戦後70年の節目を迎えた今年。
真夏の猛暑が荒れ狂う最中、安倍首相は談話を発表するという。
問題は、「侵略」「おわび」に言及するのではないかということ。
もう、ウソで塗り固められた、お詫びや侵略なんていう、言葉遊びの延長上にある下手な談話はいらないと思うのである。
結局、何度詫びようが、日本の頭を押さえていたい中国や韓国の言いなりにさせられるだけで、日本人は何も得しない。
日本が敗戦を迎え、戦闘を放棄して、国交を正常化へ導いたのもつかの間、いつから謝罪と反省という言葉によって、辛酸を舐めた七十年でもあった。
70年前のアメリカの原子爆弾投下は、広島、長崎の一般市民を殺害し、アジア人だから原爆の実験場として選ばれたということ。
その行為自体、憎くないと言えば嘘になる。
無能な軍部の幹部に強要され、死んでいった軍人の方々。
特攻へと駆り出された若き精鋭たち。
沖縄戦で傷つき、殺害された人々。
たくさんの被爆者と空襲によって、犠牲になった人々。
満州国や北方四島、樺太でソ連と朝鮮人に酷い暴行を受けた人々。シベリアで抑留されて、死んでいった人々。
そう考えるとアメリカもロシアも朝鮮も一般市民を暴行、略奪、殺害しているのに、我々日本人が許せる道理はない。
この時期になると、戦争体験をされた方が、戦争は反対だと口をそろえておっしゃる。
それも正しいと思う。
だが、中国や韓国、ロシアに対等に話せるのも、アメリカの核の傘があるのも事実だ。
今の時代は、ドローンのように、リモコン操作でヘリコプターのラジコンが動かせる時代だ。
プロペラ機で特攻しなくても、ミサイルをリモートコントロールで飛ばして、相手を破壊する。
インフラを破壊するのに、ミサイルは不要だ。
今のインフラはデジタルで動いており、パソコンとネットワークと技術があれば止めることもできるのだ。
戦争を恐れ、したくない気持ちは誰もが一緒だろう。
しかし、それでは、戦争がすでに始まっていることを見ないようにしているだけなのだ。
中国、北朝鮮、ロシアは日本にミサイルの照準を合わせている。
自衛隊やアメリカ軍の軍事施設だけではなく、原発、空港、港すべてが標的なのだ。
戦争を恐れるだけではなく、どうやったら日本を守れるのか、それが大事だとそう思うのである。
安倍総理には、未来志向の談話を出したいと言われていた通り、過去の戦争に縛られない談話を出して頂きたいと切に願うのである