トラウマ映画
なかなかのトラウマ映画ですね。。
オトナとしてもこれは、、あの、、
今後はある程度の覚悟をして生きていかないとな、と思いました。。
「この時オトナたちは何をしてたんだっ!」って何回も思うんですけど
僕もいいオトナなんでね。。
自分で自分の首を〆るという。。
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平手友梨奈と長濱ねるしか知らない状態で観ました。
欅坂って言うといろんな意味ですごいグループだな、って程度の認識です。
泣いた泣いた。。
何回泣いたかわかんないし、実際ボロっと涙が落ちましたよ。
残酷描写もすごいんですが、、
泣いたのはそこではなく
主人公が途中でいなくなるんですね。
主人公がいなくなったときに
今まで「バックダンサー」(自分で言ってる)だった彼女らが
「ここは私がっ!」みたいな感じでバッと前に出て華やかにパフォーマンスする姿が泣ける。。
それをファンも「うおおおおおおお!」って応援する。
このときの声はやっぱ「うおおお!」がいいですね。
黄色い歓声「キャー!」では意図が伝わらない。
「マジか(涙)!やってくれるじゃねえか(涙)!その根性、買うぜ(涙)!」っていう気持ちのこもった「うおおお!」
高橋栄樹監督
高橋栄樹監督がAKBのドキュメンタリー映画を
「戦争映画のつもりで作った」的なことを言っていましたが、
今作はミステリー映画のようでした。
ミステリー映画
まず冒頭で一人死にます。
(死にませんよ。死にませんよ。死にませんよ。死にませんよ。死にませんよ。死にませんよ。もちろん死にませんよ。全然死なないんです。)
冒頭で主人公が倒れるんです。
なぜこのコは倒れてしまったのか、
それを時間を遡って観ていくのです。
こういう形式のミステリー映画ありますね。
パッと名前出てきませんけど。。
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で、時間は遡りまして、デビュー直後の彼女らを映します。
残酷。。。。。。。。。。。。
後にぶっ倒れることになるその子が、、
『時をかける少女』の原田知世ばりに純真無垢な顔をしているのです。
笑顔なのです。
こんなにも自然に喋って自然に笑っていたこのコが、、、数年経つとあんなことになってしまうのか。。。
もうこの時点で泣きそう。。
10代後半だもん
欅坂46は
青春の暗部をグロテスクに表現した歌が多くて、
主役のコ、
まぁ平手友梨奈なんですけど、
平手友梨奈がその世界にどんどん飲まれていってしまう。。
デビュー曲の『サイレントマジョリティ』でのグループとしての成功体験もあったし
たぶん個人としても「わたしの得意なこと、これだ」という自信もあったかと思います。
ファンでなくても圧倒されるような楽曲が次々と作られて
その度に平手友梨奈はどんどん追い込まれていく
っていうか追い込んでいく
それが自分の役目のはず…
でもわたしが頑張れば頑張るほど他のメンバーが目立たないこの状況は何…、
という悩みも出てくる
10代後半だもん
普通に生きてたって人生の淵をギリギリ歩いちゃうこともあるのに
この感受性の強さでこの境遇は過酷。。
***
で、まぁ倒れちゃうわけです。
主人公がいなくなるのです。
主人公はいなくてもコンサートはやらなきゃいけない。グループだから。
で、
「よっしゃ!わたしが主人公になるチャンス到来!」って思うのは
おじさん世代なんですね。。
びっくりですよ、最近のコ。。。
主人公の席は空席のままでやろうとするんですよ。
(時間がないってのもありますけど)
センターは平手しかいない
「センターは平手しかいない」
「この曲を表現できるのは平手だけ」
「センターが平手だからわたしはバックダンサーでいられた。他の人の後ろでは踊れない」
的な考えが埋め込まれちゃっている。
結果的には全然センター張れる実力も華もあるメンバーが出てくるわけなんだけど
この時にはそれに気づいていないから
どうやったらいいのかわかんなくなってる。
だって10代後半だもん。。
この時オトナたちは何をしてたんだっ!
さすがに私センターやるわ!
で、たびたび平手が休演することが増えてきて
「さすがに私センターやるわ!」ってな感じで
バーンと飛び出るコが現れてくる。
この瞬間が泣けるのさ。。
「やらなきゃ!」だし「やりたい!」って気持ちもそりゃあるだろうし。
後ろのメンバーには「は?」って思われるかもしれないし
一部のファンから叩かれるかもしれないけど
やっちゃえ私っ!っていうその姿が泣ける。。
で、次々とそうやって花開いていくわけです。
オトナでもそうですけど
ポジションが人を作るってのもあるんで
センターに立って一人だけスポット浴びたら
その人の内側の光が漏れ出てきますよね。
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で、そうやって今まで「バックダンサー」だった彼女らが
一人一人輝き出す中で、
フッと平手が帰ってくるんです。
で、センターに立ってパフォーマンスをすると、、、
もうこれ以上残酷なことがありますでしょうか。。。。。
蹴散らかしちゃうんですよね。。
その前に輝いていたコたちを。。
もうもうもう個性の強さが段違いなので、、、
両者ともかわいそう。。
こうやって他のメンバーを蹴散らかしてしまう平手もかわいそう。。
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なんかゴジラを見てるようでした
もはや神なのか、
神とは逆の存在なのかわかんないんだけど
平手は
生と死の両方を司って(しまって)いる存在のよう。
物凄いレベルでの生を謳歌しつつも
同時に殺されてもいる、という。。
アベンジャーズ
平手以外のメンバーはアベンジャーズのように見えました。
サノスを前にしたアベンジャーズたち。。
全員スーパーパワーを持っているヒーローなのに
なぜかサノスを前にすると
一般の地球人に見えちゃう感。
(ヒーローはそうじゃないと親近感持ってもらえないからね)
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』あたりの、
「一回全員集まってちゃんと話し合ってください!」って言いたくなる感じ。
『インフィニティ・ウォー』なんかもうほんとに
みんな同じ場所にいるんだけどバラバラに戦ってるから、
人数が多いという利点を使えていなかった。
一回みんなで集まって前もって相談して
「じゃ俺が先殴るわ、でもたぶん避けられるから」
「そしたら私ビーム出すわ、たぶん当たる」
「当たったとこで僕が蹴るわ」
「その間にアタシは…」みたいな感じで話し合って、意見をまとめといてくれればスムーズに解決できたと思うんだけど、
(ま、そんな映画見たくないけどね。。)
欅坂アベンジャーズたちもなんか、、、
強大な力を前にそれぞれバラバラなまま戦ってしまっていたんだなと思いました。
この時オトナたちは何をしてたんだっ!
「大人の責任は?」
高橋栄樹監督、この映画の中でこう問いかけます。
「大人の責任は?」
上記のような残酷劇場は演目としてはそりゃ興奮しますよ。
多くの人の心を捉えるし
これがスイッチとなって輝き出すコドモたちがいるのもわかる。
だけど、今回は、、、、、、マジでギリギリでしたよね。。。。
平手がステージから落ちて怪我しただけでまだ済んだからよかったものの、、、
その事故だけではなくて
取り返しのつかない事態だって引き起こしかねない状況を作り出していたのが
オトナたちなので。。。
残酷状態を作り出した。放置した。改善できなかった。大人の責任は???
と。
映画の中では
この問いに対してあるオトナが回答するんですけど
僕は全然腑に落ちなかったし
言った本人も腑に落ちてない様子でした。
その全てをそのまま映画で流す高橋栄樹監督の天然の問題意識が面白い。
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「櫻坂46」
「櫻坂46」に改名しましたね。
観ますよ、そりゃ。
ゴジラを失ったアベンジャーズが何をしていくのか気になるもん。
「見続けるのが大人の責任。点じゃなく線で。」
でも、一回観せられてしまったら、もう線で観続けなきゃいけないの????
点で観て「うわーすごーい」って楽しむのは無責任ってことになっちゃうの????
「アイドル」ってのはそんなに面倒くさい、、観る側にも負荷をかけるようなエンターテインメントになっちゃったの???
それは間違ってんじゃないの???