最近数回、断捨離という言葉を聞いた。一種の仏教用語思っていたが、
どうも異なる意味があるらしい。そこで辞書を調べたが,そういう言葉は
出ていなかった。Netで調べると出ていました。この言葉はすでにご存じ
の方も多いと思いますが、ヨーガの言葉のようですね。
私の年代の方々は、太平洋戦争中、ものが手に入らなくなったので手に
したものは非常に大切に使用したものです。例えば衣類などは同性の兄弟
が多い場合には下の子は大抵お下がりを着たものです。したがって、下の
子は新しい衣類を身につけることがあまりなかったと思います。そんな理
由で物を捨てられない状態にあったわけですね。これが”段”と”離”の考え
方が出てこなかった原因になったようです。
我が家には、今もたくさんの古くて使用しない物がたくさんあります。
例えばお菓子などの箱・缶などですね。何かに使えると言ってとってある
わけです。これが“捨”の対象になるのですね。デフレが激しかった頃、少
しでも良く見せようときれいな箱や缶を作ったのですね。それも捨てられ
ない原因の一つになっています。
さて、私個人でも調べてみるといろんな物が使用されないで大きな段ボ
ール箱に入れてしまってあることを発見しました。それらを整理し始めて
解ったのですが、整理しているうちに懐かしく思う物がたくさん出てくる
のですね。それは別の小さい箱に入れてとっておくという始末なってしま
います。”捨“の心はなかなか実行できないようです。
さて前に書きましたが、書籍は買ってくると電子化することにしました
のでDVD数枚にすべて入れることができましたが、今以てほとんど読ん
でいないことが解りました。ということはこれもまた”捨”の対象になって
いるわけです。ということで“離”の心(執着)になることがいかに困難なこ
とであるかが解りました。来年こそはきちんとせいりしたいとおもってい
ます。
“断捨離”を実行するには精神的な成長?が必要なのかもしれません。