去る4月末日に街のホールで女流プロ8段の方とアマチュア本因坊の原田実さんが我が町の囲碁愛好家の人たちに、指導碁を打って下さった。女流プロの方は8面打ち、原田さんは5面打ちで行われた。女流プロの方の指導碁は、2時間という時間内では終局まで行き着かなかった。しかし、一言ずつ感想を述べ、手直しをして、ここがこうなので黒が厚いようですねといってほめて下さった。
他方、原田さんの指導碁は、2人の6段の方が3子、4段の方は5子、2段の方は7子そして初段の方は8子で行われた。勝敗は指導碁なので云々いうつもりはないが、原田さんの全勝であった。
原田さんにはこんな逸話が伝えられている。もう半世紀以上も前の話である。大学の囲碁部の部室には、いつも貧相に見える学生が昔の碁打ちの棋譜を並べていたという。新学期になると街の碁会所で囲碁に夢中になっていた新入生が囲碁部に入部したいと訪ねてきてきた。
原田さんは、どのくらい打つのですかと聞く。新入生は、町の碁会所では自分に勝てる人はいないし強い5段と自負していたので、5段ですと少しへりくだって答えた。すると原田さんは、新入生に井目(9子)おいて下さいといった。新入生は、この人は何だろうと思いながらも、盤上に井目の黒石をおいて対戦が始まった。しばらく打っているうちに新入生の旗色が悪くなってきた。そしてついに負かされてしまったという。このような話しは一人や二人ではなく、入部を望む新入生には全員井目おいてもらって棋力テストを行ったという。そして全局原田さんの勝ちに終わったという。しかし、次からは、5子で打ちましょうとか4子でいきましょうといったという。当時の新入生は、卒業時期には原田さんに2子で打てるようになった者もいた。
原田さんが在学中の囲碁部は、大学囲碁リーグ戦で常に一部の上位にあったという。一部リーグには、東大、慶大、早大、日大など強豪大学がひしめいていた。
その後の原田さんの活躍は、アマチュア名人戦、十傑戦、本因坊戦などで優勝を次々に勝ち取っていった。当時のアマチュアでは、菊地さん、村上さんなどというつねに上記アマチュア戦に出場して優勝を分け合った人たちがいた。
原田さんは、大学卒業後は製作所へ入社し、仕事をしながらの各期戦に出場していた。しかし会社の仕事の都合が付かない場合は、欠場するということだった。仕事を休んでまで出場することは決してなかったという。そこがまた、原田さんの魅力なのかもしれない。
原田さんは、東海道線沿線湘南に住まわれているので、我が町の囲碁愛好会へ来ていただき、指導碁を打っていただきたいと思う。
原田さん、末筆になってしまいましたが、お体にはくれぐれもお気をつけていつまでも囲碁を教えていただきますようお願いします。