はじめに笑い話を一つ。
「平戸へ行きます」というと、 友人が「何をしに行くのか」と問うた。
「日本の夜明けを見に行く」と答えた。
すると友人は、さらに問うた。
「日本の夜明けは平戸がきれいなのか」と。
「はい。平戸はヨーロッパへ海でつながっていますから」と答えた。
友人は、きょとんとした顔をして黙ってしまった。
他愛もない話であるが、説明が足りないとこうなってしまうことがある。
西洋人が初めて日本に、一時的にしろ定住したのは、平戸であるといわれている。その後いろんな理由で長崎に居留地がもうけられて、貿易を通して西洋文化が伝えられた。
そのときは、はっきり覚えていないが、”田平口”というところから連絡船に乗って、平戸へ渡ったと思う。
現在は、写真のような橋が架かり、便利になった。よく認識できなくて失礼しました。
1550年(天文19年)初めてポルトガル船が来港した。その後数ヶ月して、フランシスコ・ザビエルがきて、キリスト教の布教を始めた。そのため、現在でも信者が多数いるという。この写真の教会は、1931年に鉄筋コンクリートで作られたものだという。
1561年には、ある事件が発生し、ポルトガル船との貿易は、翌年から現在の長崎県西海市横瀬に移された。
日本の文明の夜明けはこうしてはじまった。
しかし、日本の文化の発展に多大の貢献をしたキリスト教は、徳川時代に入ると殉教の道を歩くようになった。
遠藤周作の「沈黙」という小説ににその拷問のすさまじさが書かれている。神を信じる心と個と全体の生命を命題にしているが、私にはこの年になっても、宗教は本当に人間の魂を云々できるのか疑問である。(いつかこの問題にも触れることがあるかもしれない)
平戸藩の設立は松浦鎮信が、徳川家康に認められて、6万3千石を安堵された事にはじまる。
現在は、平戸城および周辺を含めて史跡公園とした。サクラの名所としても有名である。