ファチマの聖母の会・プロライフ

お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られるために!天主の創られた生命の美しさ・大切さを忘れないために!

隠された十字架や御像

2023年03月30日 | お説教
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、プーガ神父様(D.Puga)のお説教 をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

日本語字幕つきは近日掲載!

▼フランス語原文はこちら▼


隠された十字架や御像
プーガ神父様(D.Puga)
2023年3月26日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン。親愛なる信徒の皆様、今日からご受難節に入ります。四旬節の一部ですが、四旬節中の頂点となります。今までの数週間はご受難節を準備するためにあります。公教会と一緒に、我らの主イエズス・キリストのご受難を再び追体験するのです。そして、その御死去を記念し、その三日後の日曜日の復活祭でご復活を祝うことになります。

公教会は喪を不思議な形で記念することになります。ご受難の節に入ると典礼上に変更が生じます。特に十字架や御像は紫色のヴェールで隠されます。昼間に、本教会を訪問しに来る人々はこの古い慣行の姿を見て驚くことが多いです。
この典礼上の慣行は非常に古くて、聖伝の典礼では厳格に守られています。新しい典礼では任意となってしまいましたが、とにかく古い慣行です。
初期キリスト教時代から引き継がれた改悛の精神を思い起こすための慣行です。



ヴェールの慣行についての質問を受けたら、以上のように答えましょう。

なぜなら、古代の教会では四旬節という期間は洗礼を受けようとする人々のための準備期間として重要な時期だったからです。これらの人々は典礼に与かってはいるもののまだ公教会の一員ではないのですね。
また、四旬節は公けに罪を犯した罪人の改悛のための期間でもありました。つまり、重大な罪を犯して、しかも人々にとってあからさまな罪で、公けになる大罪を犯した罪人の改悛のための期間でもありました。
四旬節の間、これらの深刻な罪を犯した罪人は改悛するように求められて、告解の秘蹟を通じて天主との仲直りを準備するための期間であり、その暁には復活祭のミサに再びご聖体拝領をできることになります。



四旬節の間にこれらのいわば「公けの罪人」は教会から排除されていたわけです。つまり、教会から追放されて、公教会の交わりから除かれて「破門」されていた状態でした。
時間が経つと、平信徒は自分も改悛して苦行することが相応しいと思いました。なぜなら多くの信徒は公けに罪を犯さなくても天主のみ前で重大な罪を犯すこともあるからですね。もちろん、これら罪人は見えていない罪人なので、罪であるかどうか判断しかねる場合が多いです。

このように、多くの信徒は罪人であることを意識して、公けに改悛する人々とともに、自分自身も改悛したいという気持ちがありました。そういったことから、四旬節の間に教会の内陣を隠す慣行が生まれました。教会の内陣には十字架や諸聖人の御絵、御像などがありました。古代なら、教会の中心にあった十字架の周りには諸聖人の御絵、御像は必ずといってもよいほどありました。

要するに、内陣の前に広い紫色の布を吊って、改悛という四旬節の期間に内陣が見えないようになっていました。つまり、四旬節の間は信徒たちは聖なる生贄、ミサ聖祭を見ることができませんでした。これはつまり、「私は罪人であり、ミサ聖祭にあずかる資格はない、天主の聖性に触れる資格はないことを認める」という想いを表すためでした。

このように、吊るされたヴェールは四旬節の最初から聖金曜日までありました。聖金曜日になったら、諸聖人の御像などは隠されたままでしたが、十字架のヴェールを外しました。つまり、聖金曜日になると、信徒の皆さんは十字架だけは見られるように助ける典礼上の工夫でした。
我らの主イエズス・キリストの十字架によってこそ、我々は改悛できるということを表すためでした。

聖金曜日、聖土曜日の間、教会にあるすべての十字架は見られるようになります。それは、天主の素晴らしい御愛を印す十字架であり、我らの主イエズス・キリストの御死去を思い起こさせる十字架です。イエズスは我々のために犠牲になり給うたほどに我々を愛し給うたことを思い起こさせる十字架です。また、今日もイエズス・キリストはもう一度十字架を担ってまで我々一人ひとりの霊魂を救う覚悟があるほどの御愛だということを思い起こさせる十字架です。

そして復活祭の徹夜祭の最後、我らの主の復活を祝うときに合わせて、残りのヴェールを外します。諸聖人も見られるようになります。
それは、キリスト教徒たちの罪人はイエズス・キリストに従いながら行った改悛の末に、いよいよ天にいる諸聖人の通功に復帰したということを表します。

時代を追うごとに、内陣を隠す広いヴェールは覆われなくなりましたが、四旬節の最初からではなく復活祭になる前の二週間となるご受難節から十字架や諸聖人をヴェールで隠す慣行は現代まで残りました。

聖木曜日、聖金曜日と聖土曜日の典礼にあずかれるのなら、是非与かってくださいね、以上の話が目で見えることになりますので。
聖金曜日の典礼では、十字架を荘厳に礼拝する儀式があります。十字架を礼拝する儀式の前に、助祭と副助祭の補佐をうける司祭が十字架のヴェールを外す儀式があります。そのあと、信徒は十字架を礼拝します。

それから、聖土曜日の徹夜祭にあずかるのなら、その途中ですべての御像のヴェールは外されます。それは、よい改悛の末に、再び諸聖人の通功へ復帰できるということを象徴します。天にある我々の故郷へ再び帰れるということを表すのです。

これらの典礼上のことは細かなことでしょうが、公教会はこのように多くの典礼上に工夫を尽くすことで、我々が典礼をよく体験できるように、またご受難節の間に教えられる真理をよりよく理解させるのです。

こうしてご受難節の間、四旬節の間、特に改悛のために尽くした苦行や、遷善の決心などをさらに頑張って努力して尽くしましょうということを助けるのです。

またそれよりも重要で、この世から一歩距離をおいて、現世から、またこの世の精神から離れるように、ご受難の二週間、現世にある多くの遊楽、忙しさから離れるようにと励ますのです。ご受難の節はちょうど14日間ですが、十字架の道行の14つの留に相当します。

親愛なる信徒の皆様、我々も自分の生活の中に、紫色のヴェールですべて空しい物事を隠しましょう。二週間ぐらい、我らの主、イエズス・キリストのご受難を黙想して、一致するように努力しましょう。
ぜひとも、それを努力するようにお勧めします。

そうするために、聖母マリアとともに、聖母マリアと一致して、祈りましょう。先ほど、お知らせにあったように来週の金曜日は哀れみの聖母マリアの祝日です。また聖マリアの七つの御苦しみとも言います。



十字架のもとに立っておられる聖母の祝日です。復活祭までの残りの時間を聖母マリアと一緒に過ごしましょう。
14日間あるので、例えばですが、十字架の道行の一留を毎日黙想することができます。

御哀れみの聖母と一緒に黙想しましょう。福音書の中に、イエズスの公生活になってから、聖母マリアに関する記述はほぼなくなります。公生活の最初、イエズスが起こす最初の奇跡の時、聖母マリアがいます。召使いに「何でもあの人の言う通りにしなさい」(ヨハネ、2,5)といいます。そして、それ以降、聖母マリアはあらわれなくなります。そして、聖母マリアはふたたび登場します。イエズスがすべての人々から見捨てられたときに、聖母マリアがいます。十字架の下に聖母マリアがいました。



想像してみください。童貞聖マリアの苦しみがどれほど大きかったか。自分の子が苦しめられて軽蔑されて誹謗されて拷問されることを見て、そして十字架上のイエズスの最期の叫び声が聞こえたとき、聖母マリアはどれほど苦しんだでしょうか。聖母マリアはご降誕の日、幼いイエズスを抱いて、赤ちゃんの最初の泣き声が聞こえたときと十字架の時との声、最初と最後にいたのが聖母マリアです。

親愛なる信徒の皆様、ご受難節を聖母マリアとともに過ごしたら、天主のみから来る安泰、平和のうちに我らの主イエズス・キリストのご受難節を過ごすことができることでしょう。

また、我らの霊魂が天主から見てどれほど貴重なものであるかをも理解するでしょう。
天主は、ご自身の御子なる我らの主イエズス・キリストを我らの霊魂の救いのために、我々の罪を償って天国の門を開けるために、送られるほどに我々の霊魂を大切なものとしてくれたのです。



聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。