梅の便りを書いたすぐ後で霙(ミゾレ)が降り始め、気温が低くなったと思ったら外は雪に変わっていました。カーポートの屋根がうっすらと白くなっていました。庭を見ると芝生の上も雪化粧をしていました。しかし道路は濡れているだけでした。
筆者の住んでいる町は少し遠くの背後は丹沢山塊が壁を作っており、前方は相模湾が広がっている。そのために気候温暖な町となっている。
この冬、霜が降りたのは1回だけでしたし、前述のごとく降雪を見たのは今日が初めてでした。しかし、もう春はすぐそこまでやってきているのを感じる今日この頃です。
春の気配は、自然の中にいろいろ感じるものです。近くの林の中に小鳥たちが啼く練習をしていたり、木々の枝にある新芽が少しずつ膨らみはじめ、空の見える空間が狭くなってくるのが分かります。
カラスも雌にアッピールする鳴き声も聞こえてきました。猫の鳴き声はまだのようです。
このように自然は毎日少しずつ変わっていることを身体全体で感じることのできる環境に住むことができたのは大変な幸運でした。
このような町に住んでみたいと思いませんか。町中を歩いていると空き家、空き地がそして県公社の集合住宅の空室が目立ちます。
2013年2月15日午前9時20分(日本時間午後0時20分)頃、ロシアの南部地域に隕石が落下して大きな被害が出たと報じた。NASAの推定によると、その隕石の大きさは直径15メートル重さ7000トンほどという。その隕石が、空中で爆発し破片が飛散して大きな被害をだしたと報じられた。この大きさの隕石が地球表面に直接落下したらどれほどの被害になったか計り知れない。また、その爆発の様子や軌跡が画像として記録されていたことにはこの後の研究資料として貴重なものになるに違いない。
話は変わるが、筆者が若い頃1972年8月初め(正確な記録を失念してしまった)小笠原諸島父島小湊海岸で海水の日変化を観測していた。小湊海岸は西に向いて湾になっており、南側と北側に数十メートルの小高い小山がある。その日、真夜中の22時頃空が少しずつ明るくなってきた。その明るさは太陽や月の明るさとは違うたき火を見るような明るさであった。学生たちと何だろうかと空を見ていると、赤い明るさがだんだん強くなり空が夕焼けのようになってきた。しばらくすると北側の小山の上からメラメラと燃えている大きな物体が現れてきた。それはコークスの巨大な塊が火を噴いて燃えているように見えた。筆者はテントにカメラを取りに戻ったが、そんなときに限ってすぐ見つからず写真を撮ることができなかった。大火球は頭上を燃えながら南の小山の陰に消えていった。その明るさは地上に筆者らの陰をくっきり残した。周囲は赤く見えるほどであった。筆者は大火球が海に落下したら大津波が発生し学生たちの生命に関わると判断し、小山に登ることを考えた。しかし、あの大きさの物体が海に落ちたらあの小山の高さではどうしようもないだろうと考え、小山に登ることを止めた。筆者にとっては大きな出来事であったのだが、学生たちにはそうでもなかったらしいことが分かり年齢の違いが分かった一コマでもあった。
その調査旅行には卒業研究生全員が参加し、さらに他の学生も数人いたのだが、そのうちの1人が故郷の宮崎県職員の1次採用試験に合格し、父島に着いた翌日東京への船で戻りすぐ故郷に帰った。その彼も同じ火球を見たといっていた。同じ大火球を小笠原と宮崎県とで見えたということがありうるのだろうかと思った。両所の距離を考えるとかなりの高度を飛んでいたということになり、その高度でもコークスのようにメラメラと燃えるほどの酸素が存在するのだろうかと疑問があった。
あの大火球の大きさは、どのくらいであったのだろうか。小湊海岸の両側の小山の距離は約400メートルであろう。その間を不正確だが約10秒間ほどで通過した。これらのデータから大火球の大きさと速度、飛んでいた高度が推測可能であろうか。記録によると1972年8月10日カナダとアメリカで観測された火球は、3~14メートルと推定された。それと比較すると筆者らの見た大火球は巨大なものであったと推測される。現実に残る記録がないのが非常に残念である。
最近の報道によると、2020年の大会ではレスリング種目が削除される可能性があるという。レスリングは本来基本種目の一つであるといわれている。それを変更して削除する方向で検討されているという。その理由は何であろうか。ここで考えられる過去の問題が思い出される。
その第1は、日本のバレーボールチームが東京オリンピックで優勝し、その後の世界選手権などでも連戦連勝の勢いで一躍東洋の魔女という別名が付けられるようになった。数年後、バレーボールの規則を変えるということになった。それで一時日本のバレーボールは優勝から遠ざかることになった。これは個人的な僻みかも知れないがなぜか日本の破竹の勢いをそぐ方便に奔ったと思えた。
第2は、札幌オリンピック冬季大会で日本のジャンプチームが1,2,3位を独占する快挙をあげた。その後も世界選手権でもジャンプ陣は上位入賞を果たしてきた。その後、スキー競技特にジャンプ競技の規則を変更した。その結果日本のスキージャンプチームは上位入賞ができなくなった。
第3は、柔道競技である。日本のお家芸でもある柔道は、近年不振を囲っているがこれも規則の変更が原因になっているような気がする。日本の柔道界では、無名の選手が突然芽を出してくることがある。それほど底辺が広いということである。しかし、規則の変更によって無名の新人が出場することは困難になってしまった。それはランキング制度を導入したために何年間かをいろいろな大会で実力を出し、世界ランキング入りを果たさなければオリンピックに出場することができなくなってしまった。
その他にもこのような規則変更があったかも知れない。
そして今度のレスリング競技の問題である。レスリング競技でも日本選手の活躍がめざましい。それでレスリングをオリンピック競技から外そうというのかも知れない。レスリング競技は、そもそもの時代から行われてきた競技であるというのに!?
これらの話は筆者の単なる僻みに基づく想像なのかも知れない。しかし多くの疑念を抱かせる事も事実である。オリンピック憲章というものが厳然としてあるはずなのに、それを何かの意図を持って変更することに対して戸惑いを感ずるとともに怒りも生じてくるのはどうしようもない。
社会の情勢がめまぐるしく変わっている。アルジェリアで日本人技術者を巻き込むテロ事件があったばかりだというのに、今度は尖閣諸島付近で中国艦艇が海上自衛隊の護衛艦等に火器管制レーダーの照射をしたという。尖閣諸島付近での中国の牽制は少しずつエスカレートしているようである。このような行動が原因で世界的な混乱状態を引き起こすことが過去にあった。そのようなことになる前に話し合いの場で(外交ルート)でしっかりしたことを話し合うようにしたらどうかと思う。武力を以て威圧的な行動に出るのは20世紀の時代に戻ることになる。将来の世界は一つの国という平和世界に向けて武力行動をお互いに規制するべきではないかと思う。
2月3日(日)に隣のH市の囲碁クラブとの対抗戦が行われた。段級別の4人ひと組でA、B,C,D4組の対抗戦であった。全部で64戦戦って、結果は32勝32敗の引き分けになった。この対抗戦は冬夏の2回行われるが、過去1~2年は当町が幾分分が悪かった。この大会では個人の成績優良者(4戦全勝)に賞品が出る。今回はH市側に4人、当町から1人の全勝者が出た。幸運にも筆者がその1人になった。今年は、1月に町長杯争奪大会があり、3勝1敗の成績になったが、受賞の対象にはならなかった。何はともあれ、今年は良い成績を上げることができたので表題のような気分になったということである。