまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。」
そして、聖母マリアは蛇の頭を踏み砕くのです。
「女のすえは、おまえの頭を踏み砕き、おまえのすえは、女のすえのかかとをねらうであろう。」(創世記、3、14-15)
女のすえなので、聖母マリアだけが踏み砕くのではなく、イエズス・キリストによってこそ、イエズス・キリストと一緒に、十字架の下にいる聖母マリアが悪魔の頭を踏み砕くということです。童貞なる足で悪魔の頭を踏み砕くのですが、これはよく絵などで描かれました。ある人が思いついた表象ではなく、聖書に由来する有名なモティーフなのです。
また聖母マリアご自身は、パリのバック通り、聖カテリーナ・ラブーレの前にご出現したとき、その表象に近い形で現れておられました。不思議のメダイですね。不思議のメダイに、童貞聖マリアの素足が悪魔の頭を踏み砕く表象となります。悪魔は地面に踏みにじられているのです。これは悪魔に対する完全な大勝利を象徴します。
人間同士の運動競技などで、相手に勝利したら、相手を地面に屈させるようなイメージがあるように、童貞聖マリアが悪魔の頭を踏み砕きます。なぜ頭でしょうか。蛇の頭が捕まったら、もう蛇が無力となり、動けなくなるわけです。
そして、いわゆる、一般的にいうと、女性はこのような虫、蛇、蜘蛛などをあまり好まないのですね。だから、この表象は意味が深いです。
躊躇なく、聖母マリアが素足で蛇の頭を踏み砕くということはなんとも毅然として、何のおそれがないということを表します。乱れた欲望はいっさいないのです。
聖母マリアはすごく力強くて、悪魔が聖母マリアに対して何もできないのです。無力です。悪魔にとって最悪のことであり、一番厳しい罰です。地獄の罰よりも、悪魔にとってひどい罰は聖母マリアの存在です。なぜなら悪魔は聖母マリアに対して無力であるからです。悪魔にとって、聖母マリアこそが悪魔の反逆の完全なる失敗を常に示します。
親愛なる兄弟の皆さま、現代は困難な時代です。悪魔的な時代だといえます。悪魔的な時代とはすなわち、天主に対して反逆を起こしている時代であり、天主を侮辱している時代であり、天主を見捨てる時代なのです。ですから、我々は聖母マリアを必要としています。聖母マリアに寄りすがる必要があります。
キリスト教的な社会と生活を破壊するために戦闘する暗闇の勢力に対して、我々が戦うべき戦争の中にあって、聖母マリアは我々の御旗なのです。
親愛なる兄弟の皆さま、ですから、最後にとくに強調しましょう。不思議のメダイをつねに身に着けてください。聖母マリアが与えられた不思議なメダイなので大切にしましょう。さらに、我々パリに住んでいて、パリで与えられた不思議のメダイなので、その栄光に答えましょう。1830年、ここから近い場所で、聖母マリアがご出現されましたよ。
この不思議なメダイは全世界で広まりました。
「このメダイを身につけなさい。身に着ける人々にとって盾となり、守られるだろう。積極的に信じて身に着ける人々は多くの大きな恩恵を受けるだろう」と聖母マリアがいいましたので、身につけましょう。我々は特にこれらの恩恵を必要としています。
キリスト教徒ならもちろんですが、まだ洗礼を受けていない人々も不思議なメダイを身に着けるべきでしょう。悪魔に対する盾だからです。悪魔の誘惑と策略に対する盾です。
福音書にあるように、悪魔には厳しい時代になるとはいえ、選び出された養子でさえ落ちうるようになるかもしれないが、実際はそうなりません。
はい、不思議のメダイでは聖母マリアがいつも決まって、悪魔を地面に踏み砕く姿で描かれています。たまたまではないのです。
ですから、我々は我らの主、イエズス・キリストと同じように、女のすえにあたるので、我々もこの戦いに参戦すべきであり、この戦闘に踏ん張って加わるべきであり、我々も決定的に悪魔の蛇を踏み砕くことにしましょう。
「ああ美しきマリアさま、原罪の汚点はあなたにはない」(晩歌から)
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
蛇の頭を踏みにじろう
プーガ神父様(D.Puga)のお説教
2022年12月08日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
「ああ美しきマリアさま、原罪の汚点はあなたにはない」(晩歌から)
親愛なる兄弟の皆さま、本日の祝日は大祝日です。皆様、平日の夕方なのに来てくださり、これを祝したいと思います。本来ならば、ご降誕、ご復活祭などの大祝日に並べて、本日の大祝日も普遍歴で義務化の祝日です。フランスでは事情あって、この義務はなくなったのですが、皆様、仕事があるのに、遅くなっているのに、わざわざミサにあずかる犠牲を捧げるのは本来ならば当然です。なぜなら、聖母マリアからいただく恩恵は数えきれないほどあるからであり、このぐらいの報恩をするのは当然です。
本日、童貞聖マリアを祝うだけではなく、天主の御子、肉身になり給う我らの主、イエズス・キリストによる贖罪の凱旋を祝うのです。
というのも、童貞聖マリアは御宿りの時にユニークな(唯一無二の)特権が与えられたからです。人類史上に太祖アダムとエヴァの過失以来、絶対にして唯一な特権であり、聖母マリア以外、だれもその特権を与えられたことはありません。
人間はみな天主の御手から直接に造られたのですが、童貞聖マリアの霊魂はほかの人々と違って、聖寵の状態で造られました。
つまり、聖母マリアの霊魂は造られた時点で、すでに天主と良い関係があったわけです。またそれは造られた時点で天主の養子となっていたわけです。また、この上ない、至上の聖寵の状態で造られました。童貞聖マリアの完全たる聖寵の状態と呼ばれる特権です。
要するに、童貞聖マリアの霊魂は聖寵の状態で造られたうえで、完全なる恩寵に満ちていました。十全な恩寵に満ちていた状態はやはり天主の御母となる御方に相応しい特権でした。
聖母マリアはなぜこれほどの特権を与えられたかというと、天主の御母であるからです。無原罪の御宿りによって、童貞聖マリアは一度も、一瞬たりとも、罪の支配の配下に入ったことはありません。原罪に穢れたことなく、原罪から免れただけではなく、一度も大罪を犯したことはもちろんありませんでしたし、小罪でさえ一度も犯したことはありませんでした。
童貞聖マリアはずっとずっと、マリア様の心に常に宿っていた聖霊の相応しい浄配でした。
「ああマ美しきマリアさま、原罪の汚点はあなたにはない」
また、我らの主、イエズス・キリストの凱旋を祝う祝日です。
なぜなら、聖母マリアの無原罪の御宿りの存在理由は我らの主イエズス・キリストのご受難、十字架上の御死による功績から生じた、あらかじめ与えられた聖母マリアの聖化であるからです。ご贖罪の功績によってこそ、聖母マリアは罪の支配から、地獄の支配から、完全に保全されたのです。
まさに、聖母マリアは我らの主、イエズス・キリストの十字架の御力の鏡であります。
イエズスによる十字架上の御生贄のおかげで生まれた恩寵によって得られることを理解したいと思うのなら、聖母マリアを見るのがよいです。
これは天主の不思議なすごい力です。天主の権威の現れです。
いつでも、被創造世界の森羅万象を通じて、天主の威厳は現れています。宇宙は自然の現状の天主の威力を示しています。
一方、天主の御子、我らの主、イエズス・キリストの超自然次元上の威厳はいとも清き童貞聖マリアの美しさと特権において現れています。
全人類の内に選び出された聖母マリアはいとも高き御方の聖櫃になる召命を受けたわけです。
旧約聖書の天主は神殿の建立を非常に大切にしていました。旧約聖書を見ると、神殿にかかわる掟は数多く細かく厳しくて、何らの冒涜からも免れるようにされていました。それは、できるだけ神殿が立派で荘厳であり続けるためでした。
それほど神殿を大切にしておられた我らの主イエズスが制定された公教会に息吹を与える聖霊の導きによって、歴史上に立派な教会、大聖堂、教会を建立されつづけて、これらの建物を大切にするように同じ天主はお望みになります。
これらの教会は欧州を徹底的に覆い、全世界でも多くありますね。
これらの教会の建立のために、これほど立派な、荘厳な教会になるように、信仰を尽くして全力を尽くすことは望ましいことだと天主が見守っておられるのではないでしょうか。
このように、石からではなく、肉身からなる神殿なる聖母マリアのためなら、旧約の神殿、新約の神殿よりも、どれほど立派に荘厳に聖霊が清き聖櫃を造り給い、大切にしたもうたかは想像に難くないのです。
ですから、無原罪の御宿りは天主の凱旋そのものです。ですから、童貞聖マリアを崇敬しすぎることはあり得ません。教会が聖母マリアの崇敬を重視しすぎるという文句が言われても筋違いです。理不尽です。
聖母マリアを見ることは、イエズスを見ることになります。聖母マリアに寄りすがったら、我らの主、御子、イエズスへ天主へ導いてくれます。
これはルルドのご出現の時に特別に現れたことです。聖母マリアが羊飼いのベルナデッタの前に現れましたが、ベルナデッタが「お嬢様、お名前はなんというでしょうか」と素直に聞きました。ベルナデッタの証言によると、すると童貞聖マリアが手を伸ばしてから両手を自分の胸に近づきながら、天へ目をくばり、「私は無原罪の御宿りです」と答えました。それは聖母マリアの最高の栄光なる特権であり、また天主からの賜物であることを知っていたからこそ、聖母マリアがそのように答えられたのです。
親愛なる兄弟の皆さま、無原罪の御宿りはまた、悪魔への罰をも意味します。悪魔への罰は特別に重くて、天主がお望みになった形で与えられます。我々の太祖が犯した原罪の悪魔の特別な役割に合わせた罰です。というのは、サタンが最初の夫婦を攻撃するために、妻を狙ったわけです。自然上、男性より弱かった女性を狙って、二人を落とそうとしたサタンです。
原罪の後、天主はアダムとエヴァを呼び出されて、何があったかを聞き出されます。その時、もはや天主と太祖の夫婦の間に絶交の状態であることはわかります。原罪のせいで天主からのよい関係を失ったことになります。また人間同士でも人間愛が失われました。
アダムが妻をさして、「あなた(天主)が私のそばにおいてくださった女があの木の実をくれたので、私もたべました」(創世記、3,12)。
アダムは責任を妻になりつけようとします。
そして天主はエヴァに向かって、「どうして、そんなことをしたのか」と聞き、エヴァが「ヘビにだまされて食べました」と答えます。そこで、天主は蛇にむかいます。悪魔は蛇の姿を借りてエヴァをいざなったのです。
天主は蛇に質問をしません。なぜなら、悪魔には言い訳があるわけがない、弁解の余地がないからです。天主は次の非常に重要な仰せを発しました。「おまえは、そのようなことをしたのだから」罰が与えられます。
「おまえは、そのようなことをしたのだから、(…)私はおまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。」
敵意というのは言い換えると、憎しみ、憎悪という意味です。はい、天主は女すなわち聖母マリア、そして女のすえすなわち我らの主、イエズス・キリストと悪魔と悪魔のすえとの間に憎しみを置くという意味です。悪魔のすえとは、悪魔の反逆の精神で動いている人々のことをさすのです。この世の物事を愛着しているから、この世に腹ばいしていく人々のことをさすのです。
「私はおまえと女との間に、おまえのすえと女のすえとの間に、敵意を置く。」
そして、聖母マリアは蛇の頭を踏み砕くのです。
「女のすえは、おまえの頭を踏み砕き、おまえのすえは、女のすえのかかとをねらうであろう。」(創世記、3、14-15)
女のすえなので、聖母マリアだけが踏み砕くのではなく、イエズス・キリストによってこそ、イエズス・キリストと一緒に、十字架の下にいる聖母マリアが悪魔の頭を踏み砕くということです。童貞なる足で悪魔の頭を踏み砕くのですが、これはよく絵などで描かれました。ある人が思いついた表象ではなく、聖書に由来する有名なモティーフなのです。
また聖母マリアご自身は、パリのバック通り、聖カテリーナ・ラブーレの前にご出現したとき、その表象に近い形で現れておられました。不思議のメダイですね。不思議のメダイに、童貞聖マリアの素足が悪魔の頭を踏み砕く表象となります。悪魔は地面に踏みにじられているのです。これは悪魔に対する完全な大勝利を象徴します。
人間同士の運動競技などで、相手に勝利したら、相手を地面に屈させるようなイメージがあるように、童貞聖マリアが悪魔の頭を踏み砕きます。なぜ頭でしょうか。蛇の頭が捕まったら、もう蛇が無力となり、動けなくなるわけです。
そして、いわゆる、一般的にいうと、女性はこのような虫、蛇、蜘蛛などをあまり好まないのですね。だから、この表象は意味が深いです。
躊躇なく、聖母マリアが素足で蛇の頭を踏み砕くということはなんとも毅然として、何のおそれがないということを表します。乱れた欲望はいっさいないのです。
聖母マリアはすごく力強くて、悪魔が聖母マリアに対して何もできないのです。無力です。悪魔にとって最悪のことであり、一番厳しい罰です。地獄の罰よりも、悪魔にとってひどい罰は聖母マリアの存在です。なぜなら悪魔は聖母マリアに対して無力であるからです。悪魔にとって、聖母マリアこそが悪魔の反逆の完全なる失敗を常に示します。
親愛なる兄弟の皆さま、現代は困難な時代です。悪魔的な時代だといえます。悪魔的な時代とはすなわち、天主に対して反逆を起こしている時代であり、天主を侮辱している時代であり、天主を見捨てる時代なのです。ですから、我々は聖母マリアを必要としています。聖母マリアに寄りすがる必要があります。
キリスト教的な社会と生活を破壊するために戦闘する暗闇の勢力に対して、我々が戦うべき戦争の中にあって、聖母マリアは我々の御旗なのです。
親愛なる兄弟の皆さま、ですから、最後にとくに強調しましょう。不思議のメダイをつねに身に着けてください。聖母マリアが与えられた不思議なメダイなので大切にしましょう。さらに、我々パリに住んでいて、パリで与えられた不思議のメダイなので、その栄光に答えましょう。1830年、ここから近い場所で、聖母マリアがご出現されましたよ。
この不思議なメダイは全世界で広まりました。
「このメダイを身につけなさい。身に着ける人々にとって盾となり、守られるだろう。積極的に信じて身に着ける人々は多くの大きな恩恵を受けるだろう」と聖母マリアがいいましたので、身につけましょう。我々は特にこれらの恩恵を必要としています。
キリスト教徒ならもちろんですが、まだ洗礼を受けていない人々も不思議なメダイを身に着けるべきでしょう。悪魔に対する盾だからです。悪魔の誘惑と策略に対する盾です。
福音書にあるように、悪魔には厳しい時代になるとはいえ、選び出された養子でさえ落ちうるようになるかもしれないが、実際はそうなりません。
はい、不思議のメダイでは聖母マリアがいつも決まって、悪魔を地面に踏み砕く姿で描かれています。たまたまではないのです。
ですから、我々は我らの主、イエズス・キリストと同じように、女のすえにあたるので、我々もこの戦いに参戦すべきであり、この戦闘に踏ん張って加わるべきであり、我々も決定的に悪魔の蛇を踏み砕くことにしましょう。
「ああ美しきマリアさま、原罪の汚点はあなたにはない」(晩歌から)
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン