日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

あかのこ ねはのこ(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々153)

2019年03月31日 | 日記
「おもろさうし」に書いてある「あかのこ」と「あかいんこ」は、解説書を見ると同一人物とのこと。
この「あかいんこ」を、いつの時代か、だれかが勝手に「赤犬子」と表記しているのです。
しかし「あかいんこ」はあくまでも「ひらがな」で書いてあるのです。
この「いん」という言葉は「犬」ではないと私は思うのです。
「おもろさうし」には、意訳すると「阿嘉の人が宮廷音楽を演奏して祝賀行事を行った」というような内容が書いてあります。
「あかのこ」という表記が多いのですが、たまに「あかいんこ」が出てきます。
つまり「あかのこ」が本当の表記で、「あかいんこ」は何か違和感を感じます。
記録に残す程の重要人物の名前を「犬子」呼ばわりするでしょうか。
「おもろさうし」では、他に、「ねはのこ」「ねはいんこ」という記載もあります。
「いんこ」とは一体何?

琉球仮名遣い(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々151)

2019年03月30日 | 日記
「おもろさうし」に書かれている文字は、日本語の文字ではあるが、読み方が少々違う独特の読み方となっている。
当時の琉球にしか存在しない表記法。
そして、それが現代の琉球古典音楽の工工四に受け継がれている。
こんな表現はあるかどうかわからないが、「琉球仮名遣い」とでも命名しようか。

工工四は生きた化石(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々150)

2019年03月29日 | 日記
琉球古典音楽の工工四に記載されている「歌詞」は、日本語ではないことがわかりました。
「おもろさうし」に用いられているものと同じ表記法で、琉球独自のもの。
このような大変めずらしい表記が、現代の日本において普通に使用されているとは。
まさに「生きた化石」的な事例ではないでしょうか。

おもろさうし(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々149)

2019年03月28日 | 日記
琉球古典音楽の工工四の記載方法に疑問があり、いろいろ調べているのですが、ついに「おもろさうし」に行きつきました。
つまり、「工工四」に記載されている「難解な」記載方法は、かの「おもろさうし」とほとんど同じだというのです。
「おもろさうし」の表記方法
①日本語の歴史的仮名遣い(今日=けふ)
②琉球語的仮名遣い
③上記①と②を合成した類推仮名遣い(「婿」を「もこ」、「国」を「こに」、「くてぃ」を「こてい」、「かじゃでぃ」を「かぎやで」と表記)
以上の3要素を同時に併用しているということ。

「おもろさうし」で使用されている表記方法は、日本語ではありません。
当時の琉球で用いられた表記方法であり、たまたま日本で使用されていた漢字と仮名文字を使用(利用)して、その表記手段としたのです。

つまり「かぎやで」という表記は正しいのですが、そのとおりに読むのは誤りなのです。







沖縄読み(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々148)

2019年03月27日 | 日記
恩納節は「おんなまつしたに きじのはいのたちゆす こひしのぶまでの きじやないさめ」と書いて、
読みは「うんなまちしたに ちじぬふぇぬたちゅすぃ くいしのぶまでぬ ちじやねえさみ」ですが、
例えば最後の所、あたかも「きじやないさめ」が通常の日本語で「ちじやねーさみ」が沖縄語のように取り扱っていますが、「ないさめ」の「無い」は日本語としてありますが、「さめ=サミ」は日本語にありません。
このあたりに、問題点が潜んでいそうです。
つまり、「沖縄語」である「サミ」は、そのとおりに「さみ」と書けばいいのに、なぜ「さめ」と書くのか?
もっと勉強が必要のようです。