シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
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1. ジャシンタの生まれつきの性格
司教様、
1917年に御出現の前には、私たちが親戚であったという絆を除いて、
私はジャシンタとフランシスコの2人を仲間として、他の子供たちよりも特別な愛情があったわけではありません。それどころか、時々、ジャシンタと一緒にいるのは、彼女が非常に感じやすい気質のために、私は嫌になりました。
子供たちの間で小さな争いをした時、彼女は泣きべそをかいて場を去りました。子供たちは上手に可愛がってなだめるのを知っていたのに、彼女を遊びに戻らせることはできませんでした。そこで子供たちは 彼女に遊びと自分の好きな相手を選ぶことを許しました。しかし、彼女のこころは良いものでした。天主は彼女に優しい親切な性質を与えたので、彼女は瞬く間に愛嬌のある可愛らしい子になりました。
理由は知りませんが、ジャシンタとその兄フランシスコは私のことを大変好きでしたから、遊びたい時いつも私を探しに来ました。ふたりは他の子どもたちと一緒に遊ぶことは喜びませんでした。私の家の庭にある井戸のところへ彼らと一緒に行くようにいつも私を誘いに来ました。一度、私たちがそこに来ると、ジャシンタは私たちのする遊びを決めました。ジャシンタが一番好きだったお遊びは、普通は「小石遊び」と「ボタン遊び」でした。これを私たちは、オリーブの木と二本のスモモの木の木陰で、井戸を覆っている石版の蓋の上に座って遊びました。
「ボタン遊び」をするとしばしば私は悲しくなりました。何故なら、家のものが食事をするように私を家の中に呼ぶと、私の服のボタンが少なくなっていたからです。非常にしばしばジャシンタはボタンを全て勝ち取ってしまったので、母が私を厳しく叱りました。そこでボタンを急いで縫い付けなければなりませんでした。
しかし、ボタンを返してくれるようにどのように頼んでも、ジャシンタは仏頂面の上に欲張りだったので消して返しませんでした!彼女は次の遊びのために、私から勝ったボタンを持っていたかったのです。何故なら、そうするなら自分の服のボタンを取らないですむからです。そこで私はもう一緒に遊ばないと脅して、やっと私のボタンを返してもらいました!
私は何度も私の小さな友だちの心を満足させることができませんでした。私の姉たちの一人は機織り、もう一人は裁縫して1日中家にいました。すると近所の人々は畑仕事に行く時、小さな子供を私の家に預けに来ました。子供たちは私と一緒に家で遊びました。その間、姉たちが私たちに目を見張っていました。二人の姉の仕事の邪魔になり、長い時間の無駄になりましたが、母はいつも子供たちの世話を引き受けました。
それで私は子供たちと庭で一緒に遊び、井戸の中に落ちないように気をつけて面倒を見るのは私の勤めでした。三本の大きなイチジクの木は熱い太陽から子どもたちを守りました。私たちはその枝を使ってブランコ遊びをして、脱穀場の床で食事をしました。
私が子供と一緒に遊ぶとき度々ジャシンタは兄フランシスコと一緒に来て私に好きな所へ行きましょうと誘いました。母は子供の面倒を見るように私に命令したので、いけないのといつも答えました。すると二人の小さい子友だちはがっかりして、仕方がないので私たちの遊びに加わりました。午後のお昼寝の時、母は特に四旬節が近づいたとき、自分の子供たちに公教要理を教えました。そしてこう言いました。
「主任神父さまが復活祭の時あなたたちに教理のテストをしても私が恥ずかしくないように今勉強しましょうね。」
すると子供たちはみんな母の許しで私と一緒に教理を学びました。ジャシンタとフランシスコもそこにおりました。
2 感じやすい気質
ある日、子供たちの一人が悪い言葉を言い、そう言った子供を別のある子が、母に訴えました。母はこの子供を厳しく叱り
「誰でもそのような言葉を言ってはいけません。罪ですから。幼いイエズスに嫌われますよ。あの悪いことをする人は告解しないなら地獄に落ちます」と言いました。
小さいジャシンタはこの教えを忘れませんでした。子供たちが私の家に来た時ジャシンタは、
「あなたのお母さんは、あなたが私と一緒に遊びに行くことを許してくれるかしら?」と聞いたので、
「ダメよ」と私は答えました。
「それなら、フランシスコと一緒に自分の家の庭へ行くわ。」
「どうしてここにいたくないの?」
「私の母は、他の子供たちがここにいるとき、私たち二人がいるのが嫌なの。母は家の庭で遊ぶように言ったの。私が悪いことを覚えるのが、母は嫌いなの。それは罪だし、幼きイエズス様が好きでないから。」
それから彼女は私に耳にささやいて、
「もしね、あなたのお母さんが許すなら私の家に来る?」
「うん、行く。」
「じゃあ、許しを頼んでみて。」
そしてジャシンタは兄フランシスコの手を取って一緒に家に帰りました。
ジャシンタの好きな遊びについて話すと、その中の一つは負けた相手に罰を与えるゲームでした。司教様もきっとご存じの通り、そこで負けた人は勝った人の言うことを聞いて実行しなければなりません。ジャシンタは負けた人に蝶を取りに行って、自分のところへ持ってくるようによく言いました。ある時は、ジャシンタは自分の選んだ花を摂ってくるように要求しました。
ある日、私たちは私の家でこの罰ゲームをして遊んでいましたが、私が遊びに勝ちました。そこでジャシンタに何をすべきか言いました。私の兄がテーブルに向かって何か書いていました。私はジャシンタに兄を抱きしめてキスするように言いました。ジャシンタはそれを断って、
「それは嫌よ!他の別のことを言って。何で、あそこの私たちの主イエズスを接吻するように行けと言ってくれないの? 」
壁には十字架像がかかっていました。
「いいわよ。椅子へあがり、十字架をとってここに持ってきてちょうだい。それから跪いて3度イエズスを抱きしめ接吻して。一回目はフランシスコのため、もう一つは私の為に、もう一度はあなたのためよ。」
「私の主イエズスになら、いいわ! あなたの望むまま何度でもするわ!」といってすぐに十字架を下ろしました。彼女は十字架に熱心な接吻をし、それを抱きしめたので私はそのことを忘れません。彼女は十字架を見つめながら、
「なぜ私たちの主はあのように十字架にクギづけられたの?」と尋ねました。
「私たちのために死なれたのよ」と私は答えました。
「どうしてそんなことになったのか教えて。」
3 十字架に付けられた救い主へのジャシンタの愛
晩になると、母はよくお話をしてくれました。父と姉たちは、私たちに、魔法とか金と王の服を着た王女さまなどのおとぎ話をしてくれましたが、母は主の御苦難と洗礼者ヨハネと、などのエピソードを物語ってくれました。そのおかげて私は主の御受難の話を知るようになりました。
私はお話を1回聞くだけで、その全ての細かい点まで覚えて他の人に話すことができたので、私の小さい友だちに「私たちの主の物語」と私が呼び習わしていたものを一言一言、詳しく繰り返し話しました。
ちょうどその時、私の姉[注6]が通りかかり、私たちが十字架像を手に持っているのに気がつきました。[注7] 姉は、私たちから十字架をとって私たちを厳しく叱りました。
「あなたたちはこのような聖なるものに触れてはいけません。」
ジャシンタは立ち上がって私の姉に近づきこう言いました。
「マリアお姉さん、ルチアを叱らないで。私がやったの。これからは決してしません。」
姉はジャシンタを抱きしめて、私に外で遊ぶように言いました。何故なら、家の中をめちゃくちゃにしてしまったからです。私たちは外の井戸の所へ行って主の物語を続けました。それは栗と、積み重ねた石で囲まれ、ちょうど隠れたところだったので、数年後、私たちは親密に話したり、熱心に祈ったり、全てのことを話し、涙を流す、しかも時には深い悲しみの涙のために、この静かな場所を選びました。私たちは、この同じ井戸の水に私たちの涙を混ぜ、そこから水を飲みました。この井戸は聖母マリアのイメージではありませんか?何故なら、私たちはその汚れなき御心おいて私たちの涙を乾かし、そこからもっとも清い慰めを飲むのですから。
しかし私たちの話に戻りましょう。私が主イエズスの苦しみの話を聞くと、ジャシンタはいつも涙を流すほど感動しました。その時から彼女は私に主の御受難を何度もはじめから話すように願いました。ジャシンタは涙を流して慟哭してこう言うのです。
「私たちの可哀想な主!私はもう罪を犯しません。主イエズスがこれ以上苦しむのを望みません」と言いました。
[注6]マリア・ドス・アンジョス(Maria dos Anjos)、ルシアの一番の姉、1986年に死去。
[注7]この十字架像は今でもルシアの旧家にあり、訪問者は今でも見ることが出来る。
4 ジャシンタの繊細な心
ジャシンタは日がとっぷり暮れる頃、家の近くにある脱穀場へ行く事も好きでした。彼女はそこで美しい日没と瞬く星でいっぱいの空を眺めたりしていました。彼女は綺麗な月夜に心を奪われました。私たちは誰が最も多くの星を数えることができるかと互いに競争しました。そして星は天使たちのランプ、月は聖母マリアのランプ、太陽は主イエズスのランプと呼びました。ジャシンタはこう言いました。「私は聖母のランプが一番好き。それは私たちの主のランプのように私たちを焼かないで目をくらませないから。」実に夏、ファチマでは太陽の光が強いので、ジャシンタは暑さのために非常に苦しみました。
5. ジャシンタは見て学ぶ
私の姉が小教区のイエズスの聖心会に加入していたので、子どもたちの盛大な初聖体式が来ると、必ず私の初聖体を更新するように私を教会へ連れて行きました。ある時私の叔母は、儀式を見にジャシンタを連れて行きました。するとジャシンタは天使の服装をした女の子が行列の時ご聖体の前で花を撒き散らしていることに心をうばわれました。その時から私たちが遊んでいると彼女は時々私たちから離れてエプロンにいっぱい花を摘んで一つ一つ私たちに投げかけました。
「ジャシンタ、なぜそんなことをするの?」と聞くと
「教会で小さい天使がしたようにするの。あなたたちに花を撒き散らしたいの」と答えました。
毎年、大祝日には、おそらくご聖体の祝日に、姉はご聖体行列でご聖体に花をまき散らす天使の衣装をつける女の子たちのために白衣を準備していました。この子供たちは、天蓋の横を歩いて花びらをまき散らします。私はいつもこの子供たちの中に選ばれました。ある日、姉が私のドレスの着付けをしてくれた後、私はジャシンタに来る祝日のこと、どうやってイエズス様の前で花びらをまき散らすかなどを教えました。
ジャシンタは、「私も行列に出るようにお姉さんに願ってください」と言ったので私たち二人は一緒に願いに行きました。姉は承諾し、ジャシンタに服が合うか試しました。練習の時、姉は幼きイエズスの前で私たちがどうやって花をまかねばならないかを説明しました。
「私たちはイエズスを見るでしょうか」と小さいジャシンタが聞くと姉は
「そうですよ、主任司祭はイエズス様を持って行きます」と簡単に答えました。
ジャシンタは喜び踊りました。そして私たちがこの祝日をどれだけ待たなければらないかをいつも尋ねました。
長い間待っていた祝日がとうとう来たので、この小さい女の子は、あまりの喜びに我を忘れていました。私たち二人は祭壇の近くでした。後に、行列の時は、私たちは天蓋の顕示台の横を、一人ずつ一つのカゴいっぱいの花を持って歩きました。姉が私たちに花を撒き散らすように合図するとどこででも、私はイエズス様に花を撒き散らしましたが、小さいジャシンタは私の合図にもかかわらずひとつも花をまきませんでした。彼女は行列のあいだじゅう、司祭をじっと見つめていました。それしかしませんでした。式が終わってから姉は私たち聖堂の外に連れて行きこう尋ねました。
「なぜあなたは、イエズス様に花をまかなかったの?」
「だって、イエズス様が見えなかったから。」
ジャシンタはそこで私にこう尋ねました。
「けれども、あなたには幼きイエズス様が見えたの?」
「もちろん見なかったわ。ホスチアの中の幼きイエズス様のお姿は、見ることができないって知らなかったの?イエズスはご聖体の中に隠れておられるのよ。イエズス様って、私たちが御聖体を拝領する時、頂くお方なのよ。」
「じゃあ、あなたは聖体拝領の時イエズス様に話しするの?」
「うん、お話しするわ。」
「それじゃあ、どうしてイエズス様が見まないの?」
「だって隠れておられるからよ。」
「私、お母さんにご聖体を拝領させて頂くように願いします。」
「主任神父様は、あなたが10歳になるまで、初聖体をいただくことをお許しませんよ。」[注8]
「でも、あなたは、まだ10歳にならないのに聖体拝領をしてるじゃないの!」
「私は公教要理をよく勉強したからよ。でもあなたは、まだそれを知らないでしょ。」
その時から、私の二人の友だちジャシンタとフランシスコは私に公教要理を教えて欲しいと頼みました。私は教理の先生となり、ふたりは熱心にそれを学びました。
けれども、私はジャシンタの質問には全て答えることが出来ましたが、公教要理を教えるとなると、わずかのことしか思い出すことが出来ませんでした。
このためにジャシンタは私にある日こう言ったのです。
「私たちにもっと他の事を教えて。私たちはそのことは全部知っているわ」と。
私は質問されたときならいろいろなことを思い出すことが出来ると認めなければなりませんでした。そこで、「あなたが公教要理の勉強をもっとしたいなら、お母さんに教会へ連れて行ってほしいと願ってください」と勧めました。
「隠れたイエズス」と彼らが名付けたご聖体を熱烈に拝領したかった二人の子供は、母親に願いに行き、許しを受けました。しかし彼女はたまにしか二人を教会へ連れていきませんでした。
「教会までの道のりはここからとても遠いから、あなたたち二人はまだ無理です。どうせ、主任司祭は10歳になるまで初聖体を授けませんよ」と言いました。
しかしジャシンタは、隠れたイエズスについて質問するのをやめませんでした。ある日私にこうやって質問したのを覚えています。、
「どうして同時に多くの人々が小さな隠れたイエズス様を拝領できるの?一人一人のためにイエズス様は小さく分けられているの?」と。
「そうではないの。ほら、たくさんのホスチアがあるのが分からないの?それぞれのホスチアにひとりの小さいイエズス様がいらっしゃるの」と答えました。
その時、私はきっとなんと多くの愚かなことを言ったのではないかと思います。
[注8]ジャシンタは1910年3月11日生まれだった。
(続く)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
第一の手記
I. ジャシンタの性格
I. ジャシンタの性格
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1. ジャシンタの生まれつきの性格
司教様、
1917年に御出現の前には、私たちが親戚であったという絆を除いて、
私はジャシンタとフランシスコの2人を仲間として、他の子供たちよりも特別な愛情があったわけではありません。それどころか、時々、ジャシンタと一緒にいるのは、彼女が非常に感じやすい気質のために、私は嫌になりました。
子供たちの間で小さな争いをした時、彼女は泣きべそをかいて場を去りました。子供たちは上手に可愛がってなだめるのを知っていたのに、彼女を遊びに戻らせることはできませんでした。そこで子供たちは 彼女に遊びと自分の好きな相手を選ぶことを許しました。しかし、彼女のこころは良いものでした。天主は彼女に優しい親切な性質を与えたので、彼女は瞬く間に愛嬌のある可愛らしい子になりました。
理由は知りませんが、ジャシンタとその兄フランシスコは私のことを大変好きでしたから、遊びたい時いつも私を探しに来ました。ふたりは他の子どもたちと一緒に遊ぶことは喜びませんでした。私の家の庭にある井戸のところへ彼らと一緒に行くようにいつも私を誘いに来ました。一度、私たちがそこに来ると、ジャシンタは私たちのする遊びを決めました。ジャシンタが一番好きだったお遊びは、普通は「小石遊び」と「ボタン遊び」でした。これを私たちは、オリーブの木と二本のスモモの木の木陰で、井戸を覆っている石版の蓋の上に座って遊びました。
「ボタン遊び」をするとしばしば私は悲しくなりました。何故なら、家のものが食事をするように私を家の中に呼ぶと、私の服のボタンが少なくなっていたからです。非常にしばしばジャシンタはボタンを全て勝ち取ってしまったので、母が私を厳しく叱りました。そこでボタンを急いで縫い付けなければなりませんでした。
しかし、ボタンを返してくれるようにどのように頼んでも、ジャシンタは仏頂面の上に欲張りだったので消して返しませんでした!彼女は次の遊びのために、私から勝ったボタンを持っていたかったのです。何故なら、そうするなら自分の服のボタンを取らないですむからです。そこで私はもう一緒に遊ばないと脅して、やっと私のボタンを返してもらいました!
私は何度も私の小さな友だちの心を満足させることができませんでした。私の姉たちの一人は機織り、もう一人は裁縫して1日中家にいました。すると近所の人々は畑仕事に行く時、小さな子供を私の家に預けに来ました。子供たちは私と一緒に家で遊びました。その間、姉たちが私たちに目を見張っていました。二人の姉の仕事の邪魔になり、長い時間の無駄になりましたが、母はいつも子供たちの世話を引き受けました。
それで私は子供たちと庭で一緒に遊び、井戸の中に落ちないように気をつけて面倒を見るのは私の勤めでした。三本の大きなイチジクの木は熱い太陽から子どもたちを守りました。私たちはその枝を使ってブランコ遊びをして、脱穀場の床で食事をしました。
私が子供と一緒に遊ぶとき度々ジャシンタは兄フランシスコと一緒に来て私に好きな所へ行きましょうと誘いました。母は子供の面倒を見るように私に命令したので、いけないのといつも答えました。すると二人の小さい子友だちはがっかりして、仕方がないので私たちの遊びに加わりました。午後のお昼寝の時、母は特に四旬節が近づいたとき、自分の子供たちに公教要理を教えました。そしてこう言いました。
「主任神父さまが復活祭の時あなたたちに教理のテストをしても私が恥ずかしくないように今勉強しましょうね。」
すると子供たちはみんな母の許しで私と一緒に教理を学びました。ジャシンタとフランシスコもそこにおりました。
2 感じやすい気質
ある日、子供たちの一人が悪い言葉を言い、そう言った子供を別のある子が、母に訴えました。母はこの子供を厳しく叱り
「誰でもそのような言葉を言ってはいけません。罪ですから。幼いイエズスに嫌われますよ。あの悪いことをする人は告解しないなら地獄に落ちます」と言いました。
小さいジャシンタはこの教えを忘れませんでした。子供たちが私の家に来た時ジャシンタは、
「あなたのお母さんは、あなたが私と一緒に遊びに行くことを許してくれるかしら?」と聞いたので、
「ダメよ」と私は答えました。
「それなら、フランシスコと一緒に自分の家の庭へ行くわ。」
「どうしてここにいたくないの?」
「私の母は、他の子供たちがここにいるとき、私たち二人がいるのが嫌なの。母は家の庭で遊ぶように言ったの。私が悪いことを覚えるのが、母は嫌いなの。それは罪だし、幼きイエズス様が好きでないから。」
それから彼女は私に耳にささやいて、
「もしね、あなたのお母さんが許すなら私の家に来る?」
「うん、行く。」
「じゃあ、許しを頼んでみて。」
そしてジャシンタは兄フランシスコの手を取って一緒に家に帰りました。
ジャシンタの好きな遊びについて話すと、その中の一つは負けた相手に罰を与えるゲームでした。司教様もきっとご存じの通り、そこで負けた人は勝った人の言うことを聞いて実行しなければなりません。ジャシンタは負けた人に蝶を取りに行って、自分のところへ持ってくるようによく言いました。ある時は、ジャシンタは自分の選んだ花を摂ってくるように要求しました。
ある日、私たちは私の家でこの罰ゲームをして遊んでいましたが、私が遊びに勝ちました。そこでジャシンタに何をすべきか言いました。私の兄がテーブルに向かって何か書いていました。私はジャシンタに兄を抱きしめてキスするように言いました。ジャシンタはそれを断って、
「それは嫌よ!他の別のことを言って。何で、あそこの私たちの主イエズスを接吻するように行けと言ってくれないの? 」
壁には十字架像がかかっていました。
「いいわよ。椅子へあがり、十字架をとってここに持ってきてちょうだい。それから跪いて3度イエズスを抱きしめ接吻して。一回目はフランシスコのため、もう一つは私の為に、もう一度はあなたのためよ。」
「私の主イエズスになら、いいわ! あなたの望むまま何度でもするわ!」といってすぐに十字架を下ろしました。彼女は十字架に熱心な接吻をし、それを抱きしめたので私はそのことを忘れません。彼女は十字架を見つめながら、
「なぜ私たちの主はあのように十字架にクギづけられたの?」と尋ねました。
「私たちのために死なれたのよ」と私は答えました。
「どうしてそんなことになったのか教えて。」
3 十字架に付けられた救い主へのジャシンタの愛
晩になると、母はよくお話をしてくれました。父と姉たちは、私たちに、魔法とか金と王の服を着た王女さまなどのおとぎ話をしてくれましたが、母は主の御苦難と洗礼者ヨハネと、などのエピソードを物語ってくれました。そのおかげて私は主の御受難の話を知るようになりました。
私はお話を1回聞くだけで、その全ての細かい点まで覚えて他の人に話すことができたので、私の小さい友だちに「私たちの主の物語」と私が呼び習わしていたものを一言一言、詳しく繰り返し話しました。
ちょうどその時、私の姉[注6]が通りかかり、私たちが十字架像を手に持っているのに気がつきました。[注7] 姉は、私たちから十字架をとって私たちを厳しく叱りました。
「あなたたちはこのような聖なるものに触れてはいけません。」
ジャシンタは立ち上がって私の姉に近づきこう言いました。
「マリアお姉さん、ルチアを叱らないで。私がやったの。これからは決してしません。」
姉はジャシンタを抱きしめて、私に外で遊ぶように言いました。何故なら、家の中をめちゃくちゃにしてしまったからです。私たちは外の井戸の所へ行って主の物語を続けました。それは栗と、積み重ねた石で囲まれ、ちょうど隠れたところだったので、数年後、私たちは親密に話したり、熱心に祈ったり、全てのことを話し、涙を流す、しかも時には深い悲しみの涙のために、この静かな場所を選びました。私たちは、この同じ井戸の水に私たちの涙を混ぜ、そこから水を飲みました。この井戸は聖母マリアのイメージではありませんか?何故なら、私たちはその汚れなき御心おいて私たちの涙を乾かし、そこからもっとも清い慰めを飲むのですから。
しかし私たちの話に戻りましょう。私が主イエズスの苦しみの話を聞くと、ジャシンタはいつも涙を流すほど感動しました。その時から彼女は私に主の御受難を何度もはじめから話すように願いました。ジャシンタは涙を流して慟哭してこう言うのです。
「私たちの可哀想な主!私はもう罪を犯しません。主イエズスがこれ以上苦しむのを望みません」と言いました。
[注6]マリア・ドス・アンジョス(Maria dos Anjos)、ルシアの一番の姉、1986年に死去。
[注7]この十字架像は今でもルシアの旧家にあり、訪問者は今でも見ることが出来る。
4 ジャシンタの繊細な心
ジャシンタは日がとっぷり暮れる頃、家の近くにある脱穀場へ行く事も好きでした。彼女はそこで美しい日没と瞬く星でいっぱいの空を眺めたりしていました。彼女は綺麗な月夜に心を奪われました。私たちは誰が最も多くの星を数えることができるかと互いに競争しました。そして星は天使たちのランプ、月は聖母マリアのランプ、太陽は主イエズスのランプと呼びました。ジャシンタはこう言いました。「私は聖母のランプが一番好き。それは私たちの主のランプのように私たちを焼かないで目をくらませないから。」実に夏、ファチマでは太陽の光が強いので、ジャシンタは暑さのために非常に苦しみました。
5. ジャシンタは見て学ぶ
私の姉が小教区のイエズスの聖心会に加入していたので、子どもたちの盛大な初聖体式が来ると、必ず私の初聖体を更新するように私を教会へ連れて行きました。ある時私の叔母は、儀式を見にジャシンタを連れて行きました。するとジャシンタは天使の服装をした女の子が行列の時ご聖体の前で花を撒き散らしていることに心をうばわれました。その時から私たちが遊んでいると彼女は時々私たちから離れてエプロンにいっぱい花を摘んで一つ一つ私たちに投げかけました。
「ジャシンタ、なぜそんなことをするの?」と聞くと
「教会で小さい天使がしたようにするの。あなたたちに花を撒き散らしたいの」と答えました。
毎年、大祝日には、おそらくご聖体の祝日に、姉はご聖体行列でご聖体に花をまき散らす天使の衣装をつける女の子たちのために白衣を準備していました。この子供たちは、天蓋の横を歩いて花びらをまき散らします。私はいつもこの子供たちの中に選ばれました。ある日、姉が私のドレスの着付けをしてくれた後、私はジャシンタに来る祝日のこと、どうやってイエズス様の前で花びらをまき散らすかなどを教えました。
ジャシンタは、「私も行列に出るようにお姉さんに願ってください」と言ったので私たち二人は一緒に願いに行きました。姉は承諾し、ジャシンタに服が合うか試しました。練習の時、姉は幼きイエズスの前で私たちがどうやって花をまかねばならないかを説明しました。
「私たちはイエズスを見るでしょうか」と小さいジャシンタが聞くと姉は
「そうですよ、主任司祭はイエズス様を持って行きます」と簡単に答えました。
ジャシンタは喜び踊りました。そして私たちがこの祝日をどれだけ待たなければらないかをいつも尋ねました。
長い間待っていた祝日がとうとう来たので、この小さい女の子は、あまりの喜びに我を忘れていました。私たち二人は祭壇の近くでした。後に、行列の時は、私たちは天蓋の顕示台の横を、一人ずつ一つのカゴいっぱいの花を持って歩きました。姉が私たちに花を撒き散らすように合図するとどこででも、私はイエズス様に花を撒き散らしましたが、小さいジャシンタは私の合図にもかかわらずひとつも花をまきませんでした。彼女は行列のあいだじゅう、司祭をじっと見つめていました。それしかしませんでした。式が終わってから姉は私たち聖堂の外に連れて行きこう尋ねました。
「なぜあなたは、イエズス様に花をまかなかったの?」
「だって、イエズス様が見えなかったから。」
ジャシンタはそこで私にこう尋ねました。
「けれども、あなたには幼きイエズス様が見えたの?」
「もちろん見なかったわ。ホスチアの中の幼きイエズス様のお姿は、見ることができないって知らなかったの?イエズスはご聖体の中に隠れておられるのよ。イエズス様って、私たちが御聖体を拝領する時、頂くお方なのよ。」
「じゃあ、あなたは聖体拝領の時イエズス様に話しするの?」
「うん、お話しするわ。」
「それじゃあ、どうしてイエズス様が見まないの?」
「だって隠れておられるからよ。」
「私、お母さんにご聖体を拝領させて頂くように願いします。」
「主任神父様は、あなたが10歳になるまで、初聖体をいただくことをお許しませんよ。」[注8]
「でも、あなたは、まだ10歳にならないのに聖体拝領をしてるじゃないの!」
「私は公教要理をよく勉強したからよ。でもあなたは、まだそれを知らないでしょ。」
その時から、私の二人の友だちジャシンタとフランシスコは私に公教要理を教えて欲しいと頼みました。私は教理の先生となり、ふたりは熱心にそれを学びました。
けれども、私はジャシンタの質問には全て答えることが出来ましたが、公教要理を教えるとなると、わずかのことしか思い出すことが出来ませんでした。
このためにジャシンタは私にある日こう言ったのです。
「私たちにもっと他の事を教えて。私たちはそのことは全部知っているわ」と。
私は質問されたときならいろいろなことを思い出すことが出来ると認めなければなりませんでした。そこで、「あなたが公教要理の勉強をもっとしたいなら、お母さんに教会へ連れて行ってほしいと願ってください」と勧めました。
「隠れたイエズス」と彼らが名付けたご聖体を熱烈に拝領したかった二人の子供は、母親に願いに行き、許しを受けました。しかし彼女はたまにしか二人を教会へ連れていきませんでした。
「教会までの道のりはここからとても遠いから、あなたたち二人はまだ無理です。どうせ、主任司祭は10歳になるまで初聖体を授けませんよ」と言いました。
しかしジャシンタは、隠れたイエズスについて質問するのをやめませんでした。ある日私にこうやって質問したのを覚えています。、
「どうして同時に多くの人々が小さな隠れたイエズス様を拝領できるの?一人一人のためにイエズス様は小さく分けられているの?」と。
「そうではないの。ほら、たくさんのホスチアがあるのが分からないの?それぞれのホスチアにひとりの小さいイエズス様がいらっしゃるの」と答えました。
その時、私はきっとなんと多くの愚かなことを言ったのではないかと思います。
[注8]ジャシンタは1910年3月11日生まれだった。
(続く)