日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

手皮「琉球古典音楽悪戦苦闘の日々」208

2020年03月16日 | 日記
手皮(ティーガー)です。
今回沖縄の組合から取り寄せた、牛皮製のテイーガーに替えました。
紐の結び方も「みなみ三線店さん」の動画を参考にして自分で結びました。
こちら、古い方の三線も結び直しました。勝手に命名「俵結び」?

瀧落菅撹(その3)「琉球古典音楽悪戦苦闘の日々」207

2020年03月14日 | 日記
さて、伝統と格式を重んじる琉球古典音楽は、その「工工四」も伝統的なもの。
それゆえに、不足を感じる部分があっても、容易には変更できない。
昔から伝わるものを変更して改良するには、それなりの地位のある人間がかなりの勇気をもって行わなければ、周囲が許さないだろう。
この「瀧落菅撹」も、そういう部分がたくさんある。
しかし、もともと「工工四」なるものは、昔は今のようなマス目も無く、単に棹の押さえる場所を書いたメモに過ぎなかった。(琉球大学付属図書館所蔵の資料に基づく)
師匠が演奏するのを聞いて、はじめてどんな曲かが分かったものだろう。
そもそも論から言えば、琉球古典音楽そのものが、琉球王朝の国を挙げての役人仕事だったわけで、女性の踊りも男性が仕事として女装して行なっていたという。
三線も、当時は庶民には手の届かない高価な輸入品だった。
こういう事を、現代では誰でも体験できるというのは、とても素晴らしいことだと思う。

瀧落菅撹の続き「琉球古典音楽悪戦苦闘の日々」206

2020年03月10日 | 日記
工工四は、音を書いているのではなく、押さえる位置関係を書いている。と書きましたが、補足です。
中位の曲というのがあり、これは通常の曲は「合」がドレミで言うところの「ド」であるのに対して、「四」が「ド」に該当します。この場合「尺」は半音下げて押さえますが、「四」は「ド」であろうが「ファ」であろうが、あくまでも「四」なのです。
また更に「二上げ」や「三下げ」なども、音階の位置関係は変わりますが、「合、乙、老、四、上、中、尺、工、五、六、七、八」という押さえる位置関係の呼び名は不動です。
これが、「工工四」の特徴で、「楽譜」とは違うところです。
それなのに、三線の棹の約半分のところを押さえて高い音程を出すときに、「人偏」を付けて「尺」の1オクターブ上の音です。と言われても「尺」は本来「中弦」で、実際にその音を出す弦は「女弦」の「五」の半分の位置なので困惑するのです。
そこで登場したのが、押さえる位置関係をそのまま棹の真ん中あたりで再現した方法が、例のメモなのです。
これにて一件落着。







瀧落菅撹「琉球古典音楽悪戦苦闘の日々」205

2020年03月07日 | 日記
「タチウトゥシ スガガチ」(たきおとし すががち)
という歌を伴わない三線だけの曲がある。
琉球古典音楽においては、普通は歌を歌いながら三線を弾く「歌三線」の世界なので、かなり珍しいスタイルだ。
歌わないので、三線に集中するせいか、弦を押さえる位置も難しくなっていて、通常の音の1オクターブ上の音が頻繁に出てくる。
音を聞いて、耳を慣らせば、なんとなくわかるのだが、「工工四」だけを見ても、最初は全く分からない。
ある日、私の師匠から頂いたのが、この曲の「押さえる位置のメモ書き」だ。
正式な「工工四」では、通常の記号に「人偏」を付けることにより「音」が「1オクターブ上」であることを表記しているが、このメモでは、「1オクターブ上の音を出すための位置関係」を書いてある。
どういうことかと言うと、例えば「五」の1オクターブ上の音は「伍」と書いてあるが、実際に押さえる位置は「七」の1オクターブ上のような場所と考えた方が分かりやすい。(ただし、その場合、音は1オクターブ上ではない)
何を言っているのか、だんだん分からなくなるので、この辺でやめておくが、要するに「工工四」本来の姿は、押さえる位置を書いてあるのだが、こと「1オクターブ上」の音に関しては、「音」そのものを書いているので、注意が必要なのだ。