白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、フラメント神父様(Frament)のお説教 をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
日本語字幕つきは近日掲載!
▼フランス語原文はこちら▼
四旬節には、まず愛徳を
フラメント神父様
2023年3月8日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
親愛なる学生の皆さん、親愛なる信徒の皆様、本日、天主の聖ヨハネという聖人を祝います。ポルトガルに1495年ごろ生まれました。ちょうど、クリストファー・コロンブスがアメリカを発見した同じ時期です。天主の聖ヨハネは熱心なキリスト教の家族に生まれましたがとても貧しい家庭でした。
そして、不思議なことに、彼がまだ若かったとき、ある旅人が家を訪れました。そして、愛想のよいこの旅人はヨハネに一緒に行くように誘います。ヨハネの親はその提案を承認して、ヨハネを旅立つことをゆるします。この旅人を信頼したわけです。
そして数か月後、未成年のヨハネはスペインにいますが、独りぼっちとなってしまいます。自分の家を捜そうとしましたが、全然だめで、死ぬまでもう二度と親と会ったことがありません。これは彼にとっての最初の大試練でした。
そして、カール五世の軍隊に志願兵として入りました。そして、多くの兵士もそうであるように、その時、ヨハネは多くの罪を犯しました。兵士という身分なら、多くの誘惑があります。殺人でも略奪でも強姦でも売春の女性との不潔な関係でも多くの誘惑がある中に、きっとヨハネも悪い模範に引っ張られて罪を犯したでしょう。
そしてある日、ヨハネは非常にピンチとなりました。何かの重い違法行為、盗みだったと思いますが、嘘でしたが、だれかに訴えられました。彼の士官が彼を吊って殺すことを決定したとき、ぎりぎり彼を救った証人が出ました。その時、ヨハネは分かりました。どれほど人生は儚いことであるのかを知りました。かれはその時、地獄に落ちる直前までいたっていました。罪を犯しているままに死にそうになったからです。告解も改悛もよくできないままに急に死にそうになったわけです。
しかしながら、幸いなことにそうならないで、救われました。そして、そのあと、ヨハネはスペイン南部のアンダルシアにあるグラナダに行きました。そして、ある日、当時、襲名な説教者として知られているアビラの聖ヨハネ神父のお説教をたまたま聞くことになりました。改悛と天主への愛についてのお説教でした。
この説教を聞いて天主の聖ヨハネは教会を出たら大声で自分の罪を悔い改めて涙を流すほどに感動しました。かれは「私は大罪人です」と叫んでばかりいたので、周りの人々から彼は狂人ではないかという扱いを受けました。
その結果、彼は逮捕されて、精神病棟に押しこまれました。縁のない狂気の沙汰として扱われたので、彼を癒そうとして、相当大変な「治療」をうけました。当時、水を顔に投げたり、殴ったら発作は鎮まるだろうと信じられていた時代でした。
そして少し時間が経ったら、かれは正気であることに気づかれて、保護所から解放されました。
しかし、この経験はヨハネに強い印象を残しました。つまり狂人といわれる人々はこれほどひどい目に合わせられて苦しみを受けるということを知ったからです。
そして、その時から、貧しい人々へ眼を傾けるようになりました。まず、冬に備えて、また一年中パンが焼けるように、貧しい人々のための薪を拾って配ってあるいていました。最初、皆、彼をにらむような視線でみていましたが、少しずつそれも変わって、良い模範がひろまるかのように、他の人々も彼に倣って一緒に貧しい人々を助けることになりました。
そして、グラナダの人々から多くの施しをいただいたおかげで、貧しい人々のために家を購入しました。最も死にかけている貧しい人々のための避難所でした。ヨハネは母親のように貧しい人々の世話をしていました。身体だけではなく、霊魂の世話もしていました。いつもいつも良き天主の話をしていました。そして彼の愛徳と柔和に多くの貧しい人々が感動して回心しました。
本日の集祷分では、天主の聖ヨハネの人生の中の有名な場面を思い起こします。
グラナダである日、ある家が火災となります。火災の家に閉じこめられた数人の霊魂がいます。聖霊につき動かされて、ヨハネは火の家へ入ってゆき、皆を救いました。そして、何の傷もなく、ヨハネは家から出てきました。多くの人々は教会もこれを見て、奇跡的に天主の御助けがあったと見ました。普通ならば、このような大変な火災の家に入り込むと死ぬしかなったからです。
彼の愛徳の報いとして、その時、無傷で家から出られました。やけども一つもなかったのです。まさに奇跡でした。
天主の聖ヨハネは後に、「病院の兄弟たち」という修道会を創立しました。
親愛なる信徒の皆さま、この聖人はとても立派な愛徳の模範をわれらのために遺しました。とくに四旬節の間なら、なお大切な模範です。
四旬節の愛、多くの遷善の決心をして、犠牲など、自分の霊魂の救いを中心に考えることが多いでしょう。しかしながら、隣人をも考えるべきです。もちろん、自分の罪を償い、自分の事情で妥当な犠牲、それから多くの祈りをお捧げするのは最低限です。
しかしながら、使徒的活動をも視野に入れるべきです。ご存じのように、この世で我々は独りぼっちではありません。多くの社会、グループに属します。
隣人とは、まず家族と親戚です。また小教区の教会です。また大学のサークルや職場なのです。隣人への愛徳は近い順で行うことです。四旬節になって、自分を考えてから、隣人をも考えるべきです。愛徳と聖徳における完成、上達は矛盾しないどころか、一緒に発展していくのです。隣人への愛徳を施すことによって、自分の聖化を助けるわけです。
これから四旬節は一か月ぐらいで終わるのであっという間になりますので、全力で頑張りましょう。
すでに犯した罪への償いと祈りの上で、隣人のために何かの遷善の決心をとることを提案します。例えば、毎日、隣人への愛徳の行為を一つ行うとかいろいろあります。隣人への愛徳は具体的にいろいろできます。乞食に施しをあげるか、ちょっと悲しげな人へほほえみを送るか笑顔で接触するか、ちょっと疲れていてつまらない話がされても、相手をよく聞くとか、近所の人の何かの手伝いするとか、小教区の手伝いとか、多くあります。
やりやすいこともいっぱいあります。そうすると、教会全体のためにも自分のためにも多くの恩寵をいただけます。
ですから、天主の聖ヨハネに祈りましょう。思いにおいても言葉においても行動においても愛徳を施せるように。
隣人愛を実践するために、遠く海を渡って旅立つ必要はありません。我々のすぐ近くに惨め、悲しみ、貧しさはいっぱいあります。パリなら大変です。自分の家族でもときにあるでしょう。我々のできる範囲で、愛徳を施しましょう。霊的な手伝い、物質的な手伝い、つまらない人々へ忍耐、天主の聖ヨハネに倣って愛徳をほどこしましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております
日本語字幕つきは近日掲載!
▼フランス語原文はこちら▼
四旬節には、まず愛徳を
フラメント神父様
2023年3月8日
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン
親愛なる学生の皆さん、親愛なる信徒の皆様、本日、天主の聖ヨハネという聖人を祝います。ポルトガルに1495年ごろ生まれました。ちょうど、クリストファー・コロンブスがアメリカを発見した同じ時期です。天主の聖ヨハネは熱心なキリスト教の家族に生まれましたがとても貧しい家庭でした。
そして、不思議なことに、彼がまだ若かったとき、ある旅人が家を訪れました。そして、愛想のよいこの旅人はヨハネに一緒に行くように誘います。ヨハネの親はその提案を承認して、ヨハネを旅立つことをゆるします。この旅人を信頼したわけです。
そして数か月後、未成年のヨハネはスペインにいますが、独りぼっちとなってしまいます。自分の家を捜そうとしましたが、全然だめで、死ぬまでもう二度と親と会ったことがありません。これは彼にとっての最初の大試練でした。
そして、カール五世の軍隊に志願兵として入りました。そして、多くの兵士もそうであるように、その時、ヨハネは多くの罪を犯しました。兵士という身分なら、多くの誘惑があります。殺人でも略奪でも強姦でも売春の女性との不潔な関係でも多くの誘惑がある中に、きっとヨハネも悪い模範に引っ張られて罪を犯したでしょう。
そしてある日、ヨハネは非常にピンチとなりました。何かの重い違法行為、盗みだったと思いますが、嘘でしたが、だれかに訴えられました。彼の士官が彼を吊って殺すことを決定したとき、ぎりぎり彼を救った証人が出ました。その時、ヨハネは分かりました。どれほど人生は儚いことであるのかを知りました。かれはその時、地獄に落ちる直前までいたっていました。罪を犯しているままに死にそうになったからです。告解も改悛もよくできないままに急に死にそうになったわけです。
しかしながら、幸いなことにそうならないで、救われました。そして、そのあと、ヨハネはスペイン南部のアンダルシアにあるグラナダに行きました。そして、ある日、当時、襲名な説教者として知られているアビラの聖ヨハネ神父のお説教をたまたま聞くことになりました。改悛と天主への愛についてのお説教でした。
この説教を聞いて天主の聖ヨハネは教会を出たら大声で自分の罪を悔い改めて涙を流すほどに感動しました。かれは「私は大罪人です」と叫んでばかりいたので、周りの人々から彼は狂人ではないかという扱いを受けました。
その結果、彼は逮捕されて、精神病棟に押しこまれました。縁のない狂気の沙汰として扱われたので、彼を癒そうとして、相当大変な「治療」をうけました。当時、水を顔に投げたり、殴ったら発作は鎮まるだろうと信じられていた時代でした。
そして少し時間が経ったら、かれは正気であることに気づかれて、保護所から解放されました。
しかし、この経験はヨハネに強い印象を残しました。つまり狂人といわれる人々はこれほどひどい目に合わせられて苦しみを受けるということを知ったからです。
そして、その時から、貧しい人々へ眼を傾けるようになりました。まず、冬に備えて、また一年中パンが焼けるように、貧しい人々のための薪を拾って配ってあるいていました。最初、皆、彼をにらむような視線でみていましたが、少しずつそれも変わって、良い模範がひろまるかのように、他の人々も彼に倣って一緒に貧しい人々を助けることになりました。
そして、グラナダの人々から多くの施しをいただいたおかげで、貧しい人々のために家を購入しました。最も死にかけている貧しい人々のための避難所でした。ヨハネは母親のように貧しい人々の世話をしていました。身体だけではなく、霊魂の世話もしていました。いつもいつも良き天主の話をしていました。そして彼の愛徳と柔和に多くの貧しい人々が感動して回心しました。
本日の集祷分では、天主の聖ヨハネの人生の中の有名な場面を思い起こします。
グラナダである日、ある家が火災となります。火災の家に閉じこめられた数人の霊魂がいます。聖霊につき動かされて、ヨハネは火の家へ入ってゆき、皆を救いました。そして、何の傷もなく、ヨハネは家から出てきました。多くの人々は教会もこれを見て、奇跡的に天主の御助けがあったと見ました。普通ならば、このような大変な火災の家に入り込むと死ぬしかなったからです。
彼の愛徳の報いとして、その時、無傷で家から出られました。やけども一つもなかったのです。まさに奇跡でした。
天主の聖ヨハネは後に、「病院の兄弟たち」という修道会を創立しました。
親愛なる信徒の皆さま、この聖人はとても立派な愛徳の模範をわれらのために遺しました。とくに四旬節の間なら、なお大切な模範です。
四旬節の愛、多くの遷善の決心をして、犠牲など、自分の霊魂の救いを中心に考えることが多いでしょう。しかしながら、隣人をも考えるべきです。もちろん、自分の罪を償い、自分の事情で妥当な犠牲、それから多くの祈りをお捧げするのは最低限です。
しかしながら、使徒的活動をも視野に入れるべきです。ご存じのように、この世で我々は独りぼっちではありません。多くの社会、グループに属します。
隣人とは、まず家族と親戚です。また小教区の教会です。また大学のサークルや職場なのです。隣人への愛徳は近い順で行うことです。四旬節になって、自分を考えてから、隣人をも考えるべきです。愛徳と聖徳における完成、上達は矛盾しないどころか、一緒に発展していくのです。隣人への愛徳を施すことによって、自分の聖化を助けるわけです。
これから四旬節は一か月ぐらいで終わるのであっという間になりますので、全力で頑張りましょう。
すでに犯した罪への償いと祈りの上で、隣人のために何かの遷善の決心をとることを提案します。例えば、毎日、隣人への愛徳の行為を一つ行うとかいろいろあります。隣人への愛徳は具体的にいろいろできます。乞食に施しをあげるか、ちょっと悲しげな人へほほえみを送るか笑顔で接触するか、ちょっと疲れていてつまらない話がされても、相手をよく聞くとか、近所の人の何かの手伝いするとか、小教区の手伝いとか、多くあります。
やりやすいこともいっぱいあります。そうすると、教会全体のためにも自分のためにも多くの恩寵をいただけます。
ですから、天主の聖ヨハネに祈りましょう。思いにおいても言葉においても行動においても愛徳を施せるように。
隣人愛を実践するために、遠く海を渡って旅立つ必要はありません。我々のすぐ近くに惨め、悲しみ、貧しさはいっぱいあります。パリなら大変です。自分の家族でもときにあるでしょう。我々のできる範囲で、愛徳を施しましょう。霊的な手伝い、物質的な手伝い、つまらない人々へ忍耐、天主の聖ヨハネに倣って愛徳をほどこしましょう。
聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン