先日、ある動画のコメント欄に
「この国の政治はもはや終末を迎えていると思います。この国は一度壊れて、どん底から再出発することが望ましいと思います」
というコメントをしたところ、その私の意見に共感した方は1名だけだったのですが
コメントには反響がありまして、なにやら、「まだ参政党がいますよ」というコメントを頂きました
まあ共感できない理由は分かります。。。この国が壊れてもいいなんて、諦めているとしか思えないでしょうしね
ですが、私の真意は決してこの国を諦めているわけじゃないんですよね
そして、コメントにあるように、参政党さんに期待を寄せているわけでもありません
失礼な話ですが、残念ながら参政党さんには、この国の改革は土台無理な話であろうと、率直にそう感じるからです
その理由は、決して参政党さんが駄目だから、というのではないのですよ
その理由はね、この国の根本的な国民の意識改革を経ずして、この国を改革させることは無理だろうと思うからです
参政党さんには、思想的なバックボーンが足りないんですよね。。。これが根本的な理由です
思想的バックボーンとは、もっとはっきり言えば、宗教的価値観です
「なぜこの地球は存在しているのか?地球の使命とは何であるのか?」
「なぜ、この地球には様々な人種が共存しているのか?」
「戦争ばかりのこの地上において、もし神がいるのならば、なぜ神は沈黙しているのか?」
「本当の世界観とは?」
こうしたことの答えが、実は宗教的価値観であり、思想的バックボーンであるわけです
ヨラム・ハゾニーという方の「ナショナリズムの美徳」という本、保守の方なら読まれた方は多かろうと思います
この本は、「ナショナリズムがなぜ正しいと言えるのか?」について語った本なのですが
これを読んだ保守の方々にも、根本的な理解の浅さがあるのではないか、と私は思うわけです
その底の浅さ、理解の浅さは何であるかというと、「日本の保守は、基本的に信仰を理解していない」という事からくる底の浅さなのです
著者のヨラム・ハゾニー氏はユダヤ人ですが、彼は自分でも語っている通り、敬虔な、典型的ユダヤ教徒です
「トランプ外交にも影響を与えた」と副題にありますが、トランプ氏も、ノーマン・ビンセント・ピール牧師に薫陶を受けた、敬虔なクリスチャンです
2人とも、宗教的価値観をしっかりと持っていて、それを大切にしているのです
そしてね。。。ここが分かっていない人が多いのですが、敬虔な宗教者は「自分の上に神がいる」ということを当然に受け入れているわけです
また、「ナショナリズムの美徳」がトランプ外交に影響を与えた。。。というわけではなく、私はむしろ
トランプ氏がもともと持っていた考え方と、「ナショナリズムの美徳」に書かれていた哲学的思想が、非常に近いものであった
だからトランプ氏はハゾニー氏に共感して、その外交方針を採用していった、というのが真相であろうと思います
そして、短い言葉で書かれた「モーゼの十戒」は、神から人間に下ろされた「神との契約(約束)」であったわけですが
実は、人間社会の「法の根源」を遡っていくと、「モーゼの十戒」に行きつくわけです
十戒の中には「殺すなかれ」「盗むなかれ」「他人の財物をむさぼるなかれ」「姦淫するなかれ」「嘘をつくなかれ」といった
現在の法律の根源に当たるものがあるわけです、そしてそれは当然のことながら、キリスト教の新訳聖書の中にも似たような教えがあり
仏教にも、釈迦の教えとして「不殺生(殺すなかれ)」「不偸盗(盗むなかれ)」「不邪淫(姦淫するなかれ)」「不妄語((嘘をつくなかれ)」
という五戒の教えがあるわけです
そして、ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教、すべて天国、地獄、(キリスト教では煉獄もある)といった、死後の世界観があります
どのように生きれば天国に帰り、どのような生き方をすると地獄へ行くことになるのか、そのガイダンスがあるわけです
この「死後の世界観」を、この世の学問で教えてくれるものは、ソクラテスの哲学のようなものを除いて、宗教の他にはないわけです
こうした、人間の道徳の基にある宗教的世界観を失ったがために世が乱れた。。。。世の乱れは「宗教的価値観の喪失」から起きているわけです
ですから、私が「この国は一度崩壊して、どん底から再出発すべし」と言っているのは
「艱難汝を玉にす」の言葉もあるように、試練があってはじめて、人は大切なことを思い出すのではないか?生まれ変わるのではないか?
と思うからです
私は、この世の栄華がすべて善であるとは思わないんですよね
神がこの地球を創り、人間を創り、人間社会を創ったのは、「栄華を極める事」が目的なのではなく
「経験を通して、人間(魂)を成長させること、育てる事」
これが本当の目的だと思うのですよ。。。人間社会の栄華は、これは「過程の一つ」にしか過ぎないわけです
だって、魂は永遠であり、人間は転生輪廻を繰り返し心を磨いている存在だからです
人間社会がどれほど豊かなように見えても、実際その社会が歪んで人間の心が退化していったとしたら。。。
それは本来神がこの地球や人間を創造した目的とは違うわけです
いま、日本は小手先の政治ショーでどうにかなる国ではないと思います
もうそろそろ、国としての背骨。。。思想的バックボーンを持った強い国に生まれ変わること
そのためには一時的な試練も甘んじて受ける。。。この覚悟が、私たちに問われていると思います
「この国の政治はもはや終末を迎えていると思います。この国は一度壊れて、どん底から再出発することが望ましいと思います」
というコメントをしたところ、その私の意見に共感した方は1名だけだったのですが
コメントには反響がありまして、なにやら、「まだ参政党がいますよ」というコメントを頂きました
まあ共感できない理由は分かります。。。この国が壊れてもいいなんて、諦めているとしか思えないでしょうしね
ですが、私の真意は決してこの国を諦めているわけじゃないんですよね
そして、コメントにあるように、参政党さんに期待を寄せているわけでもありません
失礼な話ですが、残念ながら参政党さんには、この国の改革は土台無理な話であろうと、率直にそう感じるからです
その理由は、決して参政党さんが駄目だから、というのではないのですよ
その理由はね、この国の根本的な国民の意識改革を経ずして、この国を改革させることは無理だろうと思うからです
参政党さんには、思想的なバックボーンが足りないんですよね。。。これが根本的な理由です
思想的バックボーンとは、もっとはっきり言えば、宗教的価値観です
「なぜこの地球は存在しているのか?地球の使命とは何であるのか?」
「なぜ、この地球には様々な人種が共存しているのか?」
「戦争ばかりのこの地上において、もし神がいるのならば、なぜ神は沈黙しているのか?」
「本当の世界観とは?」
こうしたことの答えが、実は宗教的価値観であり、思想的バックボーンであるわけです
ヨラム・ハゾニーという方の「ナショナリズムの美徳」という本、保守の方なら読まれた方は多かろうと思います
この本は、「ナショナリズムがなぜ正しいと言えるのか?」について語った本なのですが
これを読んだ保守の方々にも、根本的な理解の浅さがあるのではないか、と私は思うわけです
その底の浅さ、理解の浅さは何であるかというと、「日本の保守は、基本的に信仰を理解していない」という事からくる底の浅さなのです
著者のヨラム・ハゾニー氏はユダヤ人ですが、彼は自分でも語っている通り、敬虔な、典型的ユダヤ教徒です
「トランプ外交にも影響を与えた」と副題にありますが、トランプ氏も、ノーマン・ビンセント・ピール牧師に薫陶を受けた、敬虔なクリスチャンです
2人とも、宗教的価値観をしっかりと持っていて、それを大切にしているのです
そしてね。。。ここが分かっていない人が多いのですが、敬虔な宗教者は「自分の上に神がいる」ということを当然に受け入れているわけです
また、「ナショナリズムの美徳」がトランプ外交に影響を与えた。。。というわけではなく、私はむしろ
トランプ氏がもともと持っていた考え方と、「ナショナリズムの美徳」に書かれていた哲学的思想が、非常に近いものであった
だからトランプ氏はハゾニー氏に共感して、その外交方針を採用していった、というのが真相であろうと思います
そして、短い言葉で書かれた「モーゼの十戒」は、神から人間に下ろされた「神との契約(約束)」であったわけですが
実は、人間社会の「法の根源」を遡っていくと、「モーゼの十戒」に行きつくわけです
十戒の中には「殺すなかれ」「盗むなかれ」「他人の財物をむさぼるなかれ」「姦淫するなかれ」「嘘をつくなかれ」といった
現在の法律の根源に当たるものがあるわけです、そしてそれは当然のことながら、キリスト教の新訳聖書の中にも似たような教えがあり
仏教にも、釈迦の教えとして「不殺生(殺すなかれ)」「不偸盗(盗むなかれ)」「不邪淫(姦淫するなかれ)」「不妄語((嘘をつくなかれ)」
という五戒の教えがあるわけです
そして、ユダヤ教、キリスト教、仏教、イスラム教、すべて天国、地獄、(キリスト教では煉獄もある)といった、死後の世界観があります
どのように生きれば天国に帰り、どのような生き方をすると地獄へ行くことになるのか、そのガイダンスがあるわけです
この「死後の世界観」を、この世の学問で教えてくれるものは、ソクラテスの哲学のようなものを除いて、宗教の他にはないわけです
こうした、人間の道徳の基にある宗教的世界観を失ったがために世が乱れた。。。。世の乱れは「宗教的価値観の喪失」から起きているわけです
ですから、私が「この国は一度崩壊して、どん底から再出発すべし」と言っているのは
「艱難汝を玉にす」の言葉もあるように、試練があってはじめて、人は大切なことを思い出すのではないか?生まれ変わるのではないか?
と思うからです
私は、この世の栄華がすべて善であるとは思わないんですよね
神がこの地球を創り、人間を創り、人間社会を創ったのは、「栄華を極める事」が目的なのではなく
「経験を通して、人間(魂)を成長させること、育てる事」
これが本当の目的だと思うのですよ。。。人間社会の栄華は、これは「過程の一つ」にしか過ぎないわけです
だって、魂は永遠であり、人間は転生輪廻を繰り返し心を磨いている存在だからです
人間社会がどれほど豊かなように見えても、実際その社会が歪んで人間の心が退化していったとしたら。。。
それは本来神がこの地球や人間を創造した目的とは違うわけです
いま、日本は小手先の政治ショーでどうにかなる国ではないと思います
もうそろそろ、国としての背骨。。。思想的バックボーンを持った強い国に生まれ変わること
そのためには一時的な試練も甘んじて受ける。。。この覚悟が、私たちに問われていると思います
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