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ポラニーを読む。。。資本主義の精神を尊重しない投機の自由はハゲタカの餌場の自由になる

2022-05-25 02:05:21 | 政治
前回からの続きです
(新訳版)大転換を読んでいるのですが、あまりにも大著過ぎて、簡単に読破できるレベルのものでもないため
まずは要約された序文から見ています
序文を書いているのは、ジョセフ・E・スティグリッツさんという、ノーベル経済学賞受賞のコロンビア大学の経済学者で
この方はIMF(国際通貨基金)の政策を厳しく批判しながらも、ノーベル経済学賞を受賞したという、異色の方です
普通、こうした国際機関に対して鋭い批判を加えた方は、※ノーベル経済学賞を受賞できないと言われていますが
それにもかかわらず、珍しいことに、この方もハイエク同様、ノーベル経済学賞の受賞者です

※ノーベル経済学賞とは、正式なノーベル賞ではなく、金融業(銀行)が授与するスウェーデン国立銀行賞のことである

この方の序文は、現代に即して書かれているため、非常に理解しやすく、上手くまとまっていて、私にはとてもありがたいものでした
そしてこの序文を読むことで、ピーター・ドラッカーがポラニーの思想に共感できないながらも、その書籍の発刊に多大な協力をした
その気持ちが分かる気がしました

ピーター・ドラッカーという超有名な経営学者は、「現代の経営」という著書でも知られている「マネジメント」の大家ですが
この「マネジメント」とは何かというと、一言で言えば、「会社を大きくするための方法論」ということです
ドラッカーの主眼は、天才の経営者を作ることではなく、凡人を数多く優秀な中間管理職に育て上げることで会社を発展させ
経済を発展させる道を教えていたと言えます

これは、私が前回の日記で書いた、「政治学の要諦は植物の育成者が植物を育てるのに似ている」
これを経営学の分野で行っていると言えると思います
そして、私が以前から主張している通り、資本主義の精神とは「積小為大」つまり、「小さな資本金を集めて起業し、大きく育てる」
という二宮尊徳型の資本主義の精神とも合致するものなのです

西洋における資本主義の精神は、マックス・ウェーバーの著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に記されている通り
世俗内禁欲、つまり
「真のキリスト者は教会の中にいるだけではなく、一般世間の中にいながら自分の欲望のためにお金を使うことなく、倹約してお金を貯蓄し、それを事業に投資して大きな事業に育て、社会に貢献することは神の御心に適う」
というプロテスタント(カルバン派)の信仰から生まれた勤勉の精神です
積小為大と勤勉の精神、この二つが資本主義の精神として、日本と西洋の両方に共通するものです

ここでポラニーが批判した新自由主義について考察しましょう
スティグリッツさんの序文の一節にはこうあります、一部引用します
「彼(ポラニー)は、市場経済それ自体を最終目的とは考えず。もっと基本的な目的のための手段であると考えた。民営化、自由化、そしてマクロ経済の安定化さえもが改革の目標として扱われる場合が多すぎるのだ。」
要するに、ポラニーは、新自由主義経済学が「別の目的を実現するための道具」として使われていると主張しているわけです

では、別の目的とは何でしょうか?
それが、平たく言えば、「国際金融資本(ディープステート)による、資本の独占」ということになります
確かに、ノーベル経済学賞そのものが、国際金融資本によって設立された銀行賞なので、彼らの戦略に利用された、というわけです
ミルトン・フリードマンやハイエクもその受賞者ということで、今日、新自由主義経済学者として批判を受けているわけです
「その罪に加担した」と
マーガレット・サッチャーも、同じく「サッチャリズムは間違い」、との批判を受けています

しかし、私はフリードマンは正直どうでもいいが、ハイエクとサッチャーについては異論があります
なぜか。。。二人は、その思想の根本的なところにおいて、「資本主義の精神を尊重していたか?そうでないのか?」
という判定基準に照らし合わせて見る必要があるからです
ハイエク教授は、実は、日本の保守言論界の重鎮、故渡部昇一先生と深い接点があります
渡部先生は若い頃、ハイエク教授の薫陶を受けていたことがあります
そして、その思想的影響を大きく受けていました。。。それは渡部昇一先生の著書を読むとよくわかります

あまり長くなるといけないので、ほどほどにしておきますが
ポラニーではなく、現在、新自由主義批判を繰り返している人に言いたいのですが
ハイエクとサッチャーを新自由主義者としてひとくくりにして批判するのはいかがなものかと私は思います
ハイエクを丁寧に読み込めば、それが「ハゲタカによる資本の買い占め」を意図して書かれたものではないことは分かるはずです
ハゲタカによる資本の独占の問題は、ハイエクやサッチャーの問題というよりも、実はグローバリズムの問題なのです
グローバリストによるルールの押し付けが、新自由主義の色彩を帯びているがゆえに、批判を受けていると言えます

逆に、小さな政府を理想とするトランプ政権はどうだったでしょうか?
彼はアメリカに資本主義の精神を取り戻すために、規制改革に取り組みました。。。これは形を変えた新自由主義です
でも、彼は反グローバリストでした
本来の新自由主義は、「育成者が植物を育てるのに似ている」ということを思い出してください
自国産業を育てるために、資本主義精神を損なうような規制改革をすることもまた、大切なことなのだと私は思います
お金を配れば自国産業が育つわけではありません、真の資本主義の精神を取り戻すことこそ、自国産業育成の道です

今日はその辺のところを結論としておきましょう、それではまた


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