今回の写真も、約半世紀前の物である。
長崎といえば話題に尽きないが、日本の西洋文化を受け入れた黎明期に多くの日本人に驚きと感動を与えたところである。
旧日本海軍の造船所があり、今もその伝統が続いている。
しかし、太平洋戦争で、広島に次いで人類未曾有の経験も経験することになった。
下の写真の半分破壊された鳥居は、その象徴である。2008年に行ったときの長崎は、この鳥居付近には家が建ち、原爆遺物の柱が道路脇に並べられていた。
原爆記念館の展示物の写真を撮影することが出来なかったが、涙する遺物が多数あった。
原爆を禁止して世界の平和を祈る記念像の前には沢山の人々がいた。
原爆投下による被災者の治療に昼夜を忘れて働いた、永井博士の記念館も是非見学して欲しい。永井博士は最後に自分も白血病に倒れてしまった。
永井博士の随筆を元にした「長崎の鐘」という歌もある。
召されて妻は天国へ・・・・で始まる。
原爆の被害を内容とした「黒い雨」という映画も公開された。
筆者の友人の中にも、長崎市から少し離れたところに住んでいた子供の頃に、原爆の爆風によって十メートル以上も吹き飛ばされたという人が数人いる。