保守系の方で「新自由主義」を批判する人は結構います
そういう方は、比較的にケインズ系の「大きな政府」を志向し、「政治が国民を守るのが大きな政府であり理想の政治」と考えているように見えます
三橋貴明さんなどは、大きな政府主義者というよりも、「現実主義者」というべきかもしれません
「民間が経済を動かせないのなら政府が動かすしかない、政府は最後の買い手なのだ」という、現実的な主張をされているのを聞きました
それ自体はすべて間違っているとは思わないのですが、彼には重要なことが理解できていないように私には思えるのです
現代の民主主義においては、実は「政府は国民の意識レベルに比例するレベルにしかならない」という現実です。。。ここが理解できない
国民の意識が高くならないのに、政治のレベルだけが崇高になる。。。なんて事は起こりえないわけです
私が何を言いたいかと言いますとね。。。「国民に資本主義の精神が根付いてこそ、政治の理想が実現する」ということなのです
本当は「政府が何をすべきか?」ではなくて、「国を立て直すために国民はどうあるべきか?」ということが問われなくてはならないのです
三橋さんは「経世済民」という言葉をよく引用し、世を治め民を済度(救う事)することが政治の理想だと言います
しかしながら、政治制度だけをいくらいじっても、実は、本当の意味で世を救い民を救うことはできないのです。。。
ここが根本的に理解できていないところだと思うんですね。。。現代の日本では「政府のバラマキによる資本主義の精神の崩壊」が起きています
だから、いくら政府が最後の買い手で経済を動かそうとしても、「国民が政府からの援助を求める”おもらいさん”」では、経済は発展しないのです
私がお勧めしたい大川隆法総裁の書籍に「人の温もりの経済学」という書籍があります
この書籍の前書きに「政治とは自由の創設であって自由の死滅ではない」という言葉があります
この言葉は私の胸に突き刺さる深い言葉なのですが、大川隆法総裁がご自分で述べられているように、哲学者ハンナ・アーレントの言葉です
アーレントはナチスやスターリンを深く客観的に研究し、結論として、「全体主義は、国民が自らの意思で政府に飼いならされることから始まる」
ということを喝破しています
具体的には、アメとムチを使い分け、国民に何かを与える約束する代わりに、何かの代償を払わせていき
それを「仕方ない」と国民に納得させ、徐々に自由を奪っていくわけです
いまの日本で言えば、国民へのバラマキや教育無償化や子育て支援などのアメを与える代わりに
消費増税や社会保険料の大幅値上げなどを「仕方ないよね」と、国民が納得するように、マスコミなどを使って洗脳するわけです
しかし考えてみれば、国民が本当に子育て支援を求めているのか?それは疑問です。。。それより、消費減税やガソリン税減税の方が
余程国民の意思に適っているように私には見えるのです
要するにこの場合の「自由の創設」とは、押し付けられた政府の思い付き支援ではなく「国民自らが自由に使えるお金を増やすこと」なわけです
また「人の温もりの経済学」では、コロナパンデミック下で、「政府の号令によって国民が自粛生活に入る」という、全体主義の訓練が行われている
と指摘されています
ちなみに、いま世界ではWHOによる「パンデミック条約」なるものに、相当な批判や反論が出ているわけですが
残念ながらわが日本では、WHOによって、「超法規的な全体主義に日本人が従わさせされるかもしれない」ということを
マスコミも政治家も、ほとんど言いませんし、議論もまったくされないままです。。。いったいどれほど飼いならされるとこうなるのか?
そのうち、現代の日本人は、「全体主義国家のサンプル」として、後世の人に研究される対象となるかもしれませんね
政治の理想に本当に必要なのは、実は「信仰に基づく国民の倫理観、そして精神性」なのだと、私は信じて疑いません
正しい信仰心のもとに積みあがる精神性こそ、日本の未来を拓くカギとなるはずです
最後に、幸福実現党言論チャンネルの動画をご紹介いたします
それではまた
そういう方は、比較的にケインズ系の「大きな政府」を志向し、「政治が国民を守るのが大きな政府であり理想の政治」と考えているように見えます
三橋貴明さんなどは、大きな政府主義者というよりも、「現実主義者」というべきかもしれません
「民間が経済を動かせないのなら政府が動かすしかない、政府は最後の買い手なのだ」という、現実的な主張をされているのを聞きました
それ自体はすべて間違っているとは思わないのですが、彼には重要なことが理解できていないように私には思えるのです
現代の民主主義においては、実は「政府は国民の意識レベルに比例するレベルにしかならない」という現実です。。。ここが理解できない
国民の意識が高くならないのに、政治のレベルだけが崇高になる。。。なんて事は起こりえないわけです
私が何を言いたいかと言いますとね。。。「国民に資本主義の精神が根付いてこそ、政治の理想が実現する」ということなのです
本当は「政府が何をすべきか?」ではなくて、「国を立て直すために国民はどうあるべきか?」ということが問われなくてはならないのです
三橋さんは「経世済民」という言葉をよく引用し、世を治め民を済度(救う事)することが政治の理想だと言います
しかしながら、政治制度だけをいくらいじっても、実は、本当の意味で世を救い民を救うことはできないのです。。。
ここが根本的に理解できていないところだと思うんですね。。。現代の日本では「政府のバラマキによる資本主義の精神の崩壊」が起きています
だから、いくら政府が最後の買い手で経済を動かそうとしても、「国民が政府からの援助を求める”おもらいさん”」では、経済は発展しないのです
私がお勧めしたい大川隆法総裁の書籍に「人の温もりの経済学」という書籍があります
この書籍の前書きに「政治とは自由の創設であって自由の死滅ではない」という言葉があります
この言葉は私の胸に突き刺さる深い言葉なのですが、大川隆法総裁がご自分で述べられているように、哲学者ハンナ・アーレントの言葉です
アーレントはナチスやスターリンを深く客観的に研究し、結論として、「全体主義は、国民が自らの意思で政府に飼いならされることから始まる」
ということを喝破しています
具体的には、アメとムチを使い分け、国民に何かを与える約束する代わりに、何かの代償を払わせていき
それを「仕方ない」と国民に納得させ、徐々に自由を奪っていくわけです
いまの日本で言えば、国民へのバラマキや教育無償化や子育て支援などのアメを与える代わりに
消費増税や社会保険料の大幅値上げなどを「仕方ないよね」と、国民が納得するように、マスコミなどを使って洗脳するわけです
しかし考えてみれば、国民が本当に子育て支援を求めているのか?それは疑問です。。。それより、消費減税やガソリン税減税の方が
余程国民の意思に適っているように私には見えるのです
要するにこの場合の「自由の創設」とは、押し付けられた政府の思い付き支援ではなく「国民自らが自由に使えるお金を増やすこと」なわけです
また「人の温もりの経済学」では、コロナパンデミック下で、「政府の号令によって国民が自粛生活に入る」という、全体主義の訓練が行われている
と指摘されています
ちなみに、いま世界ではWHOによる「パンデミック条約」なるものに、相当な批判や反論が出ているわけですが
残念ながらわが日本では、WHOによって、「超法規的な全体主義に日本人が従わさせされるかもしれない」ということを
マスコミも政治家も、ほとんど言いませんし、議論もまったくされないままです。。。いったいどれほど飼いならされるとこうなるのか?
そのうち、現代の日本人は、「全体主義国家のサンプル」として、後世の人に研究される対象となるかもしれませんね
政治の理想に本当に必要なのは、実は「信仰に基づく国民の倫理観、そして精神性」なのだと、私は信じて疑いません
正しい信仰心のもとに積みあがる精神性こそ、日本の未来を拓くカギとなるはずです
最後に、幸福実現党言論チャンネルの動画をご紹介いたします
それではまた
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