いま、2011年12月31日22時28分。あと1時間30分ほどで新しい年を迎えることになる。今年一年を振り返るといろんなことがあった。筆者の4分の3世紀を生きてきた中でも、もっとも印象に残る年の中に入る。プレート移動の話を授業で学生達に毎年話してきた。インドネシアでの大地震と大津波が報道されたときの映像をみせながら、被害の様子や避難方法などを話してきた。日本で発生する確率は結構高いことも話してきた。それが本当に発生してしまった。津波の映像のすごさに地震の災害情報はなかなか報じられなかった。
そのうちに東海原子力発電所の異常が報道されるようになった.これは大変なことになったと思った。大変申し訳ないことだが、筆者は直ぐに気象庁のサイトにアクセスして現地近辺の風向きなどを調べた。初めは南東方向の風が吹いていたのに、やがて逆向きに変化した。そして水素爆発が発生した。このために、放射性物質が広範囲に拡散することになった。その後の報道は何か場当たり的なものが多く明確な情報は伝えられなかった。そして毎日各地の放射線量が報道されるようになった。
さらに各地で放射線量を測定されることになったお陰で知らずに生活していた居住地付近で見知らぬ放射性物質が発見される問いこともあった。
放射線量の報道には、疑問になることもあったが、間接的に2時被害、3時被害が発生した。風聞被害を取り消すことは大変な時間と労力を必要とする。
巨大地震の影響は、関東地方でも様々な現象を発生させた。かって新潟大地震でも発生した液状化現象である。新潟地震の際は、集合住宅が傾斜してしまった。その原因が液状化現象によるものであるとの報道された。同様な現象が震源域から離れた千葉県などで多発した。
新しい造成地では、造成後早い時期にその土地に家を建てると降雨によって同じことが発生するという。そこで思い出すのが、道路を作るときに盛り土をしてしばらく放置することがしばしばあるということである。もちろん予算の関係で放置されているということもあるだろう。が、多くは自然に盛り土が落ち着くのを待っているということである。
液状化現象の力は途方もないことがあり、5階建て30戸連続の集合住宅が転倒するほどである。個人住宅ではいろいろな症状が出て居住困難になることも多いという。このような被害に遭われた方にはお見舞い申し上げる。
そして台風、今年上陸した台風は数は少ないが、大きな被害を残していった。あちこちで発生した水害と屋根など家屋に被害を直接もたらした風害である。我が家も台風15号の風害を受けて屋根が飛んでしまった。居住地の風害は広範囲に及び修理に時間がかかるという現象が発生した。我が家は町内の建築業者に依頼したので2週間ほどで修理してもらったが、2ヶ月も放っておかれた家もある。
それにつけても政府の被害状況把握の悪さと対応の遅さにはあきれてしまう。また東電の対応も何とも不思議な感じがする。さらに元首相という方々のトンチンカンな発言にはあきれてしまう。
この国の将来はどうなってしまうのだろうか。我が国の財政は、1000兆円の借金の上にさらに借金を重ねる政策をとる。不足分は国民の税金を増やすことで補おうとする。それは理由が明確になれば納得もするが、議員や公務員の総数を減らすなどして国民に借金を減少させるという姿勢が全く見られないことが最大の将来不安の原因である。
国民は、今年はいろんな意味で困難な1年間であった。だけど来年は希望の持てる年にしたいと願って新しい年を迎えようと努力を惜しまない決断をしていると思う。
最後に政界の平和と人類の港北のお祈りして本年最後のブログを終わる。読んで下さった方々に感謝するとともに来年も読んでいただきたいと希望する。