久しぶりに写真クラブの写真展の話題。
知人が所属しているし、案内のはがきも届いたので、
第9回五期会写真展~存在・being~(於 新潟市民プラザ6F市民ギャラリー)を見てきた。
この写真展、なかなか格調が高いというか、テーマが奥深い。
(五期会写真展企画書より)
「普通のもの・注目されないもの・意味のないもの」と関わる自分の存在そのものが終生のテーマとなった写真家アーロン・シスキンド」に習い、さしたる意味を持たない一見撮影に値しないと思える対象にレンズむけることで・・・・
アーロン・シスキンドという写真家のことは、初めて知った。
展示されている作品、一見撮影に値しない、ティッシュボックスとか選挙用ポスターの掲示板とか・・・
こういった写真展は、写真のワークショップのようでおもしろそうだ。
けっこう年配の人が多いと思うが、こうした試みを大まじめでやっているところがすごいと思う。
知人が所属しているし、案内のはがきも届いたので、
第9回五期会写真展~存在・being~(於 新潟市民プラザ6F市民ギャラリー)を見てきた。
この写真展、なかなか格調が高いというか、テーマが奥深い。
(五期会写真展企画書より)
「普通のもの・注目されないもの・意味のないもの」と関わる自分の存在そのものが終生のテーマとなった写真家アーロン・シスキンド」に習い、さしたる意味を持たない一見撮影に値しないと思える対象にレンズむけることで・・・・
アーロン・シスキンドという写真家のことは、初めて知った。
展示されている作品、一見撮影に値しない、ティッシュボックスとか選挙用ポスターの掲示板とか・・・
こういった写真展は、写真のワークショップのようでおもしろそうだ。
けっこう年配の人が多いと思うが、こうした試みを大まじめでやっているところがすごいと思う。
多丸さんがご覧になった「ティッシュボックスとか選挙用ポスターの掲示板」は、宝石のように輝いていたでしょうか?
別にそれは宝石のように美しい必要はなくて、そこから何かイメージが広がる ― 写真の外側へ気持ちが膨らんでいくような ― そんな写真だったら、それは成功していると思います。
石ころを宝石にかえるのは、なかなか難しいようです。キャプションを見れば、思いはつたわるのですが