2018年12月1日(土)に開催された、「カトリック復興の会」でビルコック神父様による講話が上映されました。皆様に全文をご紹介します。
ビルコック(Billecocq)神父様に哲学の講話を聴きましょう
さて、三回にわたって、フリーメーソンについてご紹介した上に、前回はプロテスタント主義について話しました。厳密に言うと、プロテスタント主義の理論をご紹介しました。
今回は、簡潔な形になりますが、プロテスタント主義の理論は、政治の次元でどういった結果を起こすかについて触れたいと思います。つまり、政治と関係があるかどうか、です。確かに、ご紹介したとおりに、プロテスタント主義とは、先ず異端に他なりません。信仰に反する異端です。プロテスタントという異端は、発生してからほぼ直ぐに破門されました。カトリック教会が、プロテスタント主義を破門するにはそれほど時間はかかりませんでした。
プロテスタント主義は異端です。異端というのは、知識上の誤謬で、信仰に反する誤謬です。異端は思弁的な教義であるとも言えます。ところで、この理論と政治との間に関係はあるでしょうか。もしもあるのなら、こういった関係は具体的にどうなるのでしょうか。それから、実際に、政治におけるプロテスタント主義の帰結はなんでしょうか。今晩の課題として、以上の質問に答えてみたいと思っております。
結論から言うと、先ず、その理論と政治の間に強い関係があること、現代において私たちの経験しているこの世は、まさにプロテスタント主義から来る必然的な帰結に他ならないこととの二つを今晩、証明していきたいと思います。
さて、先ず、本番に入る前に、前回に見たプロテスタント主義の教義を簡潔に改めて要約してみましょう。
簡潔に整理してプロテスタント主義を要約すると、三つの視点から説明できます。
第一点、当時のカトリック教会では、改革の必要があった事実。この事実は、疑う余地がありません。ある人々は、カトリック教会において乱れがあったからといって、それでルターやプロテスタント主義を正当化しようとします。確かに、乱れなどはありました。でも、それは驚くことでもなく、人間の本性は傷つけられているので、乱れは今でも出てきているし、いつまでも出てくるわけです。つまり、確かに当時のカトリック教会では乱れがあった。が、あったとはいえ、それでプロテスタント主義の弊を弁解するわけにはいけません。少なくとも、この第一点は、当時の事情というか、当時の環境であり、その空気の内に、プロテスタント主義が生まれたことは確かです。
一般的に言われるのが、ルターはこういった乱れに対して応じようとしたのだ、とされています。しかし、残念ながら、彼は悪い答えを出してしまいました。なぜ悪い答えだったかというと、二つの理由があります。
第一の理由は、これは第二の視点になりますが、つまりルターからの視点で、また、ルターの思考では、どう応じたのかという所にあります。
当時のカトリック教会にあった乱れに対して、なぜルターが悪い答えを出したかというと、まず、彼の養成に問題がありました。前回に見たとおりに、第一に、ルターは唯名論という教えを受けました。唯名論という説は覚えていらっしゃるでしょうか。唯名論という説は、名前があっても、その名前は本当の意味を成さないよ、という理論です。人間は個別の物を知っているかもしれないが、個別の経験に基づいて、抽象化して、普遍的なモノを知るということはできない、という説です。簡潔に要約していますが、問題の核心というと、こうなります。つまり、ルターの唯名論は、理性への根本的な軽蔑にほかなりません。
こういった養成を受けたルターですが、唯名論の上に、アウグスティヌス主義という教えの影響の下にもいました。アウグスティヌス主義というのは、アウグスティヌスの理論の間違った解釈、間違った理解で、歪曲されたものです。アウグスティヌス主義は、前回の紹介をまとめると、人間の本性への根本的な悲観主義に他なりません。したがって、ルター主義の中枢には、ある種の悲観主義があるわけです。
唯名論から来る悲観主義は、理性に対する悲観主義になります。理性は、実際に何かを知ることはできないことになるからです。アウグスティヌス主義の場合は、人間の本性に対する悲観主義になります。思い出しましょう。ルターにとって、人間の本性は、傷つけられているどころか、完全に堕落した本性で、真っ暗で、「もうダメだ!」という感じです。これは大事な要素です。以上は、ルターの養成から来た彼の思考によるプロテスタント主義です。
ルターについて語るときに、忘れてはいけない側面があります。彼の傲慢です。もちろん、色々、彼の小心や彼の臆病な性格についていろいろ語られましたが、その上に、ルターの傲慢心の非常さを絶対に忘れてはいけません。ルターの伝記作者の一人によると、「ルターは対立が起きるのなら、心を打ち砕かれるよりも、却って刺激される」というほどです。まさにそうなんです。もし、ルターが本当にためらっていたのだったら、言い出すことに関して心配なことが本当にあったのだったら、本当に、細心だったのなら、当時のカトリック教会とそれらの権威に従ったら良かったことでしょう。当時の教皇が何人かの一番有識な枢機卿や神学者をルターの許へ送ってどれほど彼の説得に努力したかは、周知のことでしょう。特にカイェタン(Cajetan)枢機卿まで送って、ルターに正気を取り戻させようとしました。しかしながら、ルターは拒絶しました。彼には、深い傲慢心があったからです。
以上は、ルターという視点から見たプロテスタント主義です。
続いて、第三点は、プロテスタント主義の理論から見た視点です。言い換えると、ルターを越えて、プロテスタント主義として、宗派を問わずに、一般的に見られる共通点です。義化に関する問題です。つまり、プロテスタント主義によると、霊魂における天主からの直接の作用はもうなくなります。天主の恩寵が霊魂を覆うに過ぎなくなります。覆ったとしても、人間は汚いままです。要するに、プロテスタント主義での義化というのは、悲観主義を隠すだけにすぎません。あえて言えば、「人間の悪さを、人間の悪質を、人間の汚いドン底を隠す天主」にしてしまったのです。つまり、プロテスタントでは、天主が、義化を通じて人間を覆うかもしれないが、人間を変えることはないと言います。つまり、何があっても、何も変わらないのです。要するに、プロテスタントの宗派を問わずに、必ずその底には人間に対する悲観主義があるというわけです。そして、神学上のすべての問題は、プロテスタントの義化に集中しますが、悲観主義という問題は残ります。その誤った義化は問題は解決せずに、隠すだけです。
例えてみましょう。人間をボロボロの壁とします。そこにピカピカな紙を張り付けるだけでは、壁はボロボロのままです。これはプロテスタント主義の義認です。ちなみに、カトリックなら、義化(悔悛の秘跡)は、壁を綺麗にする(清める)わけです。ですからプロテスタントは義化ではなく「義認」と言いますが、義認とは壁にある欠陥を隠すのですが、その壊れているところを直さないわけです。ルターにとっての義化とは以上のようです。従って、天主の恩寵はもう私たちには働かなくなるという結果になります。天主の恩寵は人間を覆うものの、人間において、もう作用しないので効果がないということになってしまいます。
宗派を問わずに、プロテスタントにあるもう一つの共通点というと、「義認」の理論の他に、自由解釈ということがあります。プロテスタントといった時に、直ぐに自由解釈が念頭に浮かびます。自由解釈というのは、結局、皆それぞれの好みで、聖書を解釈できるということです。従って、しいて言うと、プロテスタントの宗派の数は、プロテスタントの信徒の人数ほどにあると言えます。実際に、多くの違うセクトにあちこちグループで集まるのは確かですが、やっぱり非常に多いんです。少なくとも、自由解釈というのは、カトリック教会の解釈を否定して、個人の解釈を重んじる主義になります。
前回に見たプロテスタント主義の理論を要約してみると、最後の第三点はこうなります。信仰の問題です。まさに、ルターにおける信仰の問題です。
ここにも、悲観主義が底流にあります。ルターにとって、理性は物事を一切知ることができないと言っているわけです。逆に、カトリック信徒にとっての信仰というと、理性による行為です。信仰は知性による行為なのです。当然ながら、信徳によって昇華される行為であるかもしれませんが、一先ずに、信仰というのは本当の意味での知性による行為です。信仰が理性の行為だというのは、天主に啓示された真理に従おうという意図的な理性の行為ということです。
しかしながら、ルターにとっての信仰は違います。理性への軽蔑のせいで、その悲観主義のせいで、信仰は、もう積極的な肯定でなくなり、知性による行為でなくなります。その代わりに、信仰は一種の信頼だけになります。言い換えると、ある客観的な対象に積極的に従おうとする行為ではなくなります。逆に、信仰は主体による行為になってしまい、その主体によってこそ価値づけられています。この違いはわかりますか。大事です。
カトリック信徒にとっての信仰の価値は、「私がやっていること」というのではなくて、「肯定する客観的な対象」にあるわけです。つまり、同意する真理にこそその価値があります。要するに、ある真理が不動にそこにあって、それを見たので積極的にその真理に従おうとするのです。これこそが、信仰なのです。カトリック信仰というのは、恩寵に動かされるのはもちろんのことですが、その上に、天主によって示された真理への知性による積極的な同意に他なりません。
ルターにとっては、ずっと底流に悲観主義があるせいで、外にある客観的な真理への同意でなく、内面的な個人的な信頼になってしまいます。要するに、この信仰は、純粋な主体的な行為になってしまいます。もう、客観的な対象によってその価値が決まるというのではなく、その行為を成す主体によって信仰の価値が決まってしまいます。信頼にすぎません。
以上は、前回の見たことの要約です。
さて、それぞれの問題をより理解するために、二つの言葉で要約してみましょう。先ず、独立精神なのです。それから、二つ目ですが、結局、独立精神から来る結果で、主観主義に他なりません。
第一、独立精神です。なぜでしょうか。ルターは、カトリック教会、聖伝の諸権威を拒絶します。聖書の解釈においてこれが明白です。教父たちの言ったことを軽蔑したり、カトリック教会の言っていることを軽蔑したり、教皇様の言っていることを軽蔑したりするわけです。ルターの教皇に対する言葉が、どれほど罵倒的であるか周知の通りです。プロテスタントは、要するに、権威の拒絶に他なりません。宗教上のすべての権威の拒絶なのです。
従って、カトリック教会への拒絶にもなります。独立精神の先に、少なくとも宗教上にいうと、より酷いことがあります。つまり現実への拒絶です。ルターはもう目の前にある現実、客観的な対象、つまり物事への同意を否定したので、ルターは自分自身にしか同意していません。
自分が実行する行為に同意するのです。この意味で、プロテスタント主義を特徴づける二つ目の言葉は、主観主義です。プロテスタントの理論の底流にあるのは、また、プロテスタントの理論の結果を特徴づけるのは、主体です。というのも、何かを実行している主体を重んじるところこそ、プロテスタントの理論の大きな特徴だからです。「我」の世界ですね。個人の世界です。ルターの理論の結果をちゃんと理解する為に、独立精神という特徴を念頭に置くべきです。
もちろん、ルターは「世界や国々を変えて見せるぞ」といったような政治家として、自分を全く思っていませんでした。ルターの意図は、最初はそこにありませんでした。間違いなく。だからといって、その意図はなかったからといって、その誤った理論の結果は私たちの目の前に今あることは変わりません。ルターがこういった結果を望まなかったからといって、それらの結果が存在しないわけではありません。ルターは自分の理論を立てました。それで、これから見ていきたいのは、その理論に沿って展開し、発展してみたら、どういった結果・帰結が生じるのかというところです。ルターは種を撒きました。自分で、個人的に、種の実った果物を予想できたとは限りません。しかしながら、予想できなかったとしても、第一にその結果はそれでも存在します。第二に、それでも(それ等は)ルターの撒かれた種に由来するということです。
因みに、留意していただきたいことがあります。17世紀と18世紀の政治学上の大人物はいずれもプロテスタント信徒であることは、興味深いです。信じられないことでしょう。16世紀以降に、新政治学を設立する大理論家、いや教条主義者の内に、幾つかの名が浮かんできます。イギリス人が多くいます。例えば、ホッブスです。またロックです。それから、フランス人ですが、あるいはスイス人として考えてもいいけど、ルソーです。ルソーはカトリック信徒だったりプロテスタント信徒だったり、どちらの宗教上の権威の下にもあまり落ち着かなかったみたいです。要するに、やっぱり独立精神そのものに立った人物です。この意味でプロテスタントの精神はルソーに強く底流しています。
特にホッブスにおいてプロテスタント理論が強くあります。御存じだと思いますが、ホッブスによる主な著作は1551年に出版されたレヴァイアサンです。レヴァイアサンというのは、力強い醜い怪獣の名前で、旧約聖書に登場する海獣です。特にヨブの書に登場します。
ホッブスの政治理論の基礎は、よく知られている文章に要約されています。「万人は万人に対して狼」と。つまり、ホッブスの政治理論の中枢にあるのは、人間には本質的な悪質、悪意があるということになります。プロテスタントの底流にある人間の本性の堕落という悲観主義とまさに一致します。「万人は万人に対して狼」。人間同士では争うだけだ、と。そこから出発して、社会契約の発想に繋がります。つまり、人々は一人の長を選んで、政治上の課題を運営するために、全能の国家を設立します。全能の国家というのは、簡単にいうとこのレヴィアサンなのです。不浄なる強力なる海獣としての国家になります。ある種の独裁主義になります。その全能のお陰で、人間同士の無数の争いを解決するという説なのです。とはいえ、ホッブスの理論の基礎には、社会ではなく、一人ぼっちの個人がいるわけです。ところが、悪質なる個人なのであって、それはプロテスタントの悲観主義から来ます。
ロックは、1667年に「寛容論」を出します。「寛容」とは、面白いことで、注目してください。寛容の話の前提には、人々はバラバラで、統合無しで、統一無しで、なんとか共存させようという前提があります。要するに、それぞれの派閥の間に、一つが優位にならないようにするのが「寛容策」の目的です。当然ながら、本来の、本当の意味での「寛容」が勿論存在しますが、これと違います。ロックなどの近代的な「寛容」、こういった「寛容論」になってしまうと、真理を相対化して、真理の優位を無くすという前提がみられます。要するに、方針づける、方向付ける真理はもうありません。ここにこそ、ルターにおける理性に対する悲観主義を見いだせます。
最後にルソーです。『三人の改革者』という本において、ルソーを指して「自然の聖人 saint de la nature」とジャック・マリタン(Maritain)が名付けます。ルソーにとって、人間の本性は善いのですが、社会によって堕落させられているとしています。以前の見方との逆になりますね。人間は悪質ではないと。しかしながら、結果として、以前と変わりません。社会による堕落のせいで、人間は悪質になってしまうので。それで、人間なら、唯一の良い対策は、個人として生きていくということになります。ここでは、ルターに見られる個人主義を見出せます。これから出発して、社会生活の全般を壊すことになります。
以上の三人だけを挙げてみても、プロテスタント主義の理論がどうやって浸透していくのかが感じられます。雄蕊(おしべ)のように、花粉を空気に飛び散らしていくような感じで、どんどん新しい流派を生んでいきます。政治流派を含めて。
レヴィアサンから引用したホッブスの文章が手元にありますので、読み上げます。
「以上によって明らかなことは、自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力が無いあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある。」 その後に、「万人は万人に対して狼」というのが登場します。それから、社会契約をする必要があると訴えるところです。まあ、次の課題に移りましょう。
プロテスタント主義の政治に対する知識上の結果を分析するまえに、歴史を見ると面白いでしょう。つまり、プロテスタント主義の歴史を見るだけで、政治上のその結果は見えてきますから。プロテスタント主義が起きて、どういうふうに社会へ影響を与えたか、社会に関係したか、その歴史を見る価値があります。
プロテスタントというものを、理論として扱う前に、理論的に議論する前に、先ず事実上、どうなったかを見ておきましょう。例えば、プロテスタントが有力になったのは、平和的な手段で出来たことなのでしょうか。皆様はもう答えを知っておられると思いますけど。勿論、宗教戦争です。
神聖帝国で、ルターがどれほど激しい混乱を起こしたか周知の通りです。農民の一揆とかです。ルターが幾つかの一揆を煽ったし、幾つか煽らなかったところもありますが、幾つかの反乱を煽ったことも確かです。また、諸地方の決定的な分離も起きました。諸侯の間の不和も起きました。所謂、有名な「cujus regio, ejus religio」があります。「ある領地には、その領地の宗教」です。人々は、その領主の宗教と同じ宗教でなければならないという発想です。従って、宗教というのは、恣意的なモノになってしまった上に、領主に依存するようになってしまいました。後でまた触れますが、宗教が政治的権威に依存するようになってしまいました。
それから、当時は継続的な戦争状態となったのです。フランスでは、どれほどの多くの戦争をプロテスタントが起こしたか周知の通りです。竜騎兵平定やサン・バルテルミの虐殺は有名ですけど、宗教戦争については専門家に参照していただきたいと思います。研究上の専門家に、です。一般的に教科書で言われることではなくて、です。真面目にそれらの歴史課題を研究した専門家によると、プロテスタントによる非行や挑発は明白だと通説になっています。もしも、それらの専門書を読んでも、納得いかないのなら、北ヨーロッパの国々の歴史を見たら良いでしょう。名前をちょっと思い出せませんが、そうそう、スカンジナビアの国々で、特にノルウェーとかです。そこでは、剣をもって、どうやってプロテスタントの支配が出来たかという歴史が見られるので、だれでも納得すると思います。印象に残ります。プロテスタントの宗派の支配を無理やりに押し付けたために、数千人の死者がでたほどです。
要するに、歴史の事実を見るだけでは、プロテスタント主義と政治的生活の間に、何かうまくいかないということが既に見てとれます。事実だけですが、政治的生活上に、プロテスタント主義は平和をもたらしたのではありません。事実上、不和と戦争をもたらしたのです。前にも見たように、プロテスタント主義には、底流に不和の種を持っているのです。それで、不和と分離を実際にもたらしてしまったのです。
(続く)
プロテスタント主義とその政治的な帰結について(後編)ビルコック(Billecocq)神父による哲学の講話
プロテスタントの教えとその政治的な結果について(後編)
ビルコック(Billecocq)神父様に哲学の講話を聴きましょう
さて、三回にわたって、フリーメーソンについてご紹介した上に、前回はプロテスタント主義について話しました。厳密に言うと、プロテスタント主義の理論をご紹介しました。
今回は、簡潔な形になりますが、プロテスタント主義の理論は、政治の次元でどういった結果を起こすかについて触れたいと思います。つまり、政治と関係があるかどうか、です。確かに、ご紹介したとおりに、プロテスタント主義とは、先ず異端に他なりません。信仰に反する異端です。プロテスタントという異端は、発生してからほぼ直ぐに破門されました。カトリック教会が、プロテスタント主義を破門するにはそれほど時間はかかりませんでした。
プロテスタント主義は異端です。異端というのは、知識上の誤謬で、信仰に反する誤謬です。異端は思弁的な教義であるとも言えます。ところで、この理論と政治との間に関係はあるでしょうか。もしもあるのなら、こういった関係は具体的にどうなるのでしょうか。それから、実際に、政治におけるプロテスタント主義の帰結はなんでしょうか。今晩の課題として、以上の質問に答えてみたいと思っております。
結論から言うと、先ず、その理論と政治の間に強い関係があること、現代において私たちの経験しているこの世は、まさにプロテスタント主義から来る必然的な帰結に他ならないこととの二つを今晩、証明していきたいと思います。
さて、先ず、本番に入る前に、前回に見たプロテスタント主義の教義を簡潔に改めて要約してみましょう。
簡潔に整理してプロテスタント主義を要約すると、三つの視点から説明できます。
第一点、当時のカトリック教会では、改革の必要があった事実。この事実は、疑う余地がありません。ある人々は、カトリック教会において乱れがあったからといって、それでルターやプロテスタント主義を正当化しようとします。確かに、乱れなどはありました。でも、それは驚くことでもなく、人間の本性は傷つけられているので、乱れは今でも出てきているし、いつまでも出てくるわけです。つまり、確かに当時のカトリック教会では乱れがあった。が、あったとはいえ、それでプロテスタント主義の弊を弁解するわけにはいけません。少なくとも、この第一点は、当時の事情というか、当時の環境であり、その空気の内に、プロテスタント主義が生まれたことは確かです。
一般的に言われるのが、ルターはこういった乱れに対して応じようとしたのだ、とされています。しかし、残念ながら、彼は悪い答えを出してしまいました。なぜ悪い答えだったかというと、二つの理由があります。
第一の理由は、これは第二の視点になりますが、つまりルターからの視点で、また、ルターの思考では、どう応じたのかという所にあります。
当時のカトリック教会にあった乱れに対して、なぜルターが悪い答えを出したかというと、まず、彼の養成に問題がありました。前回に見たとおりに、第一に、ルターは唯名論という教えを受けました。唯名論という説は覚えていらっしゃるでしょうか。唯名論という説は、名前があっても、その名前は本当の意味を成さないよ、という理論です。人間は個別の物を知っているかもしれないが、個別の経験に基づいて、抽象化して、普遍的なモノを知るということはできない、という説です。簡潔に要約していますが、問題の核心というと、こうなります。つまり、ルターの唯名論は、理性への根本的な軽蔑にほかなりません。
こういった養成を受けたルターですが、唯名論の上に、アウグスティヌス主義という教えの影響の下にもいました。アウグスティヌス主義というのは、アウグスティヌスの理論の間違った解釈、間違った理解で、歪曲されたものです。アウグスティヌス主義は、前回の紹介をまとめると、人間の本性への根本的な悲観主義に他なりません。したがって、ルター主義の中枢には、ある種の悲観主義があるわけです。
唯名論から来る悲観主義は、理性に対する悲観主義になります。理性は、実際に何かを知ることはできないことになるからです。アウグスティヌス主義の場合は、人間の本性に対する悲観主義になります。思い出しましょう。ルターにとって、人間の本性は、傷つけられているどころか、完全に堕落した本性で、真っ暗で、「もうダメだ!」という感じです。これは大事な要素です。以上は、ルターの養成から来た彼の思考によるプロテスタント主義です。
ルターについて語るときに、忘れてはいけない側面があります。彼の傲慢です。もちろん、色々、彼の小心や彼の臆病な性格についていろいろ語られましたが、その上に、ルターの傲慢心の非常さを絶対に忘れてはいけません。ルターの伝記作者の一人によると、「ルターは対立が起きるのなら、心を打ち砕かれるよりも、却って刺激される」というほどです。まさにそうなんです。もし、ルターが本当にためらっていたのだったら、言い出すことに関して心配なことが本当にあったのだったら、本当に、細心だったのなら、当時のカトリック教会とそれらの権威に従ったら良かったことでしょう。当時の教皇が何人かの一番有識な枢機卿や神学者をルターの許へ送ってどれほど彼の説得に努力したかは、周知のことでしょう。特にカイェタン(Cajetan)枢機卿まで送って、ルターに正気を取り戻させようとしました。しかしながら、ルターは拒絶しました。彼には、深い傲慢心があったからです。
以上は、ルターという視点から見たプロテスタント主義です。
続いて、第三点は、プロテスタント主義の理論から見た視点です。言い換えると、ルターを越えて、プロテスタント主義として、宗派を問わずに、一般的に見られる共通点です。義化に関する問題です。つまり、プロテスタント主義によると、霊魂における天主からの直接の作用はもうなくなります。天主の恩寵が霊魂を覆うに過ぎなくなります。覆ったとしても、人間は汚いままです。要するに、プロテスタント主義での義化というのは、悲観主義を隠すだけにすぎません。あえて言えば、「人間の悪さを、人間の悪質を、人間の汚いドン底を隠す天主」にしてしまったのです。つまり、プロテスタントでは、天主が、義化を通じて人間を覆うかもしれないが、人間を変えることはないと言います。つまり、何があっても、何も変わらないのです。要するに、プロテスタントの宗派を問わずに、必ずその底には人間に対する悲観主義があるというわけです。そして、神学上のすべての問題は、プロテスタントの義化に集中しますが、悲観主義という問題は残ります。その誤った義化は問題は解決せずに、隠すだけです。
例えてみましょう。人間をボロボロの壁とします。そこにピカピカな紙を張り付けるだけでは、壁はボロボロのままです。これはプロテスタント主義の義認です。ちなみに、カトリックなら、義化(悔悛の秘跡)は、壁を綺麗にする(清める)わけです。ですからプロテスタントは義化ではなく「義認」と言いますが、義認とは壁にある欠陥を隠すのですが、その壊れているところを直さないわけです。ルターにとっての義化とは以上のようです。従って、天主の恩寵はもう私たちには働かなくなるという結果になります。天主の恩寵は人間を覆うものの、人間において、もう作用しないので効果がないということになってしまいます。
宗派を問わずに、プロテスタントにあるもう一つの共通点というと、「義認」の理論の他に、自由解釈ということがあります。プロテスタントといった時に、直ぐに自由解釈が念頭に浮かびます。自由解釈というのは、結局、皆それぞれの好みで、聖書を解釈できるということです。従って、しいて言うと、プロテスタントの宗派の数は、プロテスタントの信徒の人数ほどにあると言えます。実際に、多くの違うセクトにあちこちグループで集まるのは確かですが、やっぱり非常に多いんです。少なくとも、自由解釈というのは、カトリック教会の解釈を否定して、個人の解釈を重んじる主義になります。
前回に見たプロテスタント主義の理論を要約してみると、最後の第三点はこうなります。信仰の問題です。まさに、ルターにおける信仰の問題です。
ここにも、悲観主義が底流にあります。ルターにとって、理性は物事を一切知ることができないと言っているわけです。逆に、カトリック信徒にとっての信仰というと、理性による行為です。信仰は知性による行為なのです。当然ながら、信徳によって昇華される行為であるかもしれませんが、一先ずに、信仰というのは本当の意味での知性による行為です。信仰が理性の行為だというのは、天主に啓示された真理に従おうという意図的な理性の行為ということです。
しかしながら、ルターにとっての信仰は違います。理性への軽蔑のせいで、その悲観主義のせいで、信仰は、もう積極的な肯定でなくなり、知性による行為でなくなります。その代わりに、信仰は一種の信頼だけになります。言い換えると、ある客観的な対象に積極的に従おうとする行為ではなくなります。逆に、信仰は主体による行為になってしまい、その主体によってこそ価値づけられています。この違いはわかりますか。大事です。
カトリック信徒にとっての信仰の価値は、「私がやっていること」というのではなくて、「肯定する客観的な対象」にあるわけです。つまり、同意する真理にこそその価値があります。要するに、ある真理が不動にそこにあって、それを見たので積極的にその真理に従おうとするのです。これこそが、信仰なのです。カトリック信仰というのは、恩寵に動かされるのはもちろんのことですが、その上に、天主によって示された真理への知性による積極的な同意に他なりません。
ルターにとっては、ずっと底流に悲観主義があるせいで、外にある客観的な真理への同意でなく、内面的な個人的な信頼になってしまいます。要するに、この信仰は、純粋な主体的な行為になってしまいます。もう、客観的な対象によってその価値が決まるというのではなく、その行為を成す主体によって信仰の価値が決まってしまいます。信頼にすぎません。
以上は、前回の見たことの要約です。
さて、それぞれの問題をより理解するために、二つの言葉で要約してみましょう。先ず、独立精神なのです。それから、二つ目ですが、結局、独立精神から来る結果で、主観主義に他なりません。
第一、独立精神です。なぜでしょうか。ルターは、カトリック教会、聖伝の諸権威を拒絶します。聖書の解釈においてこれが明白です。教父たちの言ったことを軽蔑したり、カトリック教会の言っていることを軽蔑したり、教皇様の言っていることを軽蔑したりするわけです。ルターの教皇に対する言葉が、どれほど罵倒的であるか周知の通りです。プロテスタントは、要するに、権威の拒絶に他なりません。宗教上のすべての権威の拒絶なのです。
従って、カトリック教会への拒絶にもなります。独立精神の先に、少なくとも宗教上にいうと、より酷いことがあります。つまり現実への拒絶です。ルターはもう目の前にある現実、客観的な対象、つまり物事への同意を否定したので、ルターは自分自身にしか同意していません。
自分が実行する行為に同意するのです。この意味で、プロテスタント主義を特徴づける二つ目の言葉は、主観主義です。プロテスタントの理論の底流にあるのは、また、プロテスタントの理論の結果を特徴づけるのは、主体です。というのも、何かを実行している主体を重んじるところこそ、プロテスタントの理論の大きな特徴だからです。「我」の世界ですね。個人の世界です。ルターの理論の結果をちゃんと理解する為に、独立精神という特徴を念頭に置くべきです。
もちろん、ルターは「世界や国々を変えて見せるぞ」といったような政治家として、自分を全く思っていませんでした。ルターの意図は、最初はそこにありませんでした。間違いなく。だからといって、その意図はなかったからといって、その誤った理論の結果は私たちの目の前に今あることは変わりません。ルターがこういった結果を望まなかったからといって、それらの結果が存在しないわけではありません。ルターは自分の理論を立てました。それで、これから見ていきたいのは、その理論に沿って展開し、発展してみたら、どういった結果・帰結が生じるのかというところです。ルターは種を撒きました。自分で、個人的に、種の実った果物を予想できたとは限りません。しかしながら、予想できなかったとしても、第一にその結果はそれでも存在します。第二に、それでも(それ等は)ルターの撒かれた種に由来するということです。
因みに、留意していただきたいことがあります。17世紀と18世紀の政治学上の大人物はいずれもプロテスタント信徒であることは、興味深いです。信じられないことでしょう。16世紀以降に、新政治学を設立する大理論家、いや教条主義者の内に、幾つかの名が浮かんできます。イギリス人が多くいます。例えば、ホッブスです。またロックです。それから、フランス人ですが、あるいはスイス人として考えてもいいけど、ルソーです。ルソーはカトリック信徒だったりプロテスタント信徒だったり、どちらの宗教上の権威の下にもあまり落ち着かなかったみたいです。要するに、やっぱり独立精神そのものに立った人物です。この意味でプロテスタントの精神はルソーに強く底流しています。
特にホッブスにおいてプロテスタント理論が強くあります。御存じだと思いますが、ホッブスによる主な著作は1551年に出版されたレヴァイアサンです。レヴァイアサンというのは、力強い醜い怪獣の名前で、旧約聖書に登場する海獣です。特にヨブの書に登場します。
ホッブスの政治理論の基礎は、よく知られている文章に要約されています。「万人は万人に対して狼」と。つまり、ホッブスの政治理論の中枢にあるのは、人間には本質的な悪質、悪意があるということになります。プロテスタントの底流にある人間の本性の堕落という悲観主義とまさに一致します。「万人は万人に対して狼」。人間同士では争うだけだ、と。そこから出発して、社会契約の発想に繋がります。つまり、人々は一人の長を選んで、政治上の課題を運営するために、全能の国家を設立します。全能の国家というのは、簡単にいうとこのレヴィアサンなのです。不浄なる強力なる海獣としての国家になります。ある種の独裁主義になります。その全能のお陰で、人間同士の無数の争いを解決するという説なのです。とはいえ、ホッブスの理論の基礎には、社会ではなく、一人ぼっちの個人がいるわけです。ところが、悪質なる個人なのであって、それはプロテスタントの悲観主義から来ます。
ロックは、1667年に「寛容論」を出します。「寛容」とは、面白いことで、注目してください。寛容の話の前提には、人々はバラバラで、統合無しで、統一無しで、なんとか共存させようという前提があります。要するに、それぞれの派閥の間に、一つが優位にならないようにするのが「寛容策」の目的です。当然ながら、本来の、本当の意味での「寛容」が勿論存在しますが、これと違います。ロックなどの近代的な「寛容」、こういった「寛容論」になってしまうと、真理を相対化して、真理の優位を無くすという前提がみられます。要するに、方針づける、方向付ける真理はもうありません。ここにこそ、ルターにおける理性に対する悲観主義を見いだせます。
最後にルソーです。『三人の改革者』という本において、ルソーを指して「自然の聖人 saint de la nature」とジャック・マリタン(Maritain)が名付けます。ルソーにとって、人間の本性は善いのですが、社会によって堕落させられているとしています。以前の見方との逆になりますね。人間は悪質ではないと。しかしながら、結果として、以前と変わりません。社会による堕落のせいで、人間は悪質になってしまうので。それで、人間なら、唯一の良い対策は、個人として生きていくということになります。ここでは、ルターに見られる個人主義を見出せます。これから出発して、社会生活の全般を壊すことになります。
以上の三人だけを挙げてみても、プロテスタント主義の理論がどうやって浸透していくのかが感じられます。雄蕊(おしべ)のように、花粉を空気に飛び散らしていくような感じで、どんどん新しい流派を生んでいきます。政治流派を含めて。
レヴィアサンから引用したホッブスの文章が手元にありますので、読み上げます。
「以上によって明らかなことは、自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力が無いあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある。」 その後に、「万人は万人に対して狼」というのが登場します。それから、社会契約をする必要があると訴えるところです。まあ、次の課題に移りましょう。
プロテスタント主義の政治に対する知識上の結果を分析するまえに、歴史を見ると面白いでしょう。つまり、プロテスタント主義の歴史を見るだけで、政治上のその結果は見えてきますから。プロテスタント主義が起きて、どういうふうに社会へ影響を与えたか、社会に関係したか、その歴史を見る価値があります。
プロテスタントというものを、理論として扱う前に、理論的に議論する前に、先ず事実上、どうなったかを見ておきましょう。例えば、プロテスタントが有力になったのは、平和的な手段で出来たことなのでしょうか。皆様はもう答えを知っておられると思いますけど。勿論、宗教戦争です。
神聖帝国で、ルターがどれほど激しい混乱を起こしたか周知の通りです。農民の一揆とかです。ルターが幾つかの一揆を煽ったし、幾つか煽らなかったところもありますが、幾つかの反乱を煽ったことも確かです。また、諸地方の決定的な分離も起きました。諸侯の間の不和も起きました。所謂、有名な「cujus regio, ejus religio」があります。「ある領地には、その領地の宗教」です。人々は、その領主の宗教と同じ宗教でなければならないという発想です。従って、宗教というのは、恣意的なモノになってしまった上に、領主に依存するようになってしまいました。後でまた触れますが、宗教が政治的権威に依存するようになってしまいました。
それから、当時は継続的な戦争状態となったのです。フランスでは、どれほどの多くの戦争をプロテスタントが起こしたか周知の通りです。竜騎兵平定やサン・バルテルミの虐殺は有名ですけど、宗教戦争については専門家に参照していただきたいと思います。研究上の専門家に、です。一般的に教科書で言われることではなくて、です。真面目にそれらの歴史課題を研究した専門家によると、プロテスタントによる非行や挑発は明白だと通説になっています。もしも、それらの専門書を読んでも、納得いかないのなら、北ヨーロッパの国々の歴史を見たら良いでしょう。名前をちょっと思い出せませんが、そうそう、スカンジナビアの国々で、特にノルウェーとかです。そこでは、剣をもって、どうやってプロテスタントの支配が出来たかという歴史が見られるので、だれでも納得すると思います。印象に残ります。プロテスタントの宗派の支配を無理やりに押し付けたために、数千人の死者がでたほどです。
要するに、歴史の事実を見るだけでは、プロテスタント主義と政治的生活の間に、何かうまくいかないということが既に見てとれます。事実だけですが、政治的生活上に、プロテスタント主義は平和をもたらしたのではありません。事実上、不和と戦争をもたらしたのです。前にも見たように、プロテスタント主義には、底流に不和の種を持っているのです。それで、不和と分離を実際にもたらしてしまったのです。
(続く)