日々是気の向くままに

日々是好日(口実)いろんな分野を気ままに書いていきます。

尺とは?「琉球古典音楽悪戦苦闘の日々」250

2021年07月11日 | 日記
沖縄の三線音楽において、「尺」の音は、色々と物議を醸しだしている。工工四の機能には限界があり、こと「尺」に関しては、いつも音程の議論が絶えない。これは何故か?よくよく考えてみたら、つまりその名のとおりなのだ。要するに「尺」とは、日本語で「寸法」を表す単位であり、ここからここまで、どれだけの長さかを表す単位だ。それがどうして三線の指を押さえる位置を表す記号の一つになったのか?それは「尺」そのものが表す意味とピッタリだからだ。つまり、いつも位置関係の長さが問題となる音が「尺」なのだ。実際に演奏してみると他の音(合、乙、老、四、上、中、工、五、六、七、八、など・・・)では問題にならない。つまり、「尺」はその尺が問題なのだ。だから、あえて「尺」という名前にして尺に対する問題意識を定義したのだ。永遠のテーマは「尺」の尺なのだ。「お分かりいただけただろうか?」

工工四は両刃の剣「琉球古典音楽悪戦苦闘の日々」249

2021年07月01日 | 日記
沖縄の三線音楽においては、「工工四」というのは非常に便利なもので、先生の演奏を聞かなくても、三線の押さえる場所や歌の音程がわかるようになっている。ところが、この機能にも限界がある。それは完全な楽譜ではないため、一つの音に二通りの解釈があることだ。例えば「尺」という音。これは音と言うより「位置」なのだが、曲によって「半音」高かったり低かったりする。しかも工工四には半音高いのか低いのか明記されていないので、演奏者によって勝手な解釈が成立し、時々議論の対象になる。しかも、本人は「高い音の尺」のつもりで演奏していて実際には低い音を出していて、それは単に指が届かなかっただけと言う理由だったりして、そういう演奏があると、更に現場は混乱する。そして更に更に、これは「二上げ」の曲や「三下げ」の曲の「七」の位置も同様で、通常時の「尺」の位置と全く同じ問題を発生させている。
早く、この問題を解決した「工工四」が出来ないものだろうか?