お金のルーツについては諸説あるものの、近代貨幣制度の原型にあたるものは、一体なんなのでしょうか?
その答えは、中世ヨーロッパに見ることができます
中世においては、ギルドと呼ばれる様々な職人、商売人の組合のようなものがあり
新参者やよそ者を排除したり、価格を統制したりしていました
ギルドは国王などから商売における権限を与えられ、社会的なシステムを構築していたと言われています
日本にはあまり見られない欧米人の傾向として、シェアを独占し、価格統制によって値段を釣り上げようとする傾向がありますが
その傾向性も、もしかするとギルド制度の名残りなのかもしれません
宋の時代の中国にも紙幣はあったらしいのですが、こちらの方は中央集権的で権力集中のための道具としての色彩が強く
やや近代貨幣のモデルとしては毛色が違うように見えます
どうやら近代貨幣制度のモデルは、欧米における金細工職人たちのギルドによって作られたものであるらしいのです
最初、中世ヨーロッパでは、お金として金が使われていました
しかし、金属貨幣は重く、加工の必要があり、実用性は今一つであったのですね
そこで金細工職人たちが目をつけたのが「金の保管」を商売にするということです
彼らは金細工を生業にしていたことから、沢山の金を預かり、顧客の必要に応じて加工していたはずです
そのうち、重くて持ち運びが不便で物騒だということで、商売人たちが金を預かってくれる保管庫を探していたと思われます
そういうことで金細工師たちは金を安全な保管庫で預かっていましたが、その際に預り証を発行しておりました
その預り証が、おそらくは近代紙幣の原型だと考えられます
商売人たちは重くて不便な金の代わりに預り証を交換することで、支払いに代え始めました
おそらくは、預り証の単位を重さごとに細かく分類して、今の紙幣のように使われていたのではないかと思いますね
近代でも、ブレトンウッズ協定によって、アメリカのドルが兌換紙幣として金との交換を制度化し基軸通貨となりましたが
それも、この中世における金預り証が金との交換を約束された証書であったことと発想を同じくしているものです
紙幣の価値の裏付けが、金との交換にあったということですね
中世の金細工職人達は、こうして金の預り証を発行するようになったのですが、ここで彼らは新しく商売を考え出しました
預かった金を引き出す人はほとんどいない、ほとんどの人が預り証の受け渡しで「支払い」に代えている、という現実を見て
新しい商売を考え出しました
それが、預かった金を貸し出して金利を取るという商売です
預かったものを貸し出して金利を取る、それは今の銀行の原型に当たりますね
そして、頭のいい彼らは、もう一段儲かる商売を考え出しました
それが、「存在しない金を貸し出す」という、当時としては間違いない詐欺行為です
彼らはそれを、借用証書と引き換えに預り証を貸し出すことで、その詐欺行為を可能にしました
結局、金を引き出しに来る人はほとんどいないので、預かった金に関係なく預り証を発行しても、誰も気がつかなかったわけです
この発想が実は、今の銀行の「信用創造」の発想の根底にあると思われます
今、民間銀行は自社金庫にお金があるかどうかに縛られることなく、お金を貸し出すことができます
ただパソコンで金額を通帳に書き込むだけで相手にお金を貸し出すのです
これは「無いお金を貸す」というもので、ギルドが行った預り証詐欺と発想はまったく同じです
しかしながら、このようにレバレッジを効かせた貸し出しによって、市場にお金が爆発的に回り始め
近代の産業革命などが加速していったこともまた事実なのです
近代の発展もまた、部分準備制度による信用創造にその原点があったのですね
産業が発展していくときには、それに伴って貨幣の量が飛躍的に増える必要があります
資本の需要が増えれば増えるほど、お金の量は増えていかなければ発展は止まります
産業が発達するときに、デフレ状態はありえないのですね
こういった発展の原点を考えることによって、今の日本に必要なものが見えてくるのではないでしょうか?
今の日本に必要なのは、政府によって食べさせてもらうような、ぶら下がり型の日本人じゃないと私は思います
資本主義精神を持って努力する日本人と、それを支える資金、資本
これに尽きるのではないでしょうか?
その答えは、中世ヨーロッパに見ることができます
中世においては、ギルドと呼ばれる様々な職人、商売人の組合のようなものがあり
新参者やよそ者を排除したり、価格を統制したりしていました
ギルドは国王などから商売における権限を与えられ、社会的なシステムを構築していたと言われています
日本にはあまり見られない欧米人の傾向として、シェアを独占し、価格統制によって値段を釣り上げようとする傾向がありますが
その傾向性も、もしかするとギルド制度の名残りなのかもしれません
宋の時代の中国にも紙幣はあったらしいのですが、こちらの方は中央集権的で権力集中のための道具としての色彩が強く
やや近代貨幣のモデルとしては毛色が違うように見えます
どうやら近代貨幣制度のモデルは、欧米における金細工職人たちのギルドによって作られたものであるらしいのです
最初、中世ヨーロッパでは、お金として金が使われていました
しかし、金属貨幣は重く、加工の必要があり、実用性は今一つであったのですね
そこで金細工職人たちが目をつけたのが「金の保管」を商売にするということです
彼らは金細工を生業にしていたことから、沢山の金を預かり、顧客の必要に応じて加工していたはずです
そのうち、重くて持ち運びが不便で物騒だということで、商売人たちが金を預かってくれる保管庫を探していたと思われます
そういうことで金細工師たちは金を安全な保管庫で預かっていましたが、その際に預り証を発行しておりました
その預り証が、おそらくは近代紙幣の原型だと考えられます
商売人たちは重くて不便な金の代わりに預り証を交換することで、支払いに代え始めました
おそらくは、預り証の単位を重さごとに細かく分類して、今の紙幣のように使われていたのではないかと思いますね
近代でも、ブレトンウッズ協定によって、アメリカのドルが兌換紙幣として金との交換を制度化し基軸通貨となりましたが
それも、この中世における金預り証が金との交換を約束された証書であったことと発想を同じくしているものです
紙幣の価値の裏付けが、金との交換にあったということですね
中世の金細工職人達は、こうして金の預り証を発行するようになったのですが、ここで彼らは新しく商売を考え出しました
預かった金を引き出す人はほとんどいない、ほとんどの人が預り証の受け渡しで「支払い」に代えている、という現実を見て
新しい商売を考え出しました
それが、預かった金を貸し出して金利を取るという商売です
預かったものを貸し出して金利を取る、それは今の銀行の原型に当たりますね
そして、頭のいい彼らは、もう一段儲かる商売を考え出しました
それが、「存在しない金を貸し出す」という、当時としては間違いない詐欺行為です
彼らはそれを、借用証書と引き換えに預り証を貸し出すことで、その詐欺行為を可能にしました
結局、金を引き出しに来る人はほとんどいないので、預かった金に関係なく預り証を発行しても、誰も気がつかなかったわけです
この発想が実は、今の銀行の「信用創造」の発想の根底にあると思われます
今、民間銀行は自社金庫にお金があるかどうかに縛られることなく、お金を貸し出すことができます
ただパソコンで金額を通帳に書き込むだけで相手にお金を貸し出すのです
これは「無いお金を貸す」というもので、ギルドが行った預り証詐欺と発想はまったく同じです
しかしながら、このようにレバレッジを効かせた貸し出しによって、市場にお金が爆発的に回り始め
近代の産業革命などが加速していったこともまた事実なのです
近代の発展もまた、部分準備制度による信用創造にその原点があったのですね
産業が発展していくときには、それに伴って貨幣の量が飛躍的に増える必要があります
資本の需要が増えれば増えるほど、お金の量は増えていかなければ発展は止まります
産業が発達するときに、デフレ状態はありえないのですね
こういった発展の原点を考えることによって、今の日本に必要なものが見えてくるのではないでしょうか?
今の日本に必要なのは、政府によって食べさせてもらうような、ぶら下がり型の日本人じゃないと私は思います
資本主義精神を持って努力する日本人と、それを支える資金、資本
これに尽きるのではないでしょうか?
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