世の中のことは、フトしたことから(あるいは意図的にかもしれないが)思わぬ方向へ進んでしまうことがある。例えば、よかれと思ってやったことが、逆にその行為を責められることになったりすることがままある。
ある私立女子大学で、A教員という女性の方が学会で発表するための要旨を論文と偽って報告書をまとめた。その結果、それを基に審査した人たちが、そのA教員を名誉教授に推薦して大学で認められてしまった。という話を最近耳にした。ここで、学術論文の定義を云々するつもりはないが、一応、研究成果をしかるべき論文誌に投稿し、審査の結果受理されてその論文誌に掲載されたものを学術論文という。学会によっては、学会で口頭発表するために書いた発表要旨も論文に認めることもあるという話を聞いたことがある。
筆者にはどうでもよいことだが、それを話してくれた方がたは殊の外怒っていた。
名誉教授というのは、ある大学で規則を決めてそれに該当すれば授与するというのが通例である。大方は勤続年数(そのうち教授経験年数が重要であるらしい)何年以上在籍していればよいというのが基本条件のようである。
年数が不足している場合には、学問的に優れた業績を残し、大学の価値を高めるような社会貢献をしたなどという条件も加えられることである。
前出のA教員の場合、どこがいけないのかと聞いたところ、口頭発表要旨を論文として履歴を偽ったということのようである。しかし、前記のように、口頭発表の要旨を論文として認める学会もあるので不問であると考えるが、A教員と同職場にいて共同研究をしたB教員が同じものを要旨と明記していることが問題だという。
何の審査でもそうであるが、一度基準の程度を落としてしまうと、その後はずるずるとそれが前例とされることである。それを改善するのは大変な勇気が必要になる。
問題になっている大学では、いろんなことがあるようで噂話をよく耳にする。例えば、件の大学では教員の定年を60歳と決めている。その後教員の資質によっては70歳まで常勤嘱託として勤務することができる。さらに72歳まで1年契約で2年間の非常勤嘱託を続けることができる。この制度はいろんな意味でよいところが多々ある。
数年前に、C教員が何かの不都合で退職を迫られた際に大学との間で取引があったという。それは、C教員はやめてもいいから名誉教授の称号をくれといい、大学側は名誉教授にするので退職してくれということだったようで合意に達したという。その条件をC教員が呑んで顕著な業績もないまま名誉教授になったという。
この大学では、かってセクハラ事件も発生したが、学生を悪者にして収拾してしまったという話も聞いたことがある。
このように称号を巡っていろいろな取引の材料にするという大学の体質も問題である。
そんな不正行為をしてまでほしいという名誉教授とは何なのだろうか。称号などというものはそれを持つ人の人格を反映するものであって、称号を持っているからといってその人の人格が云々されるものではないということである。称号を持って何か優越感を持つというのであれば、何おかいわんやである。
件の大学は、最近数年の間に5から8件ほどの勤務に関する裁判案件を抱えているという。
その他にも、学内での盗難事件が多発したために、教員室を はじめすべての錠前を交換したという話も聞いた。
女子大学ということで、窃盗事件が発生しても警察への通報もしないということが続いているという。そういう体質もいろんな問題を誘発する原因になっているのかもしれない。
このようなことは他の大学でもあるのかもしれないが、頻繁に不祥事になるような状態が連続して発生するというのは、大学の体質に原因があるのだろう。さらに遡れば、そのような状態に気がつかない経営トップの思考過程あるいは能力が問題なのかもしれない。