グリフォンの日記

時事のニュースについて書いていきます

石原慎太郎さん 有難うございました。

2022-02-01 22:01:59 | 訃報

大寒を過ぎた2月1日

凍てつくような冷たい風が吹き抜ける。

空は厚く黒い雲が流れ、時折、日差しが指していた。

やがて、春に芽吹く新たな新緑を前に、祖国、日本を想い、走り抜けた政治家、小説家 石原慎太郎氏が亡くなった。

謹んでご冥福をお祈りすると共に、感謝したい。

人の人生とは、病に倒れ、それでもなお、燻る火種を燃やしながら、最後の刻まで走り抜けるものだとつくづく思う。

祖国を想い、異国の地で果てた英霊たちへの想いを胸に戦後の日本を立て直そうと、守ろうと志を貫いた人だった。

今の政治家もマスコミも烏合の衆に塗れ、何か大切なことを忘れているんじゃないか、そう思わせるのである。

ああ、石原慎太郎さんのような叩かれても、ぶれない太い幹のような志、精神が今の日本に必要なのではないか。

ただ、それを悠然と示した人がいることが、我々の希望の火種なのだ。

火種はくすぶり、やがて炎に変わる。

我々の心に宿る炎は、ネガティブで否定的で、陰湿なものだろうか?

ネガティブはポジティブに変換できることを我々は知っている。

社会情勢は常に変動する。

よりよい社会、日本を造ること。

その炎を常に燃やしていく。

石原慎太郎氏の信念は、聖火の如く、人へと伝播していく。

志を以って生きる事が、今の我々の使命である。


渡 哲也さん ありがとうございました

2020-08-17 17:45:23 | 訃報
真夏日。

猛暑が叫ばれる昨今。

地球温暖化、CO2の影響でオゾン層の破壊が叫ばれたのは今は昔。

太陽の熱量が直に地球に突き刺さる日々。

熱中症で倒れる、そして、亡くなる人が多くなった。

そんな夏の陽射しの降り注ぐ8月10日。

俳優の渡 哲也さん 78歳がこの世を去った。

石原裕次郎さんに憧れ、石原プロへ入社。

大都会シリーズや西部警察などのドラマで活躍。

映画でも、たくさん活躍された渡さんは、私の尊敬する人だった。

それは自分の憧れだった。

渡 哲也さんの生き方は、昔ながらの男の美学、哲学そのものだからだ。

普段は寡黙で優しく、無駄に文句を言わない。

凛として、清々しいほど、潔い腹を持っていた。

だけど、人を喜ばせるためには豪快にハメを外すことも忘れない。

2003年 西部警察の新作の撮影中に所属俳優が自動車事故を起こし、撮影を見に来ていた、複数の観客を巻き添えにしてしまった。

渡さんは、その観客の病室を一人一人訪ね、土下座して謝ったという。

素直に謝るということ。

今の世の中、そんな事出来る人は数少ないだろう。

見渡せば、コロナによって混沌とした状態だ。

ネットでは罵詈雑言が並び、自分が抱えたストレスを誰かにぶつけて憂さを晴らす。

逆に誰かを謝らせて、マウント取った気になっている連中にも反吐が出る。

そんな事で自己顕示欲を満足させて何になる?

渡さんには全てお見通しなのだ。

人を批判したり、なじったり、攻撃しても、自分自身の焦燥や怒りは決して消える事が無い。

そう、自分の生活は何も変わらないということだ。

人に褒められたいなら、人を褒めろ!

人に好かれたいなら、人に好かれるように行動しろ!

人から良く思われたいなら、人を良く思え!

人に喜んでもらいたいなら、人が何を喜ぶか考えて行動しろ!

人から尊敬されたければ、人を敬え!(石原裕次郎さんは、日活の食堂で初めて渡さんに会った時、食事中にも関わらず立ち上がって、「君が新人の渡 君ですか。頑張ってください」と握手をしながら肩をたたき激励したそうだ。昭和の大スターに初めて会って、こんな待遇をされたら、誰でも感動するだろう)

この世は全て裏返し。

自分が吐いた汚い言葉は決して消えることの無い、闇の中へ深く浸透していくだろう。

何時までも、暑い夏が続くわけじゃない。

コロナだっていつまでも続くわけじゃない。

渡さんは誰に彼に文句も言うわけでもなく、寡黙に旅立った。

我々はその精神を学ぶべきである。

そこに日本人としての男の美学があるからだ。

渡さん、ありがとうございました。

黙とうをささげると共に、ご冥福をお祈りいたします。


志村けんさんが亡くなった日

2020-04-08 21:22:00 | 訃報
先月末、コメディアンの志村けんさんが亡くなった。

コロナウイルスに感染して、病院にもいかず、我慢した結果だ。

とても、悲しく残念だ。

人を楽しませ、笑わせる職業は、いつでも必要とされる。

その太陽が沈んだ。

その悲しみの渦中に特番が組まれた。

志村さんのコントが流れ、笑った。

大声で笑う。

それから10日ほど経って、緊急事態宣言という言葉のみの宣言で、市民のモラルに訴え掛けている。

渋谷や銀座で遊んでいた連中は、今、何をしているのだろう。

ペナルティが無いから、遊んでもいいというのは、他人に対する思いやりがないということ。

しいては、自らも思いやられること必要はないと言っているに等しい。

もし、本当に都市封鎖をせず、不要不急の外出を止めたければ簡単な方法がある。

緊急事態を無視して、外出もしくは帰国をして感染させた人間の氏名と年齢を公表するだけでいい。

日本人ならば、ほとんどの人が恐れるだろう。

この日本の根底にあるのは、村社会であるからだ。

仲間外れにされる、指をさされることを一番嫌う民族。

いざとなれば、国家として、お金が一円も、かからない、このペナルティを考慮と良いだろう。

スティーブ・ジョブズさん、夢をありがとう。

2011-10-09 18:00:35 | 訃報

秋も徒然。9月は全く書かない日々が続きました。書く気力と言うものが、全く湧かなかったのが、正直な理由です。

 

政治では、馬鹿山と馬鹿管のダブル”空気読めない、インチキ”政権の負債を野田政権が担う形に治まっています。目先の利益ばかりを追いかけた結果が、日本を駄目にしたのですが、フジテレビのデモなどを見ても、少しずつでも日本が本当に良い状態へと導かれていくのを感じます。

 

さて、10月6日Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズ氏が、56歳の若さで、亡くなられた。非常にショックである。2000年、Windows陣営に押されて、Appleは低迷していた。そのAppleへ復帰し、立て直したのが、ジョブス氏だった。

 

言うまでもなく、Mac、imac、itunes、ipod、iphone、ipadと大ヒットを連続させる。脅威のデザイン。洗練されたアイコンと操作方法。機械の性能ばかりを追いかけているwindowsとは対象的に、macもipodもiphoneもファッションの一部であり、簡単明瞭な操作方法が浸透し、ユーザーフレンドリー、第一に考慮されていることが最も重要だ。

 

目先の利益より1年先、3年先、5年先のビジョンを求めて、追求されるデザインと操作性は確固たる地位を築くのに必要であり、そして、浸透するのに、時間は掛からない事を証明してくれた。

 

モノと言う概念ではなく、愛着を持って接する事のできるブランド商品として、Appleの価値を高めた功績は、賞賛に値する。そして、会社を立て直すのに必要なヒントをたくさん残してくれた事は、感謝するべきだと思う。これだけの短期間で、アメリカ一の株価にできた例があるだろうか?そう、世界でも数多くは無いだろう。

 

スティーブ・ジョブズさん。有難う。夢を有難う。希望を有難う。楽しさを教えてくれて、有難う。安らかにお眠り下さい。Appleよ、永遠なれ。

 

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10/6 産経MSNより

米電子機器大手アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が死去した。56歳。ジョブズ氏は体調不良を原因に8月に米アップルの最高経営責任者(CEO)職を辞任していた。

 ジョブズ氏は1976年にアップルを共同創業し、パーソナルコンピュータ「Apple」や「マッキントッシュ」などを発表、同社を世界的な企業に押し上げたが、社内的な対立で85年に退社。86年に設立したピクサー・アニメーション・スタジオは、多くのヒット作を出して、世界屈指の映像制作会社となった。

 

 97年、経営悪化で苦しむアップルの経営トップに復帰し、2000年には最高経営責任者(CEO)に就任した。復帰後は斬新なデザインのパソコン「iMac」を大ヒットさせ、携帯型デジタル音楽プレイヤー「iPod」で音楽事業をパソコンと並ぶ事業の柱に育てるなど、業績を急回復させた。

 

 その後も、07年に発売したスマートフォン(多機能携帯)「iPhone」、10年のタブレット型情報端末「iPad」と、革新的な製品を次々と世界に送り出し、同社をパソコン大手から、デジタル家電やメディア配信事業を含むIT企業の雄へと変貌させた。11年4~6月期決算では売上高と最終利益で過去最高を更新、アップルは株式時価総額で世界最大のIT企業となった。

 

 一方で、04年に膵臓がんが発覚。半年程度の療養後、仕事に復帰したものの、11年1月から再び病気療養で休職し、8月にはCEOを辞していた。

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そして、これをご覧の皆様に、ジョブス氏の感動的なスピーチを贈ります。

■スティーブ・ジョブス氏の伝説のスピーチ1/2

 

 

■スティーブ・ジョブス氏の伝説のスピーチ1/2

 

■スティーブ・ジョブス氏 名言集


天空に舞い上がる五月の華

2008-05-26 23:00:43 | 訃報

時に人は、病という脅威に晒され、空気を胸いっぱいに吸える喜び、お腹いっぱいに食べれる喜びを改めて思い知るのである。時に人は精神を病み、心の隙間に吹きつける凍(い)てつくような風に苛(さいな)まれる。それでも、我々は、日本の四季の巡り合わせから、この次に必ず春が訪れることを知っている。それを待つ余裕がなかったのか、それとも何かトラブルがあったのか、何(いず)れにせよ、彼女は、一人寂しく、あの世の扉を開けて旅立っていった。

 

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東京都港区内の自宅近くの路肩に止めたベンツの車内で26日朝、元TBSアナウンサーで、現在はフリーで活躍していた川田亜子さん(29)が死亡しているのが見つかった。車内には家族に宛てた遺書と練炭の燃えかすが残されていたことから自殺とみられる。関係者によると、川田さんは精神的に不安定だったといい、直前の自身のブログに「一番苦痛です」「いまはせつないです」と悩みを打ち明けていた。

 

 警視庁三田署によると、26日午前6時15分ごろ、東京都港区海岸の路上で、「車の中で女性が倒れている。車内に練炭のようなものがある」と近くに勤める会社員から110番があった。署員が駆け付けたところ、歩道に乗り上げるように止まっていた白いステーションワゴンタイプのベンツの運転席で、川田さんが助手席側にもたれ掛かるように倒れていた。

 

 既に死亡しており、死因は一酸化炭素中毒とみられる。後部座席には燃えた練炭のコンロ2個が残され、運転席の窓は内側から透明のビニールテープで目張りがされていた。車のダッシュボードには家族に宛てた遺書が残され、「疲れた」との言葉や家族への感謝がつづられていたという。

 

 現場は川田さんの自宅マンションから数百メートル。川田さんはグレーのパーカーに茶色のスカート、サンダルといったラフな服装だった。ベンツは事務所名義。ドアは未施錠で、エンジンも掛かっていなかった。現場は運送会社の事務所などが立ち並び、夜間の人通りは少ないが、前日の午後8-9時には既にベンツが目撃されていた。

 

 精神的に不安定だったとされる川田さんは、自身のブログにも心境を語っていた。「母の日」の翌日、5月12日には、「母の日に私は悪魔になってしまいました。産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が、私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」と記していた。

 

<script></script> 5月14日には体調不良を訴え、「元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます」とブログの休止を宣言。16日に再開したが「うーん 体がまだ元気!といかないようです」「少し体調が悪い私ですが、ちゃんと頑張って生きています」などとつづっていた。

 

 22日には「仕事の合間」と題し、「一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」と苦しい胸の内を吐露していた。

 

 川田さんは1979年1月17日、金沢市出身。盛岡白百合学園から白百合女子大に進み、2002年にTBSに入社。整った顔立ちと長身(163センチ)で「あこちゃん」の愛称で人気となり、入社半年で朝の番組のメーンキャスターに抜擢されるなどTBSの顔として活躍した。主に「爆笑問題のバク天!」「はなまるマーケット」などバラエティーや情報番組に起用されていた。

 

 一方、2年目にはストレスから急性胃腸炎で倒れたことも。バラエティー中心の起用に、報道番組を希望していたといい、昨年3月に退社し、4月からフリーとして活動を始めていた。

  

 現在も同局系で「がっちりマンデー!!」(日曜午前7時半)にレギュラー出演していたほか、テレビ朝日系「サタデースクランブル」(土曜午前9時半)にも出演。キー局アナウンサーが退社直後にライバル局の番組でレギュラー出演することで話題を集めた。

 

 所属事務所によると、24日の午前中に放送された「サタデースクランブル」に生出演していた。

 

 川田さんの自殺について、TBS広報部は「突然のことで驚いております。心より、ご冥福をお祈り申し上げます」とコメントした。

 

http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_05/g2008052601_all.html

 

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これは、事件なのか事故なのか、自殺なのか・・・。彼女の五月十二日付けのブログで、「私が悪魔になった」とのコメントから堕胎をしたのではないかと言う、憶測が流れ、その結果として、自殺したのだろうか?しかし、どのような真実であれ、全ては闇へと消えるであろう。そして、我々の脳からも何時しか、忘れ去られるであろう。ただ、彼女の笑顔だけは、忘れないようにしよう。彼女にも、いつかは春が訪れる、そう祈りながら・・・。


ある歌姫の死

2007-05-28 21:28:04 | 訃報

 世代というものがある、それは、その時その場所で巻き起こる様々な現象(ブームともいう)から建造され、やがて時の経過とともに、風化し、そして人々の記憶の中に埋没していく。しかし、既に忘却されたその記憶の断片が、微かに呼び出されることがある。それは人の死である。自らと直接面識はなくとも、世代という記憶の中から取り出され、当時の面影を我々の脳裏に呼び覚ます役割を持っている。そんな一人のボーカリストが昨日帰らぬ人となった。
 
 27日午後、ZARDのボーカル 坂井泉水(いずみ)さんが都内の病院で、転落死された。現段階において、遺書等も見つかっていないので、自殺なのか事故なのか不明。坂井さんは、昨年6月に子宮頸(けい)がんと診断され入退院を繰り返した。そして、今年4月には肺への転移が見つかり、再入院。癌という宣告が下された時、どれだけの恐怖とこの世の無常さを彼女は知ったのであろうか。
 
様々な憶測は飛ぶだろうが、その歌声は我々が死ぬまでその記憶からなくなることは無いだろう。
謹んでご冥福をお祈り致します。
 
<ソース:読売新聞社> 

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070528it04.htm