私は生まれも育ちも全く沖縄とは縁がなかったので、初めて沖縄の三線による音楽を聞いたのは、昔々まだ中学生くらいのとき、FMラジオの「世界の民族音楽」という番組で、確か「谷茶前」という曲でした。
その後は、生まれてこのかた50年近くまで、三線という楽器とは日常生活ではほとんど接点がなく、全く関わりがありませんでした。
ところが、以前ビギンの「島人ぬ宝」(しまんちゅぬたから)という曲を聞いてからは、元々楽器に興味があったこともあって、沖縄三線が弾けたらなと思い始めて、一人で沖縄まで旅行して三線を手に入れてきました。
CDで聞いたビギンの曲や沖縄民謡などを、工工四を沖縄から取り寄せては自己流でいろいろ三線を弾きながら歌ってました。
でも、自己流ではやはりつまらないのです。
こんなことではいけないと思い、インターネットで沖縄の三線を習えるところを探してみました。
そしたら、名古屋に琉球古典音楽を教えてくれるところが見つかりました。
私は石川県在住なのですが、一番近いところでも名古屋。車で高速道路を利用しても、移動するだけで往復約6時間もかかるではありませんか。
でも私は、習うことに決めました。
そこまでして習う琉球古典音楽とは一体何?!
そんな私が、2011年12月から習い始めて、今までに習ってきた琉球古典音楽の、独特の発声技法や演奏法など、悪戦苦闘している様子を、順次紹介して行きたいと思います。(回顧録です)
その1 恩納節(おんなぶし)
古典で一番最初に習ったのがこの曲です。
何しろ生まれてこのかた今まで聞いたこともなかった曲を、いきなり練習するわけですから、慣れるまでかなり時間がかかりました。
まず問題となったが、三線の音程と歌の音程が違う部分があること。
三線で例えば「工」の音(西洋音楽でいうところの仮に「ド」としましょう)を弾いて、歌は「尺」(西洋音楽では「シ」)を歌うのです。最初は印刷ミスかと思いましたがそうではありませんでした。これはもう繰り返し練習して慣れるしかありません。
そして、歌い方の技法として「当(アティ)」 「ネーイ」 「掛(カキ)」 「振上げ(フイアギ)」等々の色々なワザが出てくるのです。
そこで勉強のため沖縄から取り寄せたCDを聴くのですが、それらの技法を全く理解していない私にとっては、単なる邪魔な雑音にしか聞こえず、もっとすっきりしたお手本のCDが無いものかと思ったものです。
かなり後で分かったのですが、それらの技法があってこその「古典」なのですね。
特に「掛」には相当悩みました。お手本のCDを聴いても、師匠に説明してもらっても、喉のどこをどうやるのか皆目理解できませんでした。いや実は今でも出来てないのでは?
その後は、生まれてこのかた50年近くまで、三線という楽器とは日常生活ではほとんど接点がなく、全く関わりがありませんでした。
ところが、以前ビギンの「島人ぬ宝」(しまんちゅぬたから)という曲を聞いてからは、元々楽器に興味があったこともあって、沖縄三線が弾けたらなと思い始めて、一人で沖縄まで旅行して三線を手に入れてきました。
CDで聞いたビギンの曲や沖縄民謡などを、工工四を沖縄から取り寄せては自己流でいろいろ三線を弾きながら歌ってました。
でも、自己流ではやはりつまらないのです。
こんなことではいけないと思い、インターネットで沖縄の三線を習えるところを探してみました。
そしたら、名古屋に琉球古典音楽を教えてくれるところが見つかりました。
私は石川県在住なのですが、一番近いところでも名古屋。車で高速道路を利用しても、移動するだけで往復約6時間もかかるではありませんか。
でも私は、習うことに決めました。
そこまでして習う琉球古典音楽とは一体何?!
そんな私が、2011年12月から習い始めて、今までに習ってきた琉球古典音楽の、独特の発声技法や演奏法など、悪戦苦闘している様子を、順次紹介して行きたいと思います。(回顧録です)
その1 恩納節(おんなぶし)
古典で一番最初に習ったのがこの曲です。
何しろ生まれてこのかた今まで聞いたこともなかった曲を、いきなり練習するわけですから、慣れるまでかなり時間がかかりました。
まず問題となったが、三線の音程と歌の音程が違う部分があること。
三線で例えば「工」の音(西洋音楽でいうところの仮に「ド」としましょう)を弾いて、歌は「尺」(西洋音楽では「シ」)を歌うのです。最初は印刷ミスかと思いましたがそうではありませんでした。これはもう繰り返し練習して慣れるしかありません。
そして、歌い方の技法として「当(アティ)」 「ネーイ」 「掛(カキ)」 「振上げ(フイアギ)」等々の色々なワザが出てくるのです。
そこで勉強のため沖縄から取り寄せたCDを聴くのですが、それらの技法を全く理解していない私にとっては、単なる邪魔な雑音にしか聞こえず、もっとすっきりしたお手本のCDが無いものかと思ったものです。
かなり後で分かったのですが、それらの技法があってこその「古典」なのですね。
特に「掛」には相当悩みました。お手本のCDを聴いても、師匠に説明してもらっても、喉のどこをどうやるのか皆目理解できませんでした。いや実は今でも出来てないのでは?