インターラーケンオストから再び列車に乗ってチューリッヒに向かった。発車して直ぐ右側に湖が見えてきた。これはブリエンツ湖という。湖に沿って北東方向に列車は進んでいった。スイスは湖の多い国のようだった。幾つかの湖を過ぎてしばらくするとルツエルン駅に停車した。ルツエルンは夜景が美しいというが今は昼間なので残念であった。また高名な交響楽団のある町だ。ルツエルン交響楽団の演奏したレコードを何枚も持っている。本当は下車して夜景を見たかったのだが、ミュンヘンまでの時間が少なくなってきたので通過することにした。夕方チューリッヒ駅に着いた。早速駅のインフォーメイションに行きホテルの予約をした。インフォメーションの年配の女性は私の条件を聞いて「あまり勧められないがあなたの条件を満たすホテルはここしか無い」とチューリッヒ湖北端から川になるところの一軒のホテルを紹介してくれた。そこへ歩いて行こうと駅を出ると2人の日本人の若い方がうろうろしていた。旅行者ではなさそうだったのでホテルへの行き方を聞いたところ時間があるので一緒に行きましょうと行って荷物を持ってくれた。目的地に近づくと川端にある柳の葉を風にゆだねているような風雅のあるところであった。ホテルへ着くと1階は何か飲み屋のようだった二階への階段を上がっていくと踊り場のような所に机に向かって本を読んでいる学生風の男がいた。彼にここが受付かと聞くとそうだという。3泊したいのでよろしくというと前金だというので宿泊代を払って、いわれた部屋へ行った。そこは5階の屋根裏部屋でベットが幾つもおいてあった。と言うことはここは日本風にいう布団部屋ということなのかもしれないと思った。荷物を置いて下へ降り若い方と食事に行った。
食事をしながら話を聞くと2人はそれぞれ別のホテルの調理場で働いているという。日本のホテル協会からスイスのホテルで調理の修行をするようにと派遣されてきた。しかし調理場では毎日毎日ジャガイモの皮むきしかやらせて貰えないという。自分たちも日本では一応調理場で料理を作っているというのに。もう止めたくなってきたのだそうであった。食事を済ませて帰り道、明日は休暇を取ってチューリッヒを案内してくれるというので大丈夫かと聞いたが、問題ありませんというのでお願いした。ホテルの近くに来ると川端に植えてある柳の木の下にどぎつく化粧をし、着飾った女性が沢山いた。興味深そうに私の方を見たが仲間で話し合って無視した。アメリカ映画に出てくるシーンと似ているなと思った。そう、彼女たちは娼婦であのホテルは彼女たちが商売をするところだったのだと気がついた。これは変なところに宿泊することにしてしまったと思い受付の男性に今夜1泊だけにして後はキャンセルしたいというと、ジロッと私を見て「シュア」と言って2泊分の宿泊代を返してくれた。宿泊代を返してくれないと思っていたが案外正直なのかなと思った。翌朝荷物を持って1階へ降りると昨日の2人が待っていてくれた。事情を話すと、一人の方が私のホテルへ来て下さい親戚と言うことにして安くして貰えると思います。と言うので申し出を受けることにした。彼の働いているホテルは昨晩泊まった所とは雲泥の差であった。初めからこのようなホテルを頼めばよかったと思った。
荷物を預けて町中にでると日本企業の看板がやたらと目についた。スイスの人はこれらの企業はスイスの会社だと思っていると言うことだった。まあ全員がそうとは思っていないのだろうが。2人のお陰でチューリッヒがよい想い出になった。感謝、感謝。お二人には「石の上にも三年」と言うことがあります。だから頑張ってください、と言葉を残してオーストリアのウィーンへ向かう。