この前、「ホテルコンシェルジュ」というドラマを見ていたら
主人公がプロポーズを予定しているお客様のために、
せっせと薔薇の花びらをむしって準備しているシーンがあった。
そこに、仕事を終えたであろう掃除やリネン係のおばさんたちも参加して
一緒に主人公を手伝う、という流れだった。
主人公「みなさん、ありがとうございます・・・こんな遅くまで」
おばさん「いいのよ~私達も、プロポーズの行方が気になるしぃ」
みたいな会話が交わされていた。
私はこのシーンを見て溜息をついた。
善意で、時間外の仕事を手伝ってくれる人、
実際には皆無だと思う。
(特にパートタイマーで)
せいぜい「あら大変ね。お疲れ~」と声をかけて
立ち去っていくのが関の山だろう。
別に、このドラマに難癖をつけたい訳ではない。
逆に、この手のドラマを見過ぎたせいで、
私は、人の善意というものに、
過大な期待を抱くようになってしまったのではないかと思った。
「困っている人がいたら協力する」
「強い者が弱い者を守る」
「ぶっきらぼうに見えても、ハートは温かい」
こういう前向きなメッセージが、
繰り返し、繰り返し、巷には流されているのに
その原則を無視して行動する人たちがむしろ多数なのは
どうしてなんだろう?
世の中が世知辛いから、
こういう前向きなメッセージを流す必要があるのだろうか?
お疲れ気味のおばさんは
色々と考えてしまったのでした。
主人公がプロポーズを予定しているお客様のために、
せっせと薔薇の花びらをむしって準備しているシーンがあった。
そこに、仕事を終えたであろう掃除やリネン係のおばさんたちも参加して
一緒に主人公を手伝う、という流れだった。
主人公「みなさん、ありがとうございます・・・こんな遅くまで」
おばさん「いいのよ~私達も、プロポーズの行方が気になるしぃ」
みたいな会話が交わされていた。
私はこのシーンを見て溜息をついた。
善意で、時間外の仕事を手伝ってくれる人、
実際には皆無だと思う。
(特にパートタイマーで)
せいぜい「あら大変ね。お疲れ~」と声をかけて
立ち去っていくのが関の山だろう。
別に、このドラマに難癖をつけたい訳ではない。
逆に、この手のドラマを見過ぎたせいで、
私は、人の善意というものに、
過大な期待を抱くようになってしまったのではないかと思った。
「困っている人がいたら協力する」
「強い者が弱い者を守る」
「ぶっきらぼうに見えても、ハートは温かい」
こういう前向きなメッセージが、
繰り返し、繰り返し、巷には流されているのに
その原則を無視して行動する人たちがむしろ多数なのは
どうしてなんだろう?
世の中が世知辛いから、
こういう前向きなメッセージを流す必要があるのだろうか?
お疲れ気味のおばさんは
色々と考えてしまったのでした。