日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

あこがれの干瀬節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 85)

2018年10月31日 | 日記
10月21日の名古屋場所稽古(正確には名古屋教室のレッスン)で、次回の課題曲は「ぢゃんな節」と「舞踊曲2巻の中からどれでも」と言われました。
舞踊曲に関しては、もう制限なしということですね。
いままで子供扱いだったのが、急に大人の扱いを受けたような感じです。
そこで私は最初、「カナヨー」を考えたのですが、これは「三下げ」でいかにも「民謡」なので、ちょっと躊躇しました。それでよく考えると、次のコンクールの課題曲は「二揚げ」の曲がセットになっていることから、どうせ覚えるなら、それと同じ曲で「舞踊曲集」に収められている、ずっとあこがれていた「干瀬節」にしようと思いました。この曲なら、今度の関東支部の「おさらい会」の課題曲にもなってるし、一石二鳥です。

ぢゃんな節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 84)

2018年10月31日 | 日記
ぢゃんな節の歌詞は、どうも「昔の彼女の事が忘れられない」と言っているようで、「なんて情けない奴だ。」という感じです。しかも「ぢゃんな」を何度も繰り返し、琉球音階と併せて、両者あいまって、とてもしつこい感じです。でも嫌いな曲でも覚えなければならないのですね、これがまた。

開音(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 83)

2018年10月28日 | 日記
ぢゃんな節で「開けよう」がない「開音」がありました。
開音はその直前に押さえていた左手の指を開けて、かすかな音を発生させる技法ですが、下の画像の矢印で示したところは、どの指を開けるのでしょうか?
直前に「工」があるので、「五」も「尺」も押さえていません。
まあ、かの「カジャディ風節」でも、繰り返しなのに一回目と二回目とで違う部分があり、誤植もよくあるので、何を信じていいのかわかりませんが。

ぢゃんな節(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 82)

2018年10月25日 | 日記
次回は「しょどん節」だと思っていたのですが、念のため師匠に確認したところ、何を勘違いしたのか「ぢゃんな節」でした。
なぜ聞き間違えたのか良く分かりません。私はもしかしたら認知症?今度検査に行こう。
ところで、この「ぢゃんな節」、聞いてみると途中「作田節」とそっくりの部分があります。
私のような者がこれを演奏すると、いつのまにか途中から「作田節」に変わってしまいそうで怖いです。
逆にわざと受け狙いでやりそうですけど。(古典でやると叱られるぞ)

中巻の似たもの同志(琉球古典音楽悪戦苦闘の日々 81)

2018年10月23日 | 日記
作田節を勉強するに至って思うこと。
「中巻」最初の「5曲」は、聞いてみると、どれもだいたい似た者どうし。
今までも、教室に通って指導を受けていると、順番に学ぶ曲にはだいたい一部に似ている部分があって、それが少しづつ移動していくように、少しづつ少しづつ新たな技術を導入していけるようになっている。
それが、歌だったり三線の手の技術だったりします。
そうやって、簡単な曲から難しい曲まで、スムーズに行けるようになっている。
すばらしい。