今日は、神戸にとっては忘れられない震災のあった日である。
あの日から14年。
神戸では、各地で追悼イベントが行われているが、
私は、今はまだ行けない。
自分の許容量をはるかに超えることが、色々あって、
今もまだ整理されていない。
カウンセリングでも、この件は避けたいと申し出て、今まで
話したことがない。
個人的には、忘れたいという気持ちと、ほっておいて欲しい気持ちが交錯し、
それでいて、震災を忘れてはいけないと言う気持ちもあって、
なんとも言えず複雑なのだ。
で、朝は中心地を避けるように、須磨の多井畑へ行ってきた。
写真は、こちらで・・・・。
昼からは、同級生を追ったドキュメンタリー映画を鑑賞。
久しぶりに、降りた新長田駅近所は、再開発が進み、
震災当時のあの光景は想像できないほどに変わっていた。
映画は、DANCING WITH LIVESと言うタイトル。
彼女は、震災当時、NYに住んでいたのだが、震災で、両親と弟の
家族すべてを失っってしまったのだ。
映画の後、監督がどうしてこの映像を作ったのかお話をしてくださった。
監督と彼女の出会いは、それ以前に遡り、ルームシェアをしてくれる人を
募集したところ、彼女が連絡してきたらしい。
で、NYというところで会ったにも関わらず、生まれ育った所が
歩いて20分もかからないことに、お互いびっくりして、
すぐに決めたのがはじまりだったという。
そうして、震災があったとき、監督は何も知らなかったらしい。
彼女から、神戸でなにか大変なことが起こったみたいだけど
何か知らないか?という連絡で初めて震災があったことを知ったのだそうだ。
すぐに領事館に行き、1キロにわたって家が燃えているとか、という
外電の束をみて、即帰国を決意したのだが、監督の家族とは連絡が
ついて、家族から今は帰ってくるなといわれたらしい。
でも、彼女の家族とは連絡がつかないので、監督は自分の家族を
その住所地に行って調べてくれと頼んで、自分の家族から戻ってきた情報を
彼女に言えずに、「とにかく、日本に帰れ!!」ということで帰国を
促した。
そして、彼女はとても辛い現実を突きつけられた。
神戸で色々あった彼女は、NYで初めての舞台へ向けての練習中で
公演に間に合うようにNYに戻ってきた彼女の姿をみたとき、悲しいとか
そういった人間の感情がないのを感じたことと、
マスコミが流す情報に疑問を感じて、カメラを向けるようになったらしい。
その後の、彼女はマンハッタンで暮らしながら、日本にいるより
(NYにいると自分と家族が離れているのが当たり前のことだったので)
NYがいいと、語っていた。
でも、NYのテロを経験した彼女とご主人は、飛行機が低く飛んでいるだけで
不安になった・・・。
今は、週末を子供と一緒に郊外で過ごしているらしい。
私は、その撮影を受け入れた同級生がとても強く感じられて、羨ましかった。
そして、彼女が映像の中で語った「人生は厳しい」という言葉と、
彼女のお母様が、言葉や態度で示した人生に対する考え方を彼女が
そのまま実行しているように思えて泣けてしまった。
最後に、ご主人が子供に「思うようにいかないこともある」
と語っている言葉に深い意味を感じた。
いい作品なので、チャンスがあれば見ていただきたいです。
あの日から14年。
神戸では、各地で追悼イベントが行われているが、
私は、今はまだ行けない。
自分の許容量をはるかに超えることが、色々あって、
今もまだ整理されていない。
カウンセリングでも、この件は避けたいと申し出て、今まで
話したことがない。
個人的には、忘れたいという気持ちと、ほっておいて欲しい気持ちが交錯し、
それでいて、震災を忘れてはいけないと言う気持ちもあって、
なんとも言えず複雑なのだ。
で、朝は中心地を避けるように、須磨の多井畑へ行ってきた。
写真は、こちらで・・・・。
昼からは、同級生を追ったドキュメンタリー映画を鑑賞。
久しぶりに、降りた新長田駅近所は、再開発が進み、
震災当時のあの光景は想像できないほどに変わっていた。
映画は、DANCING WITH LIVESと言うタイトル。
彼女は、震災当時、NYに住んでいたのだが、震災で、両親と弟の
家族すべてを失っってしまったのだ。
映画の後、監督がどうしてこの映像を作ったのかお話をしてくださった。
監督と彼女の出会いは、それ以前に遡り、ルームシェアをしてくれる人を
募集したところ、彼女が連絡してきたらしい。
で、NYというところで会ったにも関わらず、生まれ育った所が
歩いて20分もかからないことに、お互いびっくりして、
すぐに決めたのがはじまりだったという。
そうして、震災があったとき、監督は何も知らなかったらしい。
彼女から、神戸でなにか大変なことが起こったみたいだけど
何か知らないか?という連絡で初めて震災があったことを知ったのだそうだ。
すぐに領事館に行き、1キロにわたって家が燃えているとか、という
外電の束をみて、即帰国を決意したのだが、監督の家族とは連絡が
ついて、家族から今は帰ってくるなといわれたらしい。
でも、彼女の家族とは連絡がつかないので、監督は自分の家族を
その住所地に行って調べてくれと頼んで、自分の家族から戻ってきた情報を
彼女に言えずに、「とにかく、日本に帰れ!!」ということで帰国を
促した。
そして、彼女はとても辛い現実を突きつけられた。
神戸で色々あった彼女は、NYで初めての舞台へ向けての練習中で
公演に間に合うようにNYに戻ってきた彼女の姿をみたとき、悲しいとか
そういった人間の感情がないのを感じたことと、
マスコミが流す情報に疑問を感じて、カメラを向けるようになったらしい。
その後の、彼女はマンハッタンで暮らしながら、日本にいるより
(NYにいると自分と家族が離れているのが当たり前のことだったので)
NYがいいと、語っていた。
でも、NYのテロを経験した彼女とご主人は、飛行機が低く飛んでいるだけで
不安になった・・・。
今は、週末を子供と一緒に郊外で過ごしているらしい。
私は、その撮影を受け入れた同級生がとても強く感じられて、羨ましかった。
そして、彼女が映像の中で語った「人生は厳しい」という言葉と、
彼女のお母様が、言葉や態度で示した人生に対する考え方を彼女が
そのまま実行しているように思えて泣けてしまった。
最後に、ご主人が子供に「思うようにいかないこともある」
と語っている言葉に深い意味を感じた。
いい作品なので、チャンスがあれば見ていただきたいです。