1931年5月13日、ファチマでの最初の御出現の記念日に、全国の至る所からコヴァ・ダ・イリヤに来た30万人の巡礼者たちの列席する中で、ポルトガルの全ての司教たちと教皇庁大使の臨席のもと、新しく任命されたリスボンの主席大司教マヌエル・ゴンサルヴェス・セレジェイラ(Manuel Gonçalves Cerejeira)枢機卿は、次の奉献文を公式に読み上げ、自分たちの国を荘厳にマリアの汚れなき御心に奉献しました。
その結果、ポルトガルは奇跡的な平和と安定とルネッサンスの時代を受けます。ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。それは、世界が享受するであろうものの前触れでした。
カトリック・ルネッサンス
司祭の召命が激烈に急増した。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になった。諸々の修道会の会員も同様に増えた。
カトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示された。
政治的および社会的な改革
カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もあった。アントニオ・サラザールが登場し、政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力した。彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対した。
平和の奇跡
ポルトガルは、隣りで荒れ狂ったスペイン市民戦争(1936-39年)から守られた。ポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れた。
1938年5月13日に聖母の守護に感謝して、聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新した時、セレイェイラ枢機卿はこう確認した。
「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来、天主の特別の祝福がポルトガルの地に下った。特に、最初の奉献後に過ぎ去った2年間を回顧するならば、天主の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせ、守ってくださったことを認めないわけにはいかない。」
教皇ピオ十二世も、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明した。
1939年2月6日、第二次世界大戦の宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアはダ・シルヴァ司教に手紙を書いた。差し迫っている「この恐るべき戦争において、ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」
1940年12月2日にシスター・ルチアは教皇ピオ十二世に手紙を書き、もし各国の司教たちが自分の国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、ポルトガルが受けていた保護を他の国々も受けたであろう、と言った。「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのポルトガルの奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々も、もし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」
聖母がポルトガルのために、この国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎない。
ポルトガルの司教団による
ポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献する祈り
1931年5月13日
ファチマの聖母よ、御身は、曉に光と希望の夜明けを告げる幸せな明けの星のように、われらが祖国の地に来たり給えり。そは、御身が、ここに憐れみの玉座を打ち立て、かつてカナにて御身が言われたことを全ポルトガルに繰り返して言うためなり。赦しと、平和と、幸せとを見いだすために「わが聖子があなたたちに言うことを全て行え」と。
御身は、三重の称号においてここにお現れになり給うた。すなわちロザリオの聖母、悲しみの聖母、カルメルの聖母なり。
あたかも御身はわれらに、御身のロザリオが黙想させるイエズスの御生涯の神秘をわれらが真似することにおいてはじめて、われらはイエズスの如くなる、また、御身の御苦しみと共に苦しむことにおいてわれらは罪を忌み憎み苦行を愛することを学ばん、また、神秘的なカルメルの山の祈りと償いとにおいてわれらが浄めを得て憐れみを得るべし、とを表さんとの望みなりし。
ロザリオの聖母よ、御身の御心は御身の聖子の聖心の忠実なる写し絵なり。何故なら御身はイエズスの生涯を極めて親密に完璧に生き給うたが故に、御身の御心において救い主はヴェールを取られた御聖体のように輝き出で、御身を通してのみわれらはイエズスへと到達しうるがためなり。
悲しみの聖母よ、御身の御心は悲しみの剣に刺し貫かれ、聖子の全ての苦しみを御心において苦しまれ給うた。そは聖子の御血と御身の涙の支払った値により、われらのために御身が憐れみを得給うてわれらを地獄の火より救わんがためなり。
カルメルの聖母よ、御身の母の御心はご自分の子供を誰一人として忘れ給わず、子らを全て天国へと集めることを望み給う。たとえわれらがすでに忘れ去ってしまった霊魂たち、煉獄の霊魂たち、特にもっとも見捨てられている霊魂たちでさえも。
御血の値によって主の勝ち得た羊たちを聖子の聖名によりて - 御身の名を言うこと無しに言うことができないわれらが祖国すなわちこの「聖マリアの地」において - 司牧せんがために選ばれし牧者たるわれらは、その群れの公式の且つ聖なる代表者として、信仰と愛と信頼の忠孝に満ちた家臣の行為として、ポルトガルの国を御身の汚れなき御心に荘厳に奉献するために、今日、来たり。そは、御身がわれらのか弱き手から御手の中にこれを受け取り給い、御身ご自身の所有物としてこれを守り保護し給い、イエズスがそこにおいて、統治し、征服し、支配させたもうためなり。イエズス・キリストの外においては、救いはあらぬがゆえなり。
御身の民の大司祭らは、われらのまわりに恐るべき嵐が起こり、イエズス・キリストの御母なる御身を祝する者らの忠実な信徒らの群れを散らし壊そうとしているのを感じるなり。苦しみのうちにわれらは御身の聖子に懇願の手を延べ、こう叫び奉る。「主よ、助け給え!われらは滅ばんとす!」
司祭的なる童貞女よ、御身、われらと共に立ち上がり給え、そは御身は天主の憐れみ深き聖心に全能の力を持ち給えばなり。御身は、いとも高き天主に全ての誉れと栄光とを与えるために、最も汚れの無きいけにえ、すなわち聖子と御身の涙とを、血を流さずして、天主に捧げ給いたればなり。
おお、われらが聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!東からは恐るべき風が吹き荒(すさ)み、聖子と聖子の御教えに基礎をおく文明とに反対して、この世において、人々の心を騙し、堕落させ、憎しみと革命との火を焚く、死の叫びをもたらすこの重大な時において!キリスト信者の助けよ、われらのために祈り給え!
聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!罪の概念を失ってしまってさえいる限度を知らない不道徳の不潔な津波が、聖子の十字架の目の前で、肉の罪を高揚し、更にはイエズスの御聖体における御血に養われた百合のような貞潔の徳を、この世にて窒息させんと脅迫せんとするこの困難の時において!力強き童貞よ、われらのために祈り給え!
聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!善人でさえ滅びの危険がある情欲と疑いのこの時において!ポルトガルの国民を、聖子への従順において、教会への愛において、聖徳の取得において、秩序の遵守において、また兄弟愛において、全て一つにまとめ給え。平和の元后よ、われらのために祈り給え!
われらが祖国の守護者よ、ポルトガルは、御身が女のうちにて祝せられ給うを宣言するために、かつて多くの地においてそれを教えたことを覚え給え。ファチマの聖母よ、御身の栄光のためにわれらの祖国がなしたことを思いだし、ポルトガルをイエズスに与えることにより、救い給え。イエズス・キリストにおいてわれらは真理と生命と平和を見いだすなり。
O Acto de Consagração
«Nossa Senhora de Fátima, que vos dignastes descer à nossa terra, como a bendita estrela da manhã que anuncia depois da cerração da noite a aurora da luz e da esperança, elevando aqui o vosso trono de misericórdia, para repetir a Portugal inteiro o que dissestes em Caná: ‘Fazei tudo o que o meu Filho vos disser’ a fim de achardes perdão, e paz e felicidade.
Vós que aqui vos manifestastes sob tríplice invocação de Senhora do Rosário, das Dores e do Carmo como se nos quisésseis mostrar que é na imitação dos mistérios da vida de Jesus, que o vosso rosário recorda, que nos tornaremos semelhantes a Ele; e na compaixão das vossas dores que aprenderemos o horror ao pecado e o amor à mortificação; e na oração e na penitência da mística montanha do Carmo que nos purificaremos e alcançaremos a misericórdia.
Senhora do Rosário, cujo coração é a fiel imagem do coração de vosso Filho, pois vivestes tão íntima e perfeitamente a vida de Jesus, que o Salvador brilha no vosso peito como uma Eucaristia sem véus, sendo certo que é por vós que se chega a Jesus.
Senhora das Dores, cujo coração foi trespassado por um gládio de dor, sofrendo nele todos os sofrimentos de vosso Filho, a fim de com o preço do Seu sangue e das vossas lágrimas obterdes misericórdia para nós e nos livrardes do fogo do inferno.
Senhora do Carmo, cujo coração maternal não esquece nenhum dos seus filhos, e anseia por os reunir a todos no Paraíso, mesmo os que nós já esquecemos, aliviando as almas do purgatório, especialmente as mais abandonadas.
Os pastores escolhidos por Vosso Filho para guardarem e apascentarem em seu nome as ovelhas que Ele adquiriu com o Seu sangue, nesta terra de Santa Maria cujo nome não se pode pronunciar sem pronunciar o Vosso, vêm hoje solenemente consagrar-vos, como representantes ungidos e oficiais dos seus rebanhos, a Nação Portuguesa ao Vosso Coração imaculado, num acto de filial vassalagem de fé, amor e confiança a fim de que Vós, tomando-a de nossas mãos frágeis nas Vossas, a defendais e guardeis como coisa própria vossa, fazendo que neles reine, vença e impere Jesus, fora do qual não há salvação.
Nós, os Pontífices do nosso povo, sentimos rugir em torno a procela temerosa, que ameaça dispersar e perder o rebanho fiel dos que vos bendizem por serdes Mãe de Jesus, e aflitos erguemos para o Vosso Filho as mãos suplicantes, gritando-Lhe: Salva-nos, Senhor, que perecemos! Erguei as Vossas connosco, ó Virgem Sacerdote, pois que elas são omnipotentes sobre o Coração misericordioso de Deus, a quem Vós oferecestes a Hóstia pura que dá ao Altíssimo toda a honra, e toda glória: a fim de que se não perca para nós o Sangue e Vosso Filho e as vossas Lágrimas.
Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora gravíssima em que sopram do Oriente ventos furiosos que trazem gritos de morte contra Vosso Filho e a cultura fundada sobre os seus ensinamentos, desvairando as inteligências, pervertendo os corações, e inflamando o mundo em chamas de ódio e revolta. - Socorro dos Cristãos, rogai por nós!
Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora conturbada em que as vagas imundas duma imoralidade já sem véus, que perdeu até a noção do pecado, pregando diante da Cruz de Vosso Filho a reabilitação da carne, ameaça afogar no mundo o lírio da virtude que se alimenta do Sangue eucarístico de Jesus. - Virgem poderosa, rogai por nós!
Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora torva de paixões e de incertezas, em que até os bons correm risco de perder-se...
Uni todos os portugueses na obediência de Vosso Filho, e no amor da Igreja, e no culto da virtude, e no respeito da ordem, e na caridade fraterna. - Rainha da paz, rogai por nós!
Lembrai-vos enfim, ó Padroeira da nossa terra, que Portugal ensinou tantos povos a saudar-vos bendita entre todas as mulheres. Em memória do que fez pela Vossa Glória, salvai-o, Senhora de Fátima, dando-lhe Jesus, em quem ele encontrará a Verdade, e a Vida, e a Paz».
その結果、ポルトガルは奇跡的な平和と安定とルネッサンスの時代を受けます。ポルトガルは三重の奇跡を経験しました。それは、世界が享受するであろうものの前触れでした。
カトリック・ルネッサンス
司祭の召命が激烈に急増した。修道者の数は10年の間にほとんど4倍になった。諸々の修道会の会員も同様に増えた。
カトリック新聞社、カトリック・ラジオの発達、巡礼、霊的黙想、そして司教区および小教区の枠内に統合されたカトリック・アクションの活発な運動を含む多くの領域において示された。
政治的および社会的な改革
カトリック社会諸原理と一致した政治的および社会的改革の奇跡もあった。アントニオ・サラザールが登場し、政府の諸法律と社会諸制度がキリストの律法、キリストの福音そしてキリストの教会と調和されている一つのカトリック的な社会秩序を創ろうと努力した。彼は「家庭の重要性を低めあるいは家庭を解体するあらゆること」に反対した。
平和の奇跡
ポルトガルは、隣りで荒れ狂ったスペイン市民戦争(1936-39年)から守られた。ポルトガルはまた第二次世界大戦の荒廃からも逃れた。
1938年5月13日に聖母の守護に感謝して、聖母の汚れなき御心へのポルトガルの奉献を更新した時、セレイェイラ枢機卿はこう確認した。
「ファチマの聖母が1917年に御出現になって以来、天主の特別の祝福がポルトガルの地に下った。特に、最初の奉献後に過ぎ去った2年間を回顧するならば、天主の見えざる御手がポルトガルを、戦争の災難と無神論的共産主義のライ病から免れさせ、守ってくださったことを認めないわけにはいかない。」
教皇ピオ十二世も、ポルトガルがスペイン市民戦争と共産主義の脅威を免れたことに驚きを表明した。
1939年2月6日、第二次世界大戦の宣戦布告の7ヶ月前に、シスター・ルチアはダ・シルヴァ司教に手紙を書いた。差し迫っている「この恐るべき戦争において、ポルトガルは司教様たちによってなされたマリアの汚れなき御心への国家の奉献のゆえに[戦争から]逃れるでしょう。」
1940年12月2日にシスター・ルチアは教皇ピオ十二世に手紙を書き、もし各国の司教たちが自分の国々をマリアの汚れなき御心に奉献していたならば、ポルトガルが受けていた保護を他の国々も受けたであろう、と言った。「教皇様、聖母はポルトガルの高位聖職者たちによるマリアの汚れなき御心へのポルトガルの奉献のゆえに、この戦争において私たちの国に特別の保護を約束しておられます。他の国々も、もし聖母に自分たちを奉献したならば与えられたであろう諸々の恩寵の証拠としてです。」
聖母がポルトガルのために、この国の1931年の奉献に対する天からの報酬として得られた奇跡的な諸々の祝福は、ひとたびロシアがまた聖母の汚れなき御心に適切に奉献されるならば、聖母が全世界のためになされるであろうものの前兆にしかすぎない。
ポルトガルの司教団による
ポルトガルを聖母の汚れなき御心に奉献する祈り
1931年5月13日
ファチマの聖母よ、御身は、曉に光と希望の夜明けを告げる幸せな明けの星のように、われらが祖国の地に来たり給えり。そは、御身が、ここに憐れみの玉座を打ち立て、かつてカナにて御身が言われたことを全ポルトガルに繰り返して言うためなり。赦しと、平和と、幸せとを見いだすために「わが聖子があなたたちに言うことを全て行え」と。
御身は、三重の称号においてここにお現れになり給うた。すなわちロザリオの聖母、悲しみの聖母、カルメルの聖母なり。
あたかも御身はわれらに、御身のロザリオが黙想させるイエズスの御生涯の神秘をわれらが真似することにおいてはじめて、われらはイエズスの如くなる、また、御身の御苦しみと共に苦しむことにおいてわれらは罪を忌み憎み苦行を愛することを学ばん、また、神秘的なカルメルの山の祈りと償いとにおいてわれらが浄めを得て憐れみを得るべし、とを表さんとの望みなりし。
ロザリオの聖母よ、御身の御心は御身の聖子の聖心の忠実なる写し絵なり。何故なら御身はイエズスの生涯を極めて親密に完璧に生き給うたが故に、御身の御心において救い主はヴェールを取られた御聖体のように輝き出で、御身を通してのみわれらはイエズスへと到達しうるがためなり。
悲しみの聖母よ、御身の御心は悲しみの剣に刺し貫かれ、聖子の全ての苦しみを御心において苦しまれ給うた。そは聖子の御血と御身の涙の支払った値により、われらのために御身が憐れみを得給うてわれらを地獄の火より救わんがためなり。
カルメルの聖母よ、御身の母の御心はご自分の子供を誰一人として忘れ給わず、子らを全て天国へと集めることを望み給う。たとえわれらがすでに忘れ去ってしまった霊魂たち、煉獄の霊魂たち、特にもっとも見捨てられている霊魂たちでさえも。
御血の値によって主の勝ち得た羊たちを聖子の聖名によりて - 御身の名を言うこと無しに言うことができないわれらが祖国すなわちこの「聖マリアの地」において - 司牧せんがために選ばれし牧者たるわれらは、その群れの公式の且つ聖なる代表者として、信仰と愛と信頼の忠孝に満ちた家臣の行為として、ポルトガルの国を御身の汚れなき御心に荘厳に奉献するために、今日、来たり。そは、御身がわれらのか弱き手から御手の中にこれを受け取り給い、御身ご自身の所有物としてこれを守り保護し給い、イエズスがそこにおいて、統治し、征服し、支配させたもうためなり。イエズス・キリストの外においては、救いはあらぬがゆえなり。
御身の民の大司祭らは、われらのまわりに恐るべき嵐が起こり、イエズス・キリストの御母なる御身を祝する者らの忠実な信徒らの群れを散らし壊そうとしているのを感じるなり。苦しみのうちにわれらは御身の聖子に懇願の手を延べ、こう叫び奉る。「主よ、助け給え!われらは滅ばんとす!」
司祭的なる童貞女よ、御身、われらと共に立ち上がり給え、そは御身は天主の憐れみ深き聖心に全能の力を持ち給えばなり。御身は、いとも高き天主に全ての誉れと栄光とを与えるために、最も汚れの無きいけにえ、すなわち聖子と御身の涙とを、血を流さずして、天主に捧げ給いたればなり。
おお、われらが聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!東からは恐るべき風が吹き荒(すさ)み、聖子と聖子の御教えに基礎をおく文明とに反対して、この世において、人々の心を騙し、堕落させ、憎しみと革命との火を焚く、死の叫びをもたらすこの重大な時において!キリスト信者の助けよ、われらのために祈り給え!
聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!罪の概念を失ってしまってさえいる限度を知らない不道徳の不潔な津波が、聖子の十字架の目の前で、肉の罪を高揚し、更にはイエズスの御聖体における御血に養われた百合のような貞潔の徳を、この世にて窒息させんと脅迫せんとするこの困難の時において!力強き童貞よ、われらのために祈り給え!
聖母よ、ポルトガルのために取り次ぎ給え!善人でさえ滅びの危険がある情欲と疑いのこの時において!ポルトガルの国民を、聖子への従順において、教会への愛において、聖徳の取得において、秩序の遵守において、また兄弟愛において、全て一つにまとめ給え。平和の元后よ、われらのために祈り給え!
われらが祖国の守護者よ、ポルトガルは、御身が女のうちにて祝せられ給うを宣言するために、かつて多くの地においてそれを教えたことを覚え給え。ファチマの聖母よ、御身の栄光のためにわれらの祖国がなしたことを思いだし、ポルトガルをイエズスに与えることにより、救い給え。イエズス・キリストにおいてわれらは真理と生命と平和を見いだすなり。
O Acto de Consagração
«Nossa Senhora de Fátima, que vos dignastes descer à nossa terra, como a bendita estrela da manhã que anuncia depois da cerração da noite a aurora da luz e da esperança, elevando aqui o vosso trono de misericórdia, para repetir a Portugal inteiro o que dissestes em Caná: ‘Fazei tudo o que o meu Filho vos disser’ a fim de achardes perdão, e paz e felicidade.
Vós que aqui vos manifestastes sob tríplice invocação de Senhora do Rosário, das Dores e do Carmo como se nos quisésseis mostrar que é na imitação dos mistérios da vida de Jesus, que o vosso rosário recorda, que nos tornaremos semelhantes a Ele; e na compaixão das vossas dores que aprenderemos o horror ao pecado e o amor à mortificação; e na oração e na penitência da mística montanha do Carmo que nos purificaremos e alcançaremos a misericórdia.
Senhora do Rosário, cujo coração é a fiel imagem do coração de vosso Filho, pois vivestes tão íntima e perfeitamente a vida de Jesus, que o Salvador brilha no vosso peito como uma Eucaristia sem véus, sendo certo que é por vós que se chega a Jesus.
Senhora das Dores, cujo coração foi trespassado por um gládio de dor, sofrendo nele todos os sofrimentos de vosso Filho, a fim de com o preço do Seu sangue e das vossas lágrimas obterdes misericórdia para nós e nos livrardes do fogo do inferno.
Senhora do Carmo, cujo coração maternal não esquece nenhum dos seus filhos, e anseia por os reunir a todos no Paraíso, mesmo os que nós já esquecemos, aliviando as almas do purgatório, especialmente as mais abandonadas.
Os pastores escolhidos por Vosso Filho para guardarem e apascentarem em seu nome as ovelhas que Ele adquiriu com o Seu sangue, nesta terra de Santa Maria cujo nome não se pode pronunciar sem pronunciar o Vosso, vêm hoje solenemente consagrar-vos, como representantes ungidos e oficiais dos seus rebanhos, a Nação Portuguesa ao Vosso Coração imaculado, num acto de filial vassalagem de fé, amor e confiança a fim de que Vós, tomando-a de nossas mãos frágeis nas Vossas, a defendais e guardeis como coisa própria vossa, fazendo que neles reine, vença e impere Jesus, fora do qual não há salvação.
Nós, os Pontífices do nosso povo, sentimos rugir em torno a procela temerosa, que ameaça dispersar e perder o rebanho fiel dos que vos bendizem por serdes Mãe de Jesus, e aflitos erguemos para o Vosso Filho as mãos suplicantes, gritando-Lhe: Salva-nos, Senhor, que perecemos! Erguei as Vossas connosco, ó Virgem Sacerdote, pois que elas são omnipotentes sobre o Coração misericordioso de Deus, a quem Vós oferecestes a Hóstia pura que dá ao Altíssimo toda a honra, e toda glória: a fim de que se não perca para nós o Sangue e Vosso Filho e as vossas Lágrimas.
Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora gravíssima em que sopram do Oriente ventos furiosos que trazem gritos de morte contra Vosso Filho e a cultura fundada sobre os seus ensinamentos, desvairando as inteligências, pervertendo os corações, e inflamando o mundo em chamas de ódio e revolta. - Socorro dos Cristãos, rogai por nós!
Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora conturbada em que as vagas imundas duma imoralidade já sem véus, que perdeu até a noção do pecado, pregando diante da Cruz de Vosso Filho a reabilitação da carne, ameaça afogar no mundo o lírio da virtude que se alimenta do Sangue eucarístico de Jesus. - Virgem poderosa, rogai por nós!
Intercedei por Portugal, Senhora, nesta hora torva de paixões e de incertezas, em que até os bons correm risco de perder-se...
Uni todos os portugueses na obediência de Vosso Filho, e no amor da Igreja, e no culto da virtude, e no respeito da ordem, e na caridade fraterna. - Rainha da paz, rogai por nós!
Lembrai-vos enfim, ó Padroeira da nossa terra, que Portugal ensinou tantos povos a saudar-vos bendita entre todas as mulheres. Em memória do que fez pela Vossa Glória, salvai-o, Senhora de Fátima, dando-lhe Jesus, em quem ele encontrará a Verdade, e a Vida, e a Paz».