寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

大学受験の思い出

2019年01月22日 10時06分47秒 | 寓居人の思い出話
 今年も大学センター試験が無事終了しましたね。大雪が心配されましたが

何とか難を逃れることができたようです。受験生にとってはまだまだ入学試

験が続きますが頑張ってください。私の受験時は国公立大学受験者には五教

科八科目(国語、英語、数学(二科目)、理科(二科目)および社会(二科目

))で入学試験が実施されました。さらに国語の中には現代文、古文、漢文

が入っていました。当時、大学進学適性検査から名称の違う共通試験に移行

されることになり、その準備期間として昭和30年から三年間ほど共通試験は

実施されませんでした。

 時代は移って、現在は私立大学でも共通試験を利用するところが増えてき

ましたね。しかしいろんな方式が大学によって考えられるようになり、大学

独自の方針で共通試験の受験科目を選択することができるようになりました。

そういう方法に関していろんな意見がありますが過渡期としては仕方の無い

ことかもしれませんね。

 大学受験に関してだけで無く、初等中等学校教育のカリキュラムもしょっ

ちゅう変わるのは困ったものですね。国の基本となる教育方針が頻繁に変わ

ることに少なからず危惧の念を持ってしまいます。
 
 国の教育方針が変われば、それに従って教育を実践する立場の方々は、勉

強会を開き議論をしているようです。頻繁にそういう会議を開くと時間をそ

のことにとられ実際の教育に関わる時間が減少していきます。それだけ現場

の教員の負担が増加することになり、極端な場合にはいろいろな弊害が発生

することになるでしょう。立案する事務方はそれでもいいでしょうが、現場

の教員は負担が増え実際の教育に影響が出ることもあるでしょう。

 毎年少々の変更だけで済むような教育方針を確定してほしいと思います。 




記憶に残っている映画(65)「007シリーズのボンド」

2018年01月02日 22時54分19秒 | 寓居人の思い出話

 初めて007シリーズの映画はたくさん見ました。どの作品も娯楽映画としては

おもしろかったですねえ。どの作品を見ても、ボンドが脱出不可能と思われる危

機に遭遇するとメカニックが用意していた特別製の装置や武器が動き出してその

危機から脱出することが出来るのです。

 もちろんスパイとしてのボンドは、過酷な訓練を乗り越えて選別されたその道の

エリートではあるのですが都合がよすぎる嫌いがあります。

 筋立てにもいろいろな無理があるような気がします。しかし日本で公開された20

作品を超える映画は娯楽映画としては面白いに違いありません。屁理屈を抜きにし

てこれからの作品も見たいと思います。

 


記憶に残っている映画(64)「ALWAYS三丁目の夕日」

2017年09月05日 16時11分20秒 | 寓居人の思い出話

 私は子どもも頃はズーッと東京の下町で育った。下町には一種

独特の雰囲気があったと子どもながら理解していたと思う。特に

戦争中は、隣組というのがあった。向こう三軒両隣は特に連携が

よかったと思います。

 この映画「三丁目の夕日」は、敗戦から13年後の昭和33年が

舞台となっています。私が大学3年生になった頃です。その頃、

私は大井町に住んでいました。都心から離れていても下町の風

情は感じられましたね。行き交う人は挨拶を交わし、商店主は

どの店でも素材の加工の仕方(煮物、焼き物の方法など)を教え

てくれましたね。

 映画では、そんな様子がうかがえますね。オート三輪車が街

中を走り、ゴム紐で飛ばす模型飛行機が屋根の上を飛び、たく

さんの子どもがわいわい飛び回っています。当時街中の食堂で

食事をしようと思うと、外食券というものがないと米飯を食べ

ることが出来ませんでした。外食券は、米穀通帳を米屋に持っ

て行き求めることが出来ました。旅行や山登りでも米を持って

行かないと米飯を食べることが出来ませんでした。もちろん別

料金を払えばその限りではありません。しかしそばやラーメン

など麺類は自由に食べることが出来ました。もり・かけそばが

25円、ラーメンが30円の時代でした。

 もう一つ思い出したことがあります。それは駅の横の暗がり

にアセチレンの光の下で詰め将棋や五目並べをやっていました。

たしか、1手打つごとに50円だったと思いました。これには

仕掛けがありまして、客が1手打つと相手も1手打ちます。す

ると2手分の料金を取られます。それに一見易しそうに見える

のですが、これがくせ者です。升田幸三9段が復員してきたと

きにこの詰め将棋をやったそうです。それは56手詰めという

ものでかなり高段と自負している素人にも無理だと言うことを

なにかの本で読んだことがあります。ちなみに、升田9段は

35手で詰める方法を指摘したそうです。私は親の言いつけで

一度もやったことがありません。

 もう一つ思い出しました。駅の前に広い空き地があり、そこ

にバラックがたくさんの気を連ねていました。ある日友人と二

人でそこを通ってみました。まだ明るい時刻なのに、店の女性

が入り口前にでていて学生さん安くしておくから寄っていきな

さいよとあちこちの店から声をかけられました。私たちは怖く

なって早々と逃げ出しました。

 この時代はまだまだいい時代でしたね。この映画は、いろん

なことを思い出させてくれました。

 


記憶に残っている映画(70)「楢山節考」

2017年06月21日 17時14分31秒 | 寓居人の思い出話

 この映画の中には日本の現状を反映して

いることがたくさん語られています。私を

含めて高齢に達した方々は、今の政治姿勢

から楢山節考に思いをはせることでしょう。

所は信州の貧しい山村では70才に達すると

楢山参りにいかなければならない掟になっ

ていた。

 70才に近づくと楢山参りの準備をする。

白い丈夫な歯は、自ら石を持って砕き、体

げんじるほうほうも力を少しずつ減ずるた

めに水断ちをする。それも習わしだった。

楢山参りは、残される達が幸せになること

を願って自ら命を絶つことである。

 今の政治姿勢は高齢者が経済を圧迫し

いるとか若い人たちの負担が大きすぎると

かいって楢山へ行かせようとしているよう

に思えてなりません。

 映画では、自分たちで決めた掟に従う高

齢者でしたが、現在の日本社会では国の為

政者が暗黙の圧力をかけているようです。

 一本の映画が将来の社会を予測すると言

うことは珍しくありませんが、楢山節考は

一見に値するえいがでしたね。もう一度見

たいものです。

 

 

 

 


記憶に残っている映画(69)「日本沈没」

2017年06月03日 22時10分36秒 | 寓居人の思い出話

 小松左京さんといえば、日本の代表的なSF作家の一人です。

「日本沈没」という小説を読んで面白いと思いました。この小

説を映画にするときどんな特撮を使うのかと想像すると期待

が膨らんできました。

 映画の冒頭、三浦半島の別荘に来ていた男女が夜中に海岸

へ出てきて愛情を確かめ合っていたとき、遙か相模湾の対岸

である伊豆半島で火山噴火のような火炎が上がり、呆然とし

てしまいました。

 その数年前に地殻の異変を感じた地球物理学者の田所博士

は、新開著査定に乗り込んで日本海溝の調査をする。異変を

確認した博士は政府関係者に異変を知らせるが相手にされな

かった。その頃箱根に来ていた政府の陰の総理と目される人

物のところへ来客が会った。そこで最近ツバメがいなくなっ

たとか、侘助が咲かなくなったとか自然の異変を話し合う。

陰の総理の決断は早く、重大異変を察知してすぐに対策を内

閣に命ずる。対策が遅々として進まないうちに四国が超大激

震に襲われ、全国に伝播していく。ついにの本が海底に沈ん

でしまう日が来た。その間航空機や船舶が日本人の外国への

避難に精力的に活躍するが、祖国とともに運命をともにする

という人たちも出てきて混乱する。外国へ避難した日本人の

生活は過酷なものであった。

 結末はなんだか中途半端な感じで終わってしまったが、特

撮技術は結構面白かった。

 似たような映画に「ポンペイ最後の日」という映画があっ

たが、規模が限定されていてそれほど深い印象を持てなかっ

た。

 

 


記憶に残っている映画(69)「イルカの日」

2017年05月27日 14時27分15秒 | 寓居人の思い出話

 チンパンジーやゴリラなどの霊長類の研究は、京都大学が

有名ですね。チンパンジーやゴリラを研究対象に選んだのは

両者ともに高い知能を持っていると推測されたからです。

「イルカの日」という映画は、知能の高いイルカに言葉を教

えている研究者とイルカの心の交流の話です。イルカと対等

に会話ができる日を夢見て懸命に言葉を教えている内にイル

カが少しずつ言葉を覚えていき、研究者の言うことを理解で

きるようになると、それを悪事に利用しようとするグループ

が現れます。人間に意思が通じるようになったイルカに大統

領暗殺を命じるという設定で話は進行します。

 知能の高い動物を殺してはいけないという団体がのほんの

イルカ漁を批判したり、捕獲を妨害したりしています。しか

し今の世界では、細工の知能を持っているとされる人間が、

同じ人間を殺していますね。しかも何も悪事に荷担したとい

えない一般人をです。そうかと思うと人を殺すための道具、

つまり武器を開発しそれによって世界を恐怖に陥れている国

もあります。その国をまた利用しようとする国もあるようで

す。人間は世界をどう指定と思っているのでしょうか。使い

切れないほどの富を抱えることも 富を持っている他人を殺

傷してもそれを奪いたい。あるいはすべての国を自分と同じ

考え方の国にしたい。と考えるのですね。無意味だと思わな

いのでしょうか。そういう考え方に拘っていれば、いつかは

破滅のときが来るのは、歴史が証明しています。何故人は、

先人達の失敗を繰り返すのでしょうかね。

 かって、私は若い人たちに人間の世界から争いをなくすこ

とができるかと問うたことがありました。

 人間の愚かな行動をどこで断ち切るかが今後の世界のあり

方を決定する最も重要な問題です。ほとんどの人はその方法

を理解しているはずですが、自分一人では何もできないと感

じてしまうのですね。勇気を出して自分のできる方法で、欲

望渦巻く世界を争いのない世界にしたいものです。

 そのためにイルカの協力を願うのは一つの方法ですね。

 イルカに悲しい鳴き声を上げさせないようにしたいもので

すね。


記憶に残っている映画(68)「阿部一族」

2017年05月24日 09時56分34秒 | 寓居人の思い出話

 映画の内容が史実と異なると行ってああだこうだというのは

どうかと思いますが、「阿部一族」という映画もそういったコ

メントがついて回っていましたね。私はこの映画を見たとき、

主従の関係がこんなにも強いものとは知りませんでした。強い

絆で結ばれた主従の主が亡くなったとき、従の方が主を冥土ま

で守ると言うことがあってもおかしくないと思うこともありま

した。細川忠利の病状が悪化してくると、側近のもの達が主人

に従って準することを願い出た。”生きて新藩主を助けよ、殉死

はならない”という達しが出た。やがて忠利が亡くなったとき、

側近が次々と殉死する中、阿部弥一右衛門は仕事を続けていた。

阿部弥一右衛門は前の主の言いつけにしたがって苦衷の中で生き

ていた。のうのうと生きて殉死しないという非難の声が大きく聞

こえたとき一族を集めてその前で切腹する。それが不忠であると

され、殉死の扱いをされなかった。そして忠利の一周忌法要の席

で断髪する。それを非礼であると逮捕され絞首されてしまう。

 度重なる恥辱に業を煮やした弥五兵衛は、屋敷に立てこもって

半の差し向けた討っ手と壮絶な戦いの結果全員討ち死にしてしま

う。

 藩主の命令は絶対のものである時代に、その命令にしたがった

ものが非難され、武士の意地を見せるとそれがまた理不尽な仕打

ちの対象になる。それが度重なり、悲惨な最期を迎える結果にな

ってしまう。

 こんな事例は現代社会でも起きていますね。会社の命令は絶対

であり、それに従わないと酷い場合には無能呼ばわりされる。処

理しきれないほどの仕事を押しつけられて、寝る間も切り詰めて

仕事をこなさなければならず精神的に追い詰められてしまう。

 政府の指導があってもなかなか改善されない。残業がダメなら

自宅へ持ち帰ってやれという理不尽な無言の命令をされる。

 一千兆円を超える借金を抱え、それでも国民に多大な負担を強

い、外国へは気前のよい援助を行う。国民にとってはこれも理不

尽な要求と考えられますね。日本国民はおとなしいと世界でも評

判のようです。それを笑顔で受け入れますか。

蛇足ですが、

 乃木希典元帥は、明治天皇に殉死したと言われていますね。私

が知っているのは太平洋戦争の敗戦を天皇陛下が国民に告げたと

き、何人かの軍の高官が自決したり、皇居広場で割腹自殺をした

人が多数いたという話です。


記憶に残っている映画「アンドロメダ病原体」(67)

2017年05月18日 00時31分02秒 | 寓居人の思い出話

 宇宙の大きさから見れば我が地球は、昔風なたとえを使う

と、芥子粒のような存在でしか無いですね。その地球に現在

72億人という数の人が生存しています。

 この映画は、そんな地球にある日宇宙から隕石と思われる

物体がアメリカの小さな村に落下しました。そして一夜が明

けると村中の人たちが謎の死体となって発見されました。

 すぐに特別調査班が組織され出動しました。もちろんその

村は存在しないことになり、徹底的な調査が実施されました。

 調査隊は、奇跡的に助かった人を発見しました。それは酔

っ払いと泣き叫ぶ赤子だったのです。その事実について検討

された結果、助かった人は激しく呼吸をしていたことが発見

されました。その人から病原体が採取され、最高密閉装置を

持った研究所へ移されて観察された。病原体はアンドロメダ

と命名されました。アンドロメダ病原体は、不気味に増殖し

ていくのでした。

 そんなとき研究所の一部が故障して病原体が外部へ漏出す

る危険が発生します。それを検知した安全機構がロックされ

る。それは研究所全体を原爆で焼却することを意味します。

 映画の次の段階は、安全機構のロックを解除することです。

その部分はあまり新鮮さが見られませんでしたが、アメリカ

映画らしく、ハッピーエンドになります。

 この映画で私が感心したのは、迅速に現地調査団を派遣す

る組織、体内の酸素濃度と病原体の関係を発見すること、高

度な安全装置を組み込んだ研究所、安全装置に異常が発見さ

れると自動的に外への脱出ができなくなり原爆を使って全体

を焼却するという考え方です。

 日本でレベル4の安全装置を備えた実験室を作ることで住

民との間で軋轢が起きる前にアメリカではこんな映画を作っ

ていたのです。さすがですね。面白い映画でした。


記憶に残っている映画(66)「武士の一分

2017年04月04日 12時24分58秒 | 寓居人の思い出話

 昔の武士というのは窮屈な世界に生きていたんだと思いま

す。例えばどんなに好き合っている男女がいたとしても、身

分の違いはどうにもならないことがあったと言うことでです。

規則には例外が付いていますが、上記の場合も例外があり、

上士の家に婿入りする場合は下士のいえからでも可能だった

ようです。また武士の男と町場の娘が結婚する場合も非常に

困難だったようです。この場合も娘を知り合いの武士の家の

養女にして1,2年後にその武士の娘として嫁がせるという方

便が採られたそうです。

 さて映画の話ですが、殿様の食事の毒味役だった武士が、あ

る種の貝毒の中毒にかかり殿様とその家族を救ったということ

で、殿様直々のお声掛かりで家禄を生涯安定すると言うことを

上士が握りつぶしてしまい、盲目になった毒味役の武士を窮地

に追い込んでしまった。その妻がいろいろ働きかけたがうまく

いかなかった。最後に握りつぶした上士を訪ね。とその上士は

なんとかする代わりに自分の言うことを聞けと持ちかける。夫

を助けたい一心で上士に体を任せてしまうが、そのことが噂話

から夫に分かってしまう。夫は宇t間を離縁してしまうが、上士

の策略であることを知ってしまう。

夫は妻を哀れに思い上士を切る決心をするが、相手は剣術を相当

使うと言われている上に自分は盲目である。それでかっての剣術

師匠に相談すると師匠が一つの必勝技を伝授してくれた。そのお

かげで見事敵を討つことができ咎めなしになった。

 そんなある日の朝食の味噌汁の味がじぇなんの作っていたものと

かわり、懐かしい味になったことで妻が帰ってきたことを知る。夫

は過去の一切を水に流し、再び妻と暮らすようになった。

 主役の夫役を木村拓哉さんが演じた。藤沢周平の小説からにじみ

出る心の動きを上手くこなしていた。この映画は有楽町の映画館で

見たのですが画面が大きく色彩もきれいでした。しかし、音がうる

さいくらいの音量だったのが残念でした。内容からすればもっと押

さえた音にした方がよかったと思いました。


記憶に残っている映画(65)「たそがれ清兵衛」

2017年03月26日 16時28分30秒 | 寓居人の思い出話

 いつの頃からか忘れましたが、藤沢周平さんの作品を読む

機会が増えました。下町の人情話は心温まるものでしたね。

武士の世界を人間味を持って書いた「三屋清左衛門残日録」

など多数の作品があります。そのほとんどを読んだつもりで

す。が、映画になったものを見たのはそれほど多くありませ

ん。

 この「たそがれ清兵衛」は、主役の真田広之その思い人に

なる宮沢りえ、なかなかよかったですね。明治維新前後を舞

台に設定した作品ですが、小説は面白かったですね。それが

映画になり赤貧の家を守り続けた下級武士の清兵衛な母親と

子供たちを必死に育てお城での勤めは下城の太鼓が鳴るとす

ぐ城を跡にして家に戻る。そのあと洗濯、掃除など家事をこ

なす。しかしその裏は戸田流小太刀の達人という姿が隠れて

いるのです。ひた隠しに隠していたその強さが、友人の決闘

の代理人として立ち会って巻きざっ棒で真剣に勝ってしまっ

た。そのために大役を命令されてしまう。それも役目を果た

した後、友人の妹と再婚して幸せな年月は3,4年続いたが、

数年後に発生した戊辰戦争で鉄砲の弾に当たって死んでしま

う。妻となった ともえ は懸命に働いて子供たちを育てて嫁

がせる。 

 評論家の話はさておき宮沢りえさんの演技もかわいさから

成熟した女性になったようでした。この映画の終了間際は忙

しく語られました。もう少し映像を入れた方がよかったと思

いました。