日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

「首里節の歌詞」(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 108)

2019年01月27日 | 日記
首里節の歌詞の内容を、勝手に私なりの解釈を加えて、訳してみました。
「私は首里城に住み込みの女官です。こう毎日毎日城にこもってばかりいると退屈で退屈で。あーあ誰かかっこいい彼氏が現れないかなあ。あっ、あの人すごく素敵。彼も住み込みみたいだから、今夜仕事が一段落したら、彼の部屋にそよ風みたいに自然に入っていけたらいいのになあ。」

さて、ちなみに元の歌詞はこうです

「ませこまて をれば ここてるさあもの おすかぜとつれて しのでいらな」
直訳は、「深窓にこもっていると、心寂しいもの そよ風といっしょに しのびたいものです」

「秋の踊り」の出だしが歌えない(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 107)

2019年01月26日 | 日記
秋の踊りの歌いだしは、「老」そ「四」ら「乙」も「四」な「上」が「四」つ「四」き
ですが、習い始めのころ私は「老」を三線の音で取ってそのまま歌っていたのです。
後で気が付いたのですが、これが大間違いでした。
つまり最初の「老」は三線で押さえる「老」でなく、「四の少し低い音」なのです。
しかも工工四では書ききれない微妙な「次第上げ」が入っていて、「そーらーも」の「そー」の「ー」の段階で半音下から四にまで上がってしまっています。
ああ、あの時の「老」よ、何と恥ずかしい。

「首里節その2」(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 106)

2019年01月23日 | 日記
首里節で、私としては初めての「手の技法」が出てきました。
「七」の音を普通に弾いた後、弦を押さえている中指はそのままで「八」の位置で左手小指ではじいて再び「七」の音を出すのです。次に「六」の音を左手人差し指で押さえて普通に弾いた後、同様に左手中指で「七」の位置ではじいて「六」の音を出します。
指が「つり」そうです。
でも脳トレに良いような感じです。

首里節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 105)

2019年01月23日 | 日記
次回は「首里節」を練習してくるように。と言われて、覚えようとCDを聞くのですが、すぐに眠くなります。新たな曲の場合、こういうことはいつもの事です。そして、ある程度覚えてくると不思議と眠たくなくなるのです。
しかし、よく考えてみると今日は朝3時から起きて朝風呂に入ったのでした。どうりで眠くなるはずだよ。

秋の踊り(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 104)

2019年01月17日 | 日記
「秋の踊り」の歌持ちは「工・五・七・八」と進行しますが、その「八」の音を押さえるとき、私は今まで「裏で押さえている親指」の位置は変えずに、手のひら全体を伸ばして「小指だけをずらす」感じで押さえていました。でも今にして思えば、これが間違いの元でした。
稽古する曲がどんどん難しくなっていくと、音の高い「六」「七」「八」などがが多く出てきます。その場合、親指を「七」と「八」の位置関係程度の距離分、正確にずらす必要があります。つまり「秋の踊り」を稽古する時点で、「七」→「八」と小指をずらすときに親指も並行移動で一緒にずらして稽古しておけば、ここで苦労する必要が無かったのです。