「姿三四郎」という映画は太平洋戦争中の1943年に
黒澤明が監督になって初めて企画し、脚本執筆も黒澤
明が行って撮影された作品です。
私がこの映画を見たのは高校生のころですから、敗
戦で委縮している国民を鼓舞するために作られたと思
っていましたが間違っていました。実際は1943年に封
切され大ヒットしたということでした。
この映画の続編は1945年5月に封切になったというこ
とです。1945年5月といえばアメリカ軍による空襲が
激しくなった最中のことですからよく撮影できたと思い
ました。
この映画に登場する場面で一番印象に残っているのは、
修道館柔道の矢野昭五郎館長が、恋と柔道に煩悶する姿
三四郎を薄暗くなった道場に連れていき酒徳利を片手に
柔道のいろいろな技を見せる場面です。
純真無垢といってもよい三四郎の心に柔道の道を徳利
を使って説く矢野昭五郎の声は天の声ように聞こえたの
かもしれませんねえ。そしてその姿は神の成り代わりと
映ったかもしれません。
片田舎から出てきた青年が柔道に目覚めていく姿を感動
的に描いたこの作品は、富田常雄の同名小説をもとにして
います。
私としたことが、まだこの小説を読んでいませんでした。
探して手に入れたいと思います。
昭和19年11月、ぶわが国は太平洋戦争が最後の決戦
に備えて、壱億玉砕を叫ぶ陸軍をはじめとする軍部の後
援を得て戦争鼓舞を目的にした映画が多数作られた中で
「かくて神風は吹く」という映画が製作されました。
当時、日本はアメリカ軍の本土空襲が激しくなってきま
した。国民は食糧難はじめ物資の不足で不安と恐れの中
で国のために全力で働いていました。いざ本土決戦とな
れば必ず天の神が嵐を吹かせて救ってくださると信じて
いましたね。私の両親や兄姉なども懸命に働いていました。
そんな国民をさらに戦争に駆り立てるようにこの映画が
撮影されたのは言うまでもありませんね。
映画の内容は、もうほとんど忘れていましたが、この文
章を書き始めますといろいろ思い出しました。あらすじは
九州のある村に外国(元寇)の船がやってきて住民を苦し
めだしました。このことは直ちに都に報告され対策がとら
れた。繰り返しやってきては日本を襲撃するようになり侵
略の意図が見えてきたとき、あらしが吹いて敵(元寇)の
船団に大打撃を与えた。都の政治を司っていたものたちは、
天の神が敵に天罰を与えてくれたと宣伝した。元寇側はこ
の時の嵐でほとんどの船を失い再び日本へ来ることはなく
なりました。
この映画は大ヒットしたといわれていますが、それほど
当時の国民は天の援けを願っていたのですね。
この元寇との戦闘で日本は小型の船の舳先にたき火を焚
いて元寇の船に突っ込むという戦法をとった。この戦法は
義経が考え出したものという方もいるようですが、どうで
しょうかね。
「かくて神風は吹く」は大映の有名俳優総出演といった
映画でした。阪妻こと坂東妻三郎が主演、片山明彦、月形
龍之介、羅門光三郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、原健策、薄
田研二、市川歌右衛門など私が若いころ両親と見に行った
時代劇映画の主役になった俳優がたくさん出ていました。
今朝7時ころにウグイスが幼稚な声で鳴いていました。
「ケキョ、ケキョ」そして「チ、チ、チ」と。
自然のちょっとした変化も生活に潤いをくれるのがうれ
しいですね。この2,3年はウグイスが留守にしていて泣
き声が聞こえませんでしたが、戻ってきたようです。
それからガビチョウもひとこえおないているがきこえ
ました。我が家はそんな自然に囲まれたところにありま
すので自然のちょっとした変化も気を付けていいると頬
をなでるように感じられます。
戦国時代の農民の暮らしは、大変苦しかったといわ
れています。自分たちが生きていくのに精一杯なのに
幾ばくかの貯えを夜盗に持っていかれてしまう。そん
な苦しみから抜け出そうと知恵を絞り、なけなしの財
産をもって強そうな浪人を探しにでかっける。
やっとのことで探した人物に村の窮状を訴えて助け
てほしいと懇願する。そうして集まった7人の侍は村
へ行く。村はこの7人によって野武士の襲撃を逃れる
ことができ村は平和になった。あらすじを書いても意
味がないのでやめにします。一見しなければこの映画
のすばらしさはわからないでしょうから。
その間にいろいろなことがあったが目出度しめでた
しという話ですが、私はこの映画で有能な指導者がい
れば少人数でもしっかりした組織を作れば大きな仕事
ができることを知りました。
映画の内容はモノクロ映画でしたが迫力満点でした
ね。モノクロ映像の美しさを改めて知ったのも事実で
す。黒澤明監督の映画撮影は、とことんこだわり観客
を喜ばせる仕掛けを隅々まで張り巡らせていましたね。
この映画の出演者の中で、久蔵役の宮口精二を好きに
なってしまいました。映画ってすばらしいですね。
人がまだ猿人だった時代に不思議な物体が突然現れた。
その物体によって猿人は知能的に発達し始めた。その第一
は道具を使うことを覚えた。そして時代が変わった現在、
人は月に住むようになっていた。そして月でも不思議な物
体が発見された。そして再び人類は飛躍的に発達した。そ
の結果人類は自滅への道を歩き出した。
その物体は依然として謎につつまれたままであった。人類
は木星調査を計画し、実行することになった。そしてデスカ
バリー号で木星を目指す。木星周回軌道に入ると、デスカバ
リー号のコンピューターが暴走する。その後抽象的な映像が
続く。
謎の物体の正体はまだ明らかにされません。明らかになる
のは3000年以後(小説)のことです。
宇宙旅行はもうすぐ現実のことになるでしょう。私が所属
していた団体では月面基地計画を総合的に検討して分厚な冊
子にしました。その中に私の担当した「食料自給システム」、
「健康管理システム」、「医療システム」、「危機管理救援
システム」などが含まれています。これは非売品なので一般
の方の目に留まることはありません。この中の一部はスペイ
ンのマラガで行われた航空宇宙関係の大会で発表しました。
この映画は1949~50年、私が小学校高学年の頃村の
巡回映画で見ました。小学校の分教場の校庭に白い幕を
張り大きなスピーカーを幕の後ろにセットして映写され
ました。
終戦間もないころのことですから、私が住んでいた村
は映画館のある町までは遠かったので映画を見ることは
ありませんでした。この村へ来て初めて見た映画は、役
場近くにあるお寺の境内で上映された「お釈迦様の伝記」
の映画でした。この映画は無声映画でしたので、お寺の
住職さんがお話をしてくれたのです。この映画も記憶に
残っていますが、ここでは書きません。
さて表記の映画は、片岡千恵蔵主演の金田一耕助シリー
ズ第1作目の映画だったのです。映画の内容はもううろ覚
えですがは、ある休暇の家で息子の結婚式が行われること
になったとき、三本指の男と名乗るものから脅迫状が届き
ました。当主は旧知の金田一耕助に相談して事件を防ごう
としたが、結婚式の夜密室と思われる新婚夫婦の部屋で夫
婦が惨殺されてしまいました。その場面は子供に衝撃的過
ぎるということで、映写機のレンズを板で覆ってスクリー
ンには映されませんでした。以前はこのような配慮がされ
ていたのですね。
この映画で感じたことは名探偵と言われる金田一耕助が
なぜ、事件を防げなかったのかということです。せっかく
前以て当主が金田一探偵に相談して準備をしていながら?
ここがずーっと記憶に残っていっます。その後のシリーズ
でも事件が発生するのを防ぐことができないことが多いの
はどうしてなのでしょうか。
当地のスギ花粉飛散は終了したようです。写真左の
丸いものは杉の雌花です。右の写真は小花で、ここか
ら花粉が大量に飛散しました。しかしそれも終了した
ようです。今はヒノキの花粉が飛散しているようです。
私の鼻の感じでは、ヒノキ花粉が飛散しだすと鼻の
中に強い刺激が出ます。某研究所の話によると、今年
のスギ花粉量は毎平方センチメートル当たり約6000
個とか、現在までにほぼ半分が飛散したというのです。
まだ半分残っているかと思うと少し憂鬱になりますね。
しかし数年前から鼻の周辺に少し塗る軟膏様のもの
がよく効いて助かっています。夜は空気清浄機を加湿
付きで動かし大変よく眠ることができ楽になりました。
庭では桃が花を咲かせました。塀外では蕗が大きく
なってきました。
きぎの梢もますますめがおおきくなってきましたね。
もうすぐ葉が出てくるでしょう。春の足音がだんだん
大きく聞こえてきましたね。
囲碁でも他のゲームでも同じことと思いますが、
勝負事は勝たなければ意味がないという方は多いと
思います。しかし逆に勝負事はやることに意義があ
り勝敗は関係ないなどという方もいますね。昔聞い
た話でオリンピックは参加することに意義があり競
技の勝敗には2の次の問題である。とクーベルダン
男爵が言ったとか。真偽のほどは不明です。
私がやっている囲碁でも、大会には参加して上位
入賞できなかったとき同じようなことを言う人がい
ます。大会に参加すると、普段なかなか知り合いに
なることもなく孤独になっていく高齢者にとっては
家族以外の人と話をすることができるのでストレス
の発散になるかもしれませんね。
しかし対戦に熱中して来るとやはり負けたくない
という気持ちが強く出てきます。その結果勝敗数を
記録して、Aさんとはこれこれ、Bさんとはこうこう
等と対戦する前に過去の結果を言い出す人もいます。
いろいろ考えてみますと、勝負事はやはり勝たな
ければいけませんね。囲碁はここはこうしなければ
ならないということはなく、ルールに外れなければ
自分の思ったように打つことができます。それは碁
を打つ経験と書籍や強い人の打ち碁を盤上に置いて
打った石の意味を考えるそしてそれを覚えることに
よって強くなっていくものです。
わが町の囲碁会では4月にプロの方の棋譜解説と
いう勉強会が開かれます。その参考資料として私は
同段の方と昨日対戦し、その棋譜を取りました。こ
の方には最近負けが込んでいましたので、この方の
好みの細かい差になるように打ち進めました。結果
はこの方が慎重になるあまり、私の手筋の着手を見
過ごしてしまい私の大差勝になりました。
ここでこの方に限りませんが敗者の弁です。引掛
けの手にに引っかかってしまった、とか嵌まり手に
かかったなどと言います。このようなことができる
のは相手との力の差が大きいときに可能ですが同等
では難しいのです。力の差が同等の場合は経験と身
に着けた経験を実際に使えるかどうかに勝敗がかか
ってきます。もちろん私も負けた時にはどこがいけ
なかったのかと調べて次回は同じ間違いをしないよ
うにするようにしています。